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P2P宣言はクリエイティヴ・コモンズのもとにライセンスされています。
原著者 Marco Montemagno
原文URL http://montemagno.typepad.com/p2p_manifesto/
翻訳者 はやし(http://hblo.bblog.jp/)
P2P宣言:なぜならP2Pを止めることはできず、それは企業にとっても、市場にとっても、そして利用者にとっても好ましいものだからだ
「P2Pテクノロジーの質と量はともに、P2Pを阻止しようとする訴訟の数に反比例する」
モンティの第三法則
目次
- P2P宣言概要
- P2Pは止められない
- P2Pは企業にとって好ましい
- P2Pは市場にとって好ましい
- P2Pは利用者にとって好ましい
- 推奨Webサイト、ブログ、リンク
P2P宣言 概要:
P2P、それは革命的なテクノロジーだ。P2Pは技術的に、止めることはできない。
なにより、P2Pというものは、企業にとっても、市場にとっても、そして利用者にとっても好ましい。
P2Pはすでに、破棄できぬ技術であるということが証されている。
サーバ集中型P2Pシステムであろうが、分散的なP2Pシステムであろうが、それらは日々進化し、磨きがかけられ、新しい機能を追加している。その追加される機能は、実際問題として、大企業の訴訟や、技術的な監視対応策というものを無用のものとしてしまう。
企業は、その製品流通の強化という点からも、P2P技術をベースにした新しいビジネスの創造という点からも、利益を上げることができる。
市場は、その参加者の数、そして市場それ自体を拡大させながら、P2Pによって勢いづけられてきた。
利用者は、共有することが可能なすべての情報をシェアすることを享受している。
企業も、市場も、そして利用者も、欲しいときに欲しいものを手に入れるため、P2P技術を取り入れるのは、ごく自然なことだ。
それも、何の仲介もなく、直接「情報の所有者」から。
個人が、社会的に見て有用、と考えられるものをすべて共有している場合、ファイル共有は「社会共有」へと進化する。
今日の交換者 Swappersたちは、「ファイル・ネットワーカー」、つまり大規模な社会ネットワークを形成する個人というものになりつつあり、そしてそれは、逆説的にも、大企業のもっとも望ましい提携相手となるだろう。
そのときP2Pは、共有とネットワーキングの、より複雑で総合的なシステムとなる(PnetP)。
これからはP2Pの時代なのだ。
1) P2Pは止められない
P2P、それは革命的で、止めることのできないテクノロジーだ。
だが、業界の大部分、コンテンツ製作者の多勢は、ピア・ツー・ピアによるファイル共有という著作権侵害行為を、訴訟を通じてや、(洗練されたDRMや、制御可能なピア・ツー・ピアネットワークを創ることといった)制御技術によって、そうした行為に圧力をかけ、阻むことができると考えている。
だが、それらのことは間違っているのだ。
というのも、哲学的思弁的性質ゆえでのことではなく、次のような単純な技術的動機によるのだ。
ネットワーク上で利用可能ないかなるデジタルコンテンツは、それが機能するためにはデータを共有する必要があるので(ちょうどWebのように)、コンテンツそれ自体が共有可能である。
簡単な例をあげよう。
ここに歌手が一人いる(そいつのことをネオと呼ぼう)。そいつはちょうど新しいアルバムを作り終えたところだ。
さて、ネオはそのアルバムを売りたいと、さらにはそれが、ファイル共有という「暗黒流通網」に巻き込まれるのを避けたいとおもっている。だって、その「暗黒流通網」には、ネオには一銭も支払うことなく、ただでそのアルバムを交換しようとしているガキどもがたくさんいるからね。
では、ネオはどうすればいいのか?
