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ドゥルーズの主著『差異と反復』は、本国フランスではどんな風に受け容れられてんだろ?とちょっと気になったので、手始めにGoogle.frで検索してみたら……

全部で95件しか引っかからない!

おまけに、そのほとんどが企業とかの法人のページで、個人のページで言及されてるのは何と1件だけ。しかもその記述は"Lu : Difference et répétition"(「読んだ本:差異と反復」)という、味も素っ気もないもの。

そういや、おれが学部生のときに、フランスからの留学生に「ドゥルーズってフランスではどうなの?」って聞いたら、「いやあ、みんなあんま読んでないよ。つか、名前も知らないんじゃない?」って言ってたんだけど、ほんとにそうなのかもなあ。

試しにGoogle.co.jpで「差異と反復 ドゥルーズ」で検索してみると、ヒット数9,180で、本国フランスでのヒット数のほぼ100倍近い。さらに、検索結果全部に目を通すのはしんどいんで、検索結果の最初の数ページをざっと見ても、個人ページがけっこうある。

で、上記の検索語に「ブログ」の1語を加えて再度検索してみると……。

おれんとこがトップじゃねえか……というオチでした。まる。

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いや、そんなことないと思いますよ。昔、日仏学院で出会ったフランスの青年は、私に「milles plateax」を読め読めといたく薦めておりました。あれは最高だ、と。ひとつのサンプルに過ぎませんが…
久留間 徹 2005/06/08(Wed)19:34:00 編集
もちろんフランス本国にもドゥルーズを読んでる人はたくさんいるでしょうが、そういう人の「目に付き度」というのは日本と比ぶるべくもないぐらい少ない、というのはやっぱりそうなんじゃないでしょうか。
はやし 2005/06/09(Thu)01:13:00 編集
フランスでは、ドゥールズといえば、アンチディプス以降急に人気を博したって感じで受け止めています。前期のいかにも哲学哲学した私の特に好きなドゥールズは結構フランスでは興味をもたれていないのでは?って、勝手に思っています。
原作たそがれ清兵衛 2005/06/09(Thu)04:17:00 編集
なるほど、はやしさんの主旨が私なりに見えて来たような…。要するにフランス本国と日本に於けるドゥルーズ受容様式の違いということを強調されているのでしょうか(間違っていたら御免下さい)。確かに日本では異常なくらい流行ったように記憶しております。日本ですと、「ドゥルーズ学」(deleuzology?)に成ってしまう怖れがあるように思うのですが。この辺、いかかがでしょう?日本ではドゥルーズを一研究者として捉える視点がやや欠けているように思う時があるのですが。

清兵衛さんがおっしゃていることは恐らくモットモであろうと思います。「差異と反復」と比較すると「Mille plateaux」はポピュラー・ブックかもしれません。良かれ悪しかれカタログ本のような印象を受ける時があります。「アンチ・オイディプス」は正直言ってゴチャゴチャしていてよく分かりませんでした。途中で投げ出したままの状態が続いております。
久留間 徹 2005/06/09(Thu)06:52:00 編集
久留間さん、ぼくがこの記事で書きたかったのは「フランス本国と日本に於けるドゥルーズ受容様式の違いということを強調」って、もうまさに「それ」です。しかも、そういうことをしたモチヴェーションってのも、久留間さんが仰っているような、日本におけるドゥルーズ受容に対する違和感がその底流にあります(だって、上記検索ワードでぼくのブログがトップに来るなんて、明らかにおかしいじゃないですか!)。

「日本ではドゥルーズを一研究者として捉える視点がやや欠けている」という指摘についても、全く同感です。哲学史上および同時代的な布置関係を捨象され、「ドゥルーズとその他大勢」というふうにドゥルーズだけが(多分本人の意想外に)「屹立」してしまっている……。

ただ、急いで付け加えなければなりませんが、ドゥルーズを研究している人たちの中にも、「縦糸」も「横糸」も視野に入れながら地道に研究している人はいっぱいいます。というか、概ねそういうちゃんとした人たちです。ところが、ぼくの狭い知見の及ぶ範囲では、なぜだかドゥルーズについては「上っついた」感じがする人たちに出くわすことが多い(お前の知見の及ぶ範囲がその程度のもんなんだ、って言われちゃうかもしれませんが)。もっともこれは、ドゥルーズに興味を持つ母集団が他に比べて多いので、勢いノイズも目立つだけ、ということかもしれません。というか、そういうことでしょう。

