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先日ネットをうろいついていたら、ゲーデルの不完全性定理についてまたしてもトンデモないことを言っている人を発見した。ここは、かがみさんの至言
とんでもの人に一生懸命「それは違いますよ」と説明する良心的な人もたくさんいる訳ですが、これははっきり言いまして時間の無駄です!!(かがみさんのとこの「とんでもの諸相」より)
に従って「ああ、またか」とスルーしておくのが「大人の対応」なのかもしれないが、立場上(?)やはり何か言っておかねばなるまいと思うので、一言しておく。なお、上記記事のゲーデルの不完全性定理をめぐる部分は、あくまで「人の言ってることに反対するための便法」であって、素でそういうことを言っているわけではない可能性もないではないが、ここでは「素で言っている」ことを大前提として話を進める。
まず、くだんのトンデモさんが不完全性定理についてどのようなことを言っているのか、該当部分を見てみよう。
ゲーデルの不完全性定理は世界は矛盾していることを証明している。それを受け取れるかどうかがうすらバカとそれ以外とを隔てる分水嶺となる。それはルビンの壷に似ている。ルビンの壷が人の顔を描いてないのにそこにそれを感得させるように、ゲーデルは数学の証明をしながら世界の実相についても証明してみせた。「ゲーデル、エッシャー、バッハ」はまさしくそのルビンの壷的にゲーデルやエッシャーやバッハが描いた世界の実相を読み取ろうとしている本である。そのことを感得できないことこそが真のうすらバカである証左。
「ゲーデルの不完全性定理は世界は矛盾していることを証明している」? ほんとうに、何をどうすれば、不完全性定理をそのように解釈できるのか? 上の引用文からもうっすらと読み取れることではあるが、この人の不完全性定理のネタ元は『ゲーデル・エッシャー・バッハ』のみで、そこに書かれている不完全性定理についての断片情報を元に、妄想を逞しくしてしてしまっただけなのではないか? そうも思わせられる(ちなみに、『ゲーデル・エッシャー・バッハ』だけを読んだぐらいで不完全性定理について理解した気になるのは、ひじょうに、ひじょうに危険なことだと思う。『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は、なかば意図的ではあろうけど、かなり混乱した書かれ方をされており、ゆえに、不完全性定理について誤解を与える余地がかなりある)。何はともあれ、ひじょうにザッパクにではあるけど、不完全性定理の言うところに耳を傾けてみよう。
算術を含む形式系において、そうした系が無矛盾であれば、じっさいには真であるにもかかわらず、その証明も反証もできない命題が存在する。
これが、俗に「ゲーデルの第1不完全性定理」と呼ばれるものである(そして、そういう証明も反証もできない命題には、そうした系自体の無矛盾性を主張する命題も含まれる。これが、第2不完全性定理である)。さて、この不完全性定理の主張をプレーンに受け取り、そしてここから「世界は矛盾している」という主張を導きだすにはどうすればよいか? それには、少なくともつぎのふたつの用件が満たされる必要がある。
- 「世界」が完全に形式化されている
- 算術を含む形式系は矛盾している
第1の条件は、実際的に考えればまず不可能、理論的に考えてもはなはだあやしいもの、と思われる。つまりこの時点で、「世界」に関する不完全性定理の適用の途は、じっしつ閉ざされる(もしかして、くだんのトンデモさんは、この「世界が形式化されえぬこと」を以て、「世界は矛盾している」ことを思い浮かべてしまっているのかもしれない。しかし、そもそも形式化されていないようなことについて「矛盾している」だの何だのと言うことは、不完全性定理が立脚する地点からすれば、端的に無意味であろう)。
第2の条件は、くるるさんがいみじくも指摘されているとおり、これが成り立つとする解釈は、ゲーデルの真意からは限りなく遠い、と言わざるを得ない。念のため、ゲーデル自身の語るところを見ておこう。
「古典的集合論の概念や公理は何らかの意味(あるいは確定的な意味)を持つ」ということを否定するような人(たとえば、直観主義者のような)のみが、こうした解答(はやし註: 「連続対仮説には最終的な解はない」という解答)に満足できるのでしょう。しかし、集合論の概念や公理が、はっきりと確定された現実を描いていると信じるものにとっては、そうではありません。なぜなら、そうした現実においては、カントールの予想(はやし註: 連続対仮説のこと)は真か偽かどちらかではならないのですから。(ゲーデル著作集第2巻181ページ)
言うまでもなくゲーデルは、「集合論の概念や公理が、はっきりと確定された現実を描いていると信ずるもの」であり、したがって連続対仮説は真か偽のどちらかとして決定しうる、と考えていた。そもそもゲーデルは、数学において「解けない問題」など存在しないと考えていたのであって、「算術を含む形式系は矛盾している」どころのさわぎではない(もし、数学の無矛盾性を担保しつつ、「世界が矛盾していること」を主張するのであれば、そうした主張と不完全性定理との関わりなどもはやないも同然だろう)。
これだけで、不完全性定理から「世界は矛盾している」という主張を導きだすことの無理無体さ、あるいは、そうした試みを為す人の「大バカ」さ加減(「うすらバカ」どころの話ではない!)が明白だとは思うが、最後にもう一点、「数学上の言明」と「世界」の聯関についてゲーデルの語るところを引いて、このあまりに長くなってしまったエントリを閉じることにしよう。
……数学の命題は、時空内に存在する物理的あるいは心理的現実については、何も語りません。なぜなら、数学の命題はそこに現れる語の意味によってすでに真であり、そこに実在物の世界はまったく関わってこないからです。(ゲーデル著作集第3巻320ページ)
つまり、中間のいろいろな議論をすっ飛ばして、不完全性定理から「世界」なぞというものに関する言明を引き出してしまうこと自体、すでにしてすっとこどっこいなのだ。
追記
このトンデモさんが他に不完全性定理について書いているものを見て、この人は「非決定性」と「矛盾」を混同しているんだな、ということに思い至った。ともあれ、くだんのトンデモ発言は、「反対のための便法」などではなく、まったくの素であることはまちがいないのではないかと。
そもそもそういう偏狭なイデオロギーにすがらざるを得ないこと自体が可哀相といえば可哀相なのです。そして、そういう偏狭なイデオロギーにすがるのはおそらく理由があり、その理由たるの多くは、「金持ちのものとしての哲学」とは正反対の、「貧困としての宗教」のようなものかと。
ただし、否定しないでそっとしておいてあげられるのは、あくまで社会に害悪をばら撒かない限りにおいてということでしょう。