最初の一番安全なやり方は、ネオのMACを、Pro Toolsや音楽を作るのに使った他のテクノロジーすべてとともに、金庫にしまっておくことだ。
こうすれば、ネオのアーティスティックな創造を含むすべてのバイトは、交換されることがないだろう(だって、金庫で守られてるからね)、手練れの泥棒が首尾よくネオの家に侵入し、金庫をぶち開け、ハードディスクの内容をDVDに焼いちまわない限りは(でも、とりあえずこの可能性は措いておこうか…)。
ただ、この方法では誰もネオの作った美しい音楽を聴くことはない。
誰もそれを鑑賞することはないし、したがって買うこともない。
だとすると、当然のこととしてネオは、自分の音楽を誰かに聴かせられるようにしなければならない(それとも、職を替えるか)。
が、ここから問題が始まる。
もしネオが、レコードで自分の作った音楽をレコードで配給しようとしたり、ライヴだけするってことにしたり、またあるいはラジオで流れるだけってことにしても、簡単にそういう音源を録音し、デジタル化し、んでもってさくっと他の人と共有、ってことができちゃう。
じゃあ、ネオがプロテクトなしのCDで配給しようとしたら?
この場合、そいつをWinMXに流そうとすると、アナログからデジタルに変換する必要さえない(だって、もうデジタル化されてるからね)。
他に何かいいやり方はないものか?
よし、ネオはついに解決策を得たとしよう。ネオは自分の音楽を、とある重要な専門に特化したソフトウェア企業によって提供されている、DRM(デジタル著作権管理)システムで守ればいいんだ!
でもねネオ、残念なことにこの場合きみは、次の2つの終着点に辿り着かざるをえないんだ。
1) きみは、自分のファンの手を焼かせることになるだろう(そして、長い目で見ると、きみは何もかもを失う)。
2) きみは、自分の音楽をファイル共有網に公に参入させるのに、何分か何時間か何日かの遅れをとるだけのこととなるだろう。
一見もっとも安全に見える、このDRMというシステムについては、もっとじっくり考えてみる必要がある。どうすれば、顧客がこのDRM保護を解除することを回避できるのだろう?
ネオのことが信用できない? じゃあ、コリー・ドクトロウによるMicrosoft Research DRM talkをちょっと読んでみよう。そうすれば、問題がもっとよく理解できる。
手短に言えば、こうだ。「DRMシステムは、通常何分か、ある場合には何日かで破られる。まれには、何ヶ月か破られるまでにかかるかもしれない。DRMが破られるというのは、DRMを考えた連中がバカだったからではない。それを破った連中が利口だったからでもない。アルゴリズムに瑕疵があったからでもない。要するに、すべてのDRMシステムは共通の脆弱性を共有しているのだ。その脆弱性とは、システムが攻撃者に、暗号文、暗号、そしてその暗号を解く鍵を与えてしまう、ということだ。こうなっては、秘密はもはや、秘密ではない。」
それじゃあ、ネオは自分の音楽が「盗まれる」のを避けるにはどうすればいいのか。
どうすることもできない。
まったくもって、どうすることもできないのだ。
企業はこの問題について、何年も何年も考え続けてきたことだろう。
デジタル時代になる前まではまあ安泰だったかもしれない。でも、今となってはもう遅いのだ。
いまわれわれは、「データ共有」というコンセプトに深く基づいた世界に暮らしている。
今日、デジタルコンテンツは共有されてはならないし、共有されえないだろう、と考えているとしたら、考え直してごらん。
「でもだって、違法な共有を阻止するために、大企業は訴訟を連発しているよ?」
じゃあ、ほんとにあなた、その訴訟がP2Pやファイル共有を止められると思うの?
ここで一つ、最近の示唆的な例を見てみよう。
著作権で保護されたファイルへのリンクを含んでいたSuprnova.orgという有名なWebサイトが、最近法的な理由で閉鎖された(のちにこのサイトは再開することになるけど、.torrentファイルはなし、ユーザはExeemプロジェクトにリダイレクトされる、という有様だ)。
SuprnovaがちゃんとしたWebサイトとして復活するには、どれくらいかかったのだろう?