それで、原作たそがれ清兵衛さんも言ってるように、「アンチ・オイディプス以前/以後」という区分けはある意味妥当でしょうね。ただ、それにしても、「それ以前」のドゥルーズに関する言及が、少なくともWeb上では少なすぎるなあ、というのが正直な感想です。これは、「すげえ有益な研究してる人はフランスにも、というか、フランスにこそいそうなのに、それが伝わってこないなんて残念だなあ」ということでもあります。

それで、久留間さん、ぼくが主宰、ってわけでもないんですが、ネット上で知り合った仲間たちが集って「オンライン読書会」なるものをつい最近始動させて、そこではもちろんドゥルーズも読んでいたりするんですが、もしよろしければ参加しませんか? 当然『アンチ・オイディプス』も「読もっか?」となる可能性が大であり、一人で読むよりかは持続可能性が高い、と思われます。

とりあえずアドレスを書いておくので、覗いてみてください。
<a href="http
はやし 2005/06/09(Thu)11:20:00 編集
私は作家と学者を峻別しています。一例を挙げれば、ニーチェは(もしかすると)ボードレールのような「作家」、一方、マックス・ウェーバーは間違いなく「学者」(scholar)とカテゴライズできるのではないかと考えております。もちろん、この峻別にはどちらが優れているか等の価値判断(value judgement)は一切含まれておりません。ただ、両者のエクリチュールに対する姿勢あるいは取扱い方はかなり異なってくるであろう、ということが言いたいのですが。したがって、マックス・ウェーバーとニーチェを融合させようとする比較的最近の試み(「マックス・ヴェーバー入門」岩波新書)は快著とはいえいささか安易に映るのですが…。取り合えず今現在は、私は前期ドゥルーズを「学者」、後期ドゥルーズを「作家」と捉え、両者を峻別したいと考えているのですが、この辺、いかがでしょう?
久留間 徹 2005/06/09(Thu)23:34:00 編集
「学者」と「作家」を峻別して読む。そのことはある意味、ぼくはオートマティックにしちゃってることかもしれません。ただ、その場合の「学者と作家」の区別と言うのは、かなりイージーに「論文と、それ以外」っていう区分になっちゃってる、と思います。要は、「これ論文審査通るだろ」、「これ、アウト」ってな具合。

でも、久留間さんはいささか否定的ですが、「学者と作家」が主題として融合させることや、さらには「作家」を「学者」として、「学者」を「作家」として「意図的に」誤読することさえ、肯定的、とまでは言いませんが、恐れるべきことではない、と思っています(とはいえ、これはぼくの「あこがれ」に過ぎないものなのかもしれません)。

それで、上に述べた程度の「学者と作家」の区分においては、ぼくも「前期ドゥルーズ」は「学者」、「後期ドゥルーズ」は「作家」と捉えますが、「後期ドゥルーズ」をも「学者」と捉えようとする気持ちがあることを正直に述べておこうかと思います。
はやし 2005/06/10(Fri)07:55:00 編集
いやいや、前回のコメントは一つの題目として「作家と学者」というトピック(まだ自分でもよく分からない)を端的にはやしさんに投げかけてみたのですが。この辺、御了承ください。私も現実に於いて「作家」と「学者」を峻別しているわけではありません。言葉足らずでした。つまり、「純粋型」(pure type)として「作家」と「学者」をあの場で仮設的に峻別してみたのですが。そういうわけで、両者の融合に関しても決して否定的ではありません。ただ、強引な論旨の失敗例として「マックス・ヴェーバー入門」(岩波新書)を挙げてみました。他書では分かりません。以下は蛇足ですが、ニーチェはボードレールのような「作家」などと綺麗に割り切れるとは思っていません。いずれにしろ言葉足らずで御免ください。

ところで、どうなんでしょう?我々は「これは学術論文である」あるいは「これは小説である」等々、読む前に判断したり振り分けたりているのでしょうか。はやしさんはオートマチックに、と書いておられるけれども、私としても、恐らく暫定的に無意識に判断しているのではないかと推測しているのですが。端的に言えば、ジャンルの問題なのかもしれませんが。ちょっと話はズレますが、日本てジャンル分けが激しいと思いませんか?単語レベルで。わざと小難しい専門用語を拵えて威風堂々を演じているように見える時あるのですが。

