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「知の欺瞞」に溢れた、あの『ドゥルーズの哲学』は忘れよう。そしてもちろん、『生殖の哲学』で繰り広げられている議論全体を丸ごと認める、とも言うまい。だが、ここで言われていることは、枝葉の見解の相違などは打ち棄てて、大筋で、かつ大声で肯定されるべきことどもである。たとえば、小泉義之が「あらまほしき社会」について語る、次のような言葉。
街路が自動車によってではなく車椅子や松葉杖で埋められているほうが、よほど美しい社会だと思う。痴呆老人が都市の中心部を徘徊し、意味不明の叫びを発する人間が街路にいるほうが、よほど豊かな社会だと思う。
そして、そのような「美しい、豊かな社会」を実現するための、つまり、何らかの意味で「障害」があるとされる人間を、躊躇なく生み育て、そしてそういう「障害者」が普通に生きることができるような社会を実現するための、簡単に言えば、優生思想を根絶やしにするために提唱される方途。
優生思想を批判したいなら、こせこせした文句を小出しにするのではなく、まっすぐに、障害者を生むべきであると主張すべきです。こう言い切ろうとすると、たしかに躊躇いが湧きます。何だかんだ言っても、親は苦労する。苦労させられる。親の不利益になる。不利益を被る。しかも、社会の不利益になると語られる。だったら、どう進むべきか。方向は明らかです。親子関係と夫婦関係という概念を解体することです。これは、別段アナーキーと称されるほどのことではないし、さほど難しいことでもありません。たかだか、戸籍制度をなくし、家族単位ではなく個人単位の住民登録だけにして、各人に生まれたときからベーシック・インカムを保障するだけのことです。
「親子関係と夫婦関係という概念を解体」、そして「ベーシック・インカムを保障」……。ここまで通じていると、細かい部分の相違など、もう本当にどうでもよくなってくる。また、こうした闘いは、「政治的争いでも道徳的争いでも」なく、「感性や趣味に関する美学的争い」だ、というのも、まったくそうだ、と思う。
ただ、やはり、個々の具体的な問題をどう処理し、そして、如上のような状態に持っていくためにどうしていくべきか、ということについては、ほとんど白紙のまま、と言ってもよい。だが、具体的なあれこれに話を持っていく手前で、このように「思弁的」な議論が、なぜそうしなければならないのかが語られなければならない。その上で、そうした個々のオペレーションは、われわれと、そしてわれわれがまだ見知らぬ時間の向こう側にいるものたちに残された課題である、と言おう。生殖は未来の存在根拠であるがゆえに。
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