ここに、過去24時間以内に利用可能だったWebサイトのリストがある。
さらには、次のように基本的には言うことができるだろう。今日、次のような2つの選択肢がある、と。
- テクノロジーを、例えば20年巻き戻すこと。
ユーザを分離し(インターネットの接続を失活させる)、鎧にくるまれたPCを製造し(いかなる形態であれ、外部との接続を排除する)、ワイアレス/ケーブルを通してのどんなデータ発信も遮断し、そしてオフラインでファイル共有を可能にするようないかなるデジタル的手段(DVD、CD、各種バーナー、ヴィデオレコーダなどなど)も製品化するのを止める。
こんなこと、可能だと思う?
- コンテンツの製作者は、自分のビジネスが新しい時代に突入していることを理解する。
そして、自分たちをその環境に順応させる。
また、どうすれば技術の進化に対応した新しいビジネスモデルを創案することができるか、ということを見つけ出す努力をする。
自分たちの顧客のシェアしたいんだという要望にしたがって。
2) P2Pは企業にとって好ましい
P2Pは今日、デジタル製品を流通させようとか、新しいビジネスをぶち上げようとかしている企業にとって、まさしく大きなチャンスに他ならない。
もしあなたが、マルチメディアコンテンツ(ヴィデオとか音楽とか)を製作している企業だとしたら、次のコンセプトを理解するよう努めよう。
P2Pはごく単純に、あなたの企業にとって夢のように素敵なものなのだ。
それは、なぜだろう?
というのも、P2Pは、直接的で、永続的で、邪魔の入らない、顧客とのコミュニケーションチャネルを、あなたの会社に与えてくれるからだ。
そして、あなたの顧客は、あなたの会社が作ったコンテンツを自ら流通してくれることで、個人的なバイラル・マーケティングを支えてくれる。それも、ただでね。
そう、これがP2Pってもんなんだ。
過去にこういうことができる可能性があったか?
90年代で考えても、これに類比されるチャンスがあったか?
今日、企業はほとんどただで、世界中どこにいる顧客にでもリーチすることができる。そして、その顧客をして積極的に自社製品をサポートさせることができる(しかも無償で、顧客自身の時間や経費をつかって)。
こいつはどえらい好機だ。
こうした理由から、たくさんのリナックス・ディストリビューションはすでにP2Pを通して提供されている(Debian. Gentoo. Knoppix. Fedora/RedHat. Ubunto. Dynebolic. Mandrake. Slackware. Whitebox. FreeBSD NetBSD )。実際、何ギガバイトものソフトウェアを配給するには、DVDを使うか、帯域幅を食うダウンロードに頼るかしか手はない。
でも、もしあなたが、たとえばBitTorrentプロトコルを採用したなら、流通コストは劇的に下がるだろう。
BitTorrentは、Webの問題(ダウンロードしているユーザが増える=コストも増える)を革命的な利点(ダウンロードするユーザが増える=状況はよりよくなる)に変質させることができる破壊的テクノロジーとして、賞賛に値する。
BitTorrent、ひいてはP2Pというものは、支出を抑え、「人々がコンテンツで何をしたいのか」ということに関する新しいシナリオへの道を拓く。そのシナリオとは、「人々自身、メディアになることができる」というものだ(手短な助言: もしあなたがダン・ギルモアの"We, The Media"を読んでいないのなら・・・すぐにでも読みないさい)。
もひとつ、Coralプロジェクトという、P2Pを使ったディストリビューションの例を見てみよう。