>とりあえずアドレスを書いておくので、覗いてみてください。
拝見しました。ゲーデルを研究されているのですか。私は(はやしさん御存知かもしれませんが)Abraham Robinsonに興味があるんですよ。
久留間 徹 2005/06/10(Fri)19:58:00 編集
あ、久留間さんが仰っている意図は理解してるつもり(ただ、「峻別」という言葉の強さから、ある種の「読みの規範」として要求されているのかなあ、なんては少し思っちゃいました)です。それよりも、読むときにはぼく風の「作家と学者」という類型に沿って「オートマティック」に読む、とは言ったものの、「作家と学者」という類型それ自体という問題系についてはそれほど深く考えたことはなかったので、「おれはこう読んでる」という実践面での答えになってしまいました。

それで実は、「作家と学者」という問題系に、ジャンルの問題を絡めたら……とは、考えていたんですよ。とはいえ、「作家と学者」の問題系=ジャンルの問題系、とは思っておらず、たとえばニーチェとフッサールはどちらも「哲学者」だとぼくは思いますが、ニーチェは久留間さんも仰るように「作家」、フッサールは文句なく「学者」である、というように、「作家/学者」という切り分け方と、諸々のジャンルの切り分け方は、あるところは交わり、あるところは共有部分を持たない……という感じに思われます。となると、「作家/学者」ってのの内包を考えると……発想の貧弱なぼくは前のコメントで述べたように、とりあえずそのスタイルの違いしか思い浮かびませんが……もうちょっと考えてみます。

日本のジャンル分けの激しさに関しては、書籍に限らず、色々なものが「価値の多様化」という言葉に象徴されるような「細切れ」状態になっていますよね。そういう風に、目新しいラベルを付ければ、内容は古くても瞬間風力は稼げるんでしょうかね(ちょっと毒づき過ぎちゃったかな?)。とはいえ、ジャンルに関しては、その区切りが粗すぎても、細かすぎても用を成さないので、なかなか難しいですね。

よもやこのコメント欄でロビンソンの名前が出るとは! ぼく、ロビンソンの「全集」まで持っているんですが、Non Standard Analysisも読み通していないというテイタラクです。ロビンソンのどういったところに興味がおありなんですか? もしよろしければ教えてください。

それで、ゲーデルのことなんですが、いやいや、「研究」というほどゲーデルのことを勉強してたわけではないんですが、一応数理論理学をそれなりにやっていたものとしては、いわゆる「不完全性定理」の雑な取り扱いが気になるので、それだったらいっちょ身近なところで啓蒙だ!というわけで、無謀にもおっぱじめちゃったのです。これ、本当に無謀な試みで、本当は述語論理(証明論とモデル論の初歩)くらいはやっとかないと……なんですが……まあ、それも随時並行してレクチャーする、という感じになると思います。

何か、自分のことばっかり長々と書いてしまいました。ごめんなさい。
はやし 2005/06/11(Sat)09:40:00 編集
自分のことを語るのに手一杯で、肝心の聞かれていることに答えていませんでした。

何がしかのものを読むとき、それが「作家」タイプのものなのか、「学者」タイプのものなのか「読む前に判断したり振り分けたりしている」のか、とのことですが、まず何らかの予断があり(たとえば、それが『思想』に載っているのであればまず「学者」の書き物であろうけど、『現代思想』の場合は予断を許さない……とか)、その予断に引きずられながらも修正、という感じでしょうか? ただ、「ブラインド・リーディング」(それを書いたものの名も、掲載誌名も分からないように、書いたものだけが供される)のようなことをしたとしても、「作家」は「作家」の、「学者」は「学者」の読み方で読んじゃうと思います。とはいえ、ぼくの「作家/学者」の区別が前述のようなものなので「そりゃそうだろうよ」ってなことでしょうが。
はやし 2005/06/11(Sat)09:50:00 編集
なるほど、「問題系」という言葉はいいですね。例えば、フッサールの場合、師匠のカール・シュトゥンプが考えた心理学的問題系と決して無縁ではないと思うのですが。というか切り離せないような。もちろん、フッサールの思考をその問題系に還元しようとは思いませんが。一回、「論理学研究」に挑戦してみたのですが、未だ手が届かない、という感じです。ところで、学者の系譜という問題はいかがでしょう。学派(school)というのは大事だと思うのですが。或る学派が途絶える、ということは、その学派が考えていた問題系が良かれ悪しかれ恐竜の如く死滅するということだと思うのですが。

やっぱり頭のチャンネル切り替えてますよね?当たり前かもしれませんが。学術書を読む時、小説を読む時、電子レンジのマニュアルを読む時、等々。そういう風に切り替えて読んでいると思うのですが、とはいえ、一度、頭にインプットされると良かれ悪しかれぐしゃぐしゃに共有している場合も考えられます。いやいや、電子レンジのマニュアルが他ジャンルのものと共有するかどうかは分かりませんが…

>よもやこのコメント欄でロビンソンの名前が出るとは!