Coralって何?って? それはこんなふうに機能する。「Coralはピア・ツー・ピアDNSレイヤであり、ブラウザを、ユーザにそれと意識させることなくCoralに参加するキャッシュプロクシにリダイレクトし、そして今度はそのキャッシュプロクシ同士が、コンテンツの発信元であるWebサーバの負荷を最小化するよう協働する。Coralを走らせているこれらのヴォランティアサイトは、ユーザがコンテンツにアクセスするたびに、副次作用としてそのコンテンツを複製し、コンテンツの可用性を向上させる。」
これが、あなたの会社の経費を大いに抑えてくれる、P2P技術を使ったプロジェクト、ってもんだ(他にも、P2Pを使った同様の試みはこれからまだまだ出てくるだろう)。
もしでっかいヴィデオ・データをWebに流そうと考えているなら、こういうCoralのようなシステムを参考にしたほうが方がいい。
そして、そう、そうしたものはP2P技術に基づいている。
他方、P2Pは新しいビジネスの筋書きへの道を拓く。
Skypeはそのもっとも優れた一例だけど、これから他にもそういうものが現れてくるだろう。
だが、もっとも目を引く利点は、P2P技術によって「距離」というものが本当に切りつづめられる、ということだ。
企業はものすごい速さでコミュニケーションをとることができ、新しいビジネスの秩序を打ち建てることもできるし、現行の秩序を転覆する力も秘めている(TV Skypeってものが現れたら?)。
P2P技術は音楽を交換しているようなガキのためだけのもの、って考えをまだしてるんだったら、ちょっとまった。ここにある、有意義で、何の権利も侵害しないP2P技術の応用の一部のリストを見て、考え直して欲しい。
ラジオ、テレビ、教育目的、科学、ニュース、政治的利用。その用途を限るのは、想像力だけ。
人間が関わるほとんどすべての分野で、P2P技術を利用したビジネスを立ち上げることができる。
そして、たぶんそれは成功するだろう。
3) P2Pは市場にとって好ましい
稀少性というものは、過去の遺物だ。
今日、デジタル世界はかつてないほどの選択の自由を提供している。
ここに、Seth Godinによって1年半前に投稿されたとてもいい文章がある。これは、新しい筋書きをうまく表している。
「要点は、こうだ。かつてメディア・ビジネスは、稀少性に基づいていた。周波数帯の稀少性。ヒットの稀少性。稀少性は、著作権と限られた収納スペースによって引き起こされる。消費者は稀少性を嫌う。しかし、独占企業は稀少性を愛している、ということをあなたも私も知っている。消費者の選択肢が少なければ少ないほど、独占企業は繁栄するのだ。
独占企業は稀少性のおかげで肥え太り、幸せになることが容易にできた。しかし、ほとんど一夜のうちに、メディア独占を打ち建てていた稀少性は消え始めた。まったく突然に、Web上で、ほとんど何十億もの流通経路が利用可能となったのだ。DVDプレイヤーがある家は映画館となる。アマゾンが無限とも言える収納スペースを持っている今、小売市場の力は過去のものである。「買え、さもなくば去れ」といった値付けの仕方は困難になった。だってWeb上では、顧客は本当に「さっ」と「去る」ことができるから。
・・・ここに問題が生じる。独占企業は、普段どおり、ということは昔どおりのビジネスをする権利があると信じているように思える。さらには独占企業は、市場のルールが変ることはフェアではないとも、自家用機を所有したり、盛大なパーティを開いたり、節度を欠いた利益を享受したりということは自分が当然受けてしかるべきものだとも強く思っている。そしてまた、独占企業がなくなれば、「いい考え」もともに潰える、とも考えているように見える。
これが何を意味するか、分かる?
それは、市場が変わり、テクノロジーも変わり、消費者の姿勢も変わり、そしてビジネスも変わる、ってことだよ。
後戻りできる道なんてない。好むと好まざるとにかかわらず。
こうした理由からもまた、DRMに基づいたデジタルコンテンツの配給のやり方というのも、未来がない、と言える。
というのも、消費者は単純に「それを捨て去り」、自分の本当に求めているものにより合致した製品を買うことにするだろうから。
こうした文脈において、P2Pというものは、メディアビジネスの寡頭政治に裂け目を入れうる破壊的テクノロジーとして受け取られてきたのだ。
今日、初めて、P2P技術のおかげで新しいビジネスプレイヤーがメディアビジネスに参入し、音楽やヴィデオ(それにとどまらず、すべての種類のマルチメディアコンテンツ)を旧来の企業から独立して製作し、それをインターネットを通じて配給するためにP2P技術を採用することで、有名になることもできる。
だがしかし、「開かれた市場」たるP2Pのインパクトが明々白々であるにしても、市場におけるP2Pの副次的便益というのはそう明らかではない。
もっとも有力なメディアビジネスのプレーヤーは、ほとんどの場合DRMシステムに基づいた「デジタル技術の檻」に囚われてしまっている。
その理由は簡単だ。
マイクロソフトや、その他のDRMの供給者の基幹業務というのは、音楽でも映画でもない。それは、ソフトウェア(あるいはハードウェア)なのだ。
ゆえに、メディア業界やその価格体系やルールというものに本当に親身になっているわけではない。関心は、たとえメディアビジネスと諍いが起ころうとも、ソフトウェア/ハードウェアビジネスを創り出すことにあるのだ。
アップルの例や、iTunes/iPodのよく知られた成功は、示唆的である。
音楽は何度となくダウンロードされ、0,99セントで売られる。だがアップルのビジネスは、ハードウェア(iPod)やソフトウェア(マッキントッシュ向けの)を売ることなのだ。音楽ではなく。
じゃあ、どうすれば他の収入源(アップルで言うとiPodのような)なしに、オンライン・ジュークボックスは曲を0,99セントで売りつつも生きのびることができるだろうか? またあるいは、アップル所属の歌手は、何人いるだろうか? 一人も。
というのも、音楽はアップルの基幹業務ではないからだ。
この文脈でもまたP2Pは、メディア企業にとって救いとなる権利であることが明らかとなる。企業が、自ら囚われの身にあることを自覚するとき、DRMの採用を避け、顧客と直に繋がるような、そんな別の技術的配給策を探し始めるだろう。
メディアビジネスは、すべての他の業態のビジネスと同様、ソーシャル・ネットワーカーや、瞬時に多次元的になる、マルチプラットフォームで、非局在化されたコミュニケーションが、緊密に相互接続された未来に直面することになろう。
共有された未来 A Shared future。
最初の必然的なステップは、ファイルを共有することから、社会を共有することが導き出される、ということだろう。その社会共有が行われる場では、データを交換するということは、何百という異なるデータ交換(コンタクト、ブックマーク、雇用データ、などなど)から構成されることになる。
社会を共有することとなれば、聴覚データであろうと視覚データであろうと、他のデータやデータのマクロ構造の内部にあって漂っているような、そんなデータを共有することを制限するのは、考えにくくなってくる。
いつでも、どこでも、あらゆる種類(メッシュネットワークを通じてや、他の類似のものを通じて)の交換から成り立っている状況において、データ交換をコントロールするのは、もはや可能だとは思えない。
共有することを追跡するのは不可能となる。なぜなら、そこにあるのはWebだけではないからだ。たくさんの異なった機器が同時に、ネットやネットの一部となるだろう。
P2Pは「PnetP」という形をとる方向にすすむ。そしてそのPnetPにおいて、P2Pは、ますます構造化される社会ネットワークの内部で、より広範にわたるデータ共有に統合される。
そして、音楽産業も映画産業も、製品からサーヴィスへ、という動きを余儀なくされる。ちょうど、他の種類のデジタル製品ですでに起こっているように。
新しいライセンス形態が、主にソフトウェア産業のモデルから導入される。GPLライセンスやクリエイティヴ・コモンズのもとに、音楽が普通に創られることとなる。
そして、新たな形象が現れる。「ファイル・ネットワーカー」だ。
ファイル・ネットワーカーというのは、社会ネットワークを創りうるすべての人々のことだ。たとえば、何千ものコンタクトや承認やコネクションからなる、音楽的ネットワーク。
コンタクトの量と質が、ファイル・ネットワーカーの序列を決定する。
ファイル・ネットワーカーは、重要なメディアビジネスの権威、つまりエキスパート・プロンプター expert prompterとなる。エキスパート・プロンプターとは、利用可能な無数のコンテンツの森の中で、道案内をしてくれる他に替えがたいガイドの謂いである。
最高のファイル・ネットワーカーを確保すること、それが明日のP2P市場の課題だ。
今日の交換者 swappersは、市場からもっとも求められるファイル・ネットワーカーとなり、今日の事情を考えると逆説的にも、大企業のもっとも望ましい提携相手となる。
どれくらいたくさんのファイルを共有できるか?