やはりこのコメント蘭で出さなければ、と思われたわけです。それ、「Non Standard Analysis」を私も持っているのですが。というのも、Modern Leibnizianとしてのロビンソンが気になるからです。と、これ以上は書けませんよ。未消化なんで。旅仕度が整っているだけですから。御免ください。いろいろ気になるものがあるのですが未だ勘程度です。ロビンソンの名はJerome Keislerの&quot;elementary calculus&quot; て本で知ったんですけど。ネットで無料で置いてありますが。それで、いろいろ調べてみると、様々な分野で業績残していたことが分かり…。とはいえ、ロビンソンに「全集」が刊行されているなんて知りませんでしたよ。何巻あるのですか?いずれにしろ、現代に於いてロビンソンの名を知らずしてライプニッツを語るなかれ、なんて言ってみたくなります。

ところで突然ですが、文部科学省よりも「建設省」ならぬ「翻訳省」があればいいのにな、と思う時あるのですが。どうでしょう?
久留間 徹 2005/06/12(Sun)22:03:00 編集
「学派」というよりも、ある問題系がどのように選考する世代から受け継がれ、または作り変えられ、そしてそれがどのように次世代に伝わっていくのか、という、「問題系の系譜学」のようなことは当然気になりますが、明確に「〜学派」と銘打った人たちだけが気になるわけではありません。久留間さんも、あるいは、自称他称を問わず「〜学派」と明示的に名指される場合のみを問題にしているのではないのかもしれませんが、ここでは斯様な「明示的学派」にとりあえず話を限定してリプライすれば、ある学派が滅びたからといって、そこで共有されていた問題系までもが連れ立って滅びてしまう、とは思いません。一例を挙げれば、たとえば「ウィーン学団Wiener Kreis」と呼ばれた集団は費えさって久しいですが、その問題系は今でも、俗に「分析哲学」と日本では呼ばれることが多い人びとのあいだで脈々と生き続けています。もっとも、この人たちこそWiener Kreisの血脈を引く「分析哲学派」なのだ、と言えば、そうかもしれません。

誰しもごく当たり前に(とまで言うのは言い過ぎか?)、読むものによって頭のチャンネルは切り替えている、と思いますね。ただ、そのチャンネルの切り替えというのが、必ずしもその読む書物のfunctionになっているとは限らず、書物外の情報(たとえば、この著者の前の書き物はこんなだった、とか、世評であるとか)が、そのチャンネルの切り替えに少なからず与っているのではないか、とも思います。

それでは、そのようにしてプールされた情報はどうなっているのか? これは脳内での情報の局所性/遍在性なんていうことと絡めて考えたくもなるのですが、ざっくりとした主観としては、多少入り混じっている面もあるが、大体は区分けされている、と言ったところでしょうか(いや、そうでもないかな?)。

それで、ロビンソンの「全集」についてなんですけど、ごめんなさい、「全集」ではなく&quot;Selected Papers&quot;でした。しかも、全3巻のうち、ぼくが所有しているのはモデル論関連の論文を集めた第1巻と超準解析および哲学に関する論文を集めた第2巻だけ、でした。ただ、Selectedとはいえ、単行本で出されている以外のロビンソンのマテリアルはほぼ完録、らしいです。それにしても、「ロビンソンの名を知らずして……」とは過激な発言ですねえ。それにはぼくも「そうだ! そうだ!」と声を連ねたいと思いますが、実情はどうなんでしょうね。案外、ロビンソンの名前だけはみんな知っている、ということもありそうな気がします。でも、分かりません。

「翻訳省」というのは、どういう業務に携わるところですか? 1つには「こういう書物・論文があるらしいが、これを訳したらどうか?」という、翻訳すべきものの策定作業に、もしくは、すでに為された翻訳について、諸々の指導(この翻訳はあまりにもヒドイから流通差止め)に、もしくはその2つながら、と考えられますが、前者の「翻訳紹介されるべきものの策定」に関してはともかく、翻訳されたものについてのチェック機構というものは、もうちょっとちゃんと機能するべきだな、と思います。出版社の編集者なども、「大先生」に気を遣うことなく、「ここの訳、おかしくないですか?」ともっとでしゃばると、事態は随分違うと思うのですが。
はやし 2005/06/13(Mon)02:22:00 編集
先のコメントの出だし辺りで、「選考」となってしまっていますが、「先行」のことです。脳内変換お願いします。
はやし 2005/06/13(Mon)02:32:00 編集
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