誰と?
どんな質の?
どれぐらい速く?
今日「犯罪的」と見なされている情報は、明日にはメディアビジネスの「頼り」となるだろう。
広範で信頼のおけるアーティスティックな社会ネットワークを創造すること(そのネットワークを通じて、それに参与しているアーティストの仕事が普及する)、それはアーティストと大企業が等しく直面している課題となる。
4) P2Pは利用者にとっていいものだ。
ユーザは共有するのが大好きだ。
ほとんどすべての興味深く革新的なWeb上のプロジェクト、そしてネットそれ自身は、共有原理に基づいている。
- 画像の共有(Flickr、Google Picasa)
- 友人の共有(ソーシャル・ネットワーキング。たとえば、Friendster、Orkut、Trieb、などなど)
- ビジネスの取引相手・コネの共有(ビジネス・ネットワーキング。Linkedin)
- 就職情報の共有(ジョブ・ネットワーキング。Monster.com)
- ヴィデオの共有(もうすぐ公開されるOpenmediaプロジェクト、またInternet Archiveも)
- ニュース/各種情報の共有(rebloggingプラットフォーム)
- オーディオの共有(SkypeのようなVoIP/P2Pを用いたもの、podcasting、などなど)
- ウェブサイト情報の共有(たとえばソーシャル・ブックマーキング、Delicious)
- もっと一般的に言えば・・・データの共有(Creative Commons、Prodigem、Coral、などなど)
共有するということ、それは魅力的な営みだ。なぜなら、P2Pの利用者に自律と自由を与えてくれるから。
他の人と何を共有するかを決める自律。そして、実際に共有する自由。
実際P2Pは、普通のユーザをメディアに変える、技術的な鍵なのだ。
これは、ダン・ギルモアの著作、"われわれはメディアだ: 人民による、人民のための、草の根ジャーナリズム We,The Media: Grassroots Journalism by the people, for the people"で示された天才的直感である。
ユーザがメディアそれ自体になれる、ということを理解する。
今日、メディア世界は変容した。なぜなら、普通のユーザが自分でニュースや、音楽や、ヴィデオや、テレビ番組を作成し、それらを自分のラップトップから全世界に向けて発信することができるようになったからである。
最近起こったスマトラ沖の津波のことを例として取り上げよう。
津波が襲った初日、被災地からのヴィデオや写真のほとんどは、ネットを通じて届いたものだ。
Waxyのようなブログは、 津波の模様を取ったアマチュアヴィデオへのリンクをポストしたら、普通は何百万アクセスがあっても平気なはずなのに、多量のアクセスが集中し、一時的にダウンしてしまった。
それから、ヴィデオはInternet Archiveにアップロードされたが……結果は同様。Archiveはそのヴィデオを見ようと雪崩れ込んだユーザをあしらうのに、四苦八苦だった。
で、どうなったか? ヴィデオは.torrentフォーマットで流れ始め(と同時に、他のミラーサイトでもそのヴィデオが見られるようにはなったが)、混乱した状況は平生どおり、となった(BitTorrentの法則を覚えてる? ダウンロードすればするほど、状況はよくなる、ってやつ)。
この津波被害に際して起こった出来事は、ウェブの限界とコンテンツ配信の未来を理解するうえで非常に重要なものだ。
BitTorrentのようなプロトコルが普通ものとして取り入れられれば(BlogTorrentやProdigemのようなプロジェクトは、すべてのプロセスを簡単にするような正しい方向に進んでいる)、ユーザがある出来事を記録し、それを自分のPCに置き、そして世界に流通させるのは至極簡単となる。
帯域幅の問題や、それから生じるコスト、サーバが利用できなくなってしまうこと、その他諸々のやっかいごとなしに、こうしたことが実現できるのだ。
思い出そう。自由と自律はユーザにとって掛替えのないものだ、ということを。
そしてP2Pはまさに、その自由と自律を提供するために生まれた。
これからはP2Pの時代なのだ。
推奨Webサイト、ブログ、リンク
コリー・ドクトロウ、DRMに関して
http://junk.haughey.com/doctorow-drm-ms.html
Coral
http://www.scs.cs.nyu.edu/coral/
著作権がらみのこととか
http://grafodexia.blogspot.com/
Seth Godinのメディア独占企業に関するメモ
http://www.fastcompany.com/online/60/monopolist.html
Mark Pesce
http://susanmernit.blogspot.com/2004/12/mark-pesce-on-bittorrent.html
BitTorrent P2Pファイル共有システム
http://www.theregister.co.uk/2004/12/18/bittorrent_measurements_analysis/
著作権などの権利を侵害しないようなP2Pアプリ
http://www.sas.upenn.edu/~arib/SNIU/
http://bittorrent.com/
http://boingboing.net/
http://creativecommons.org/
http://dangillmor.typepad.com/
http://del.icio.us/
http://en.wikipedia.org/wiki/P2p
http://en.wikipedia.org/wiki/Peer-to-peer
http://ourmedia.org/
http://p2pnet.net/index.php
http://slashdot.org/article.pl?sid=05/01/13/163240&from=rss
http://socialsoftware.weblogsinc.com/(訳者注:サイト消滅。Weblogs, Inc. no 歴史や教訓に関してはここを参照)
http://torrentocracy.com/
http://wethemedia.oreilly.com/
http://www.archive.org/
http://www.blogtorrent.com/
http://www.corante.com/copyfight/
http://www.downhillbattle.org/
http://www.eff.org/share/
http://www.lessig.org/blog/
http://www.livejournal.com/users/bramcohen/
http://www.mercora.com/
http://www.metafilter.com/
http://www.newmediamusings.com/
http://www.prodigem.com/
http://www.reblog.org/
http://www.skype.com/
http://www.slyck.com/
http://www.smartmobs.com/
http://www.tfisher.org/PTK.htm
http://www.unc.edu/~cigar/papers/FileSharing_March2004.pdf
http://www.unmediated.org/
http://www.waxy.org/
この翻訳は、ヘッダ部分の情報(原ライセンスがCCであること、原著者、原文URL、翻訳者)をどこかに明記する限り、商用・非商用を問わず、自由に複製・頒布・二次著作物の作成をすることができます。
また、翻訳に関して、ここは違うぞ!とか、こうすれば?という意見があれば、お気軽にコメント欄に書込んでください。
さて、せらみせらのらさんがご質問なさった点について、
>訳文を全文、載せると言うことはあなたがこの文章を全面支持していると受け取っても良いのでしょうか?
ということに関しては、答えは「いいえ」です。そもそも、「訳文の全文掲載」からどうして「当該文書の前面肯定」が帰結するのか、私には分からないのですが。
また、次の点、
>それとも誰かに依頼されたのでしょうか?
に関しても、答えは「いいえ」です。またもやついでに言えば、「全面的には肯んぜない文章を全文訳す」ということが「誰かに依頼された訳した」ということを帰結する、という点についても、私には得心のいかぬところです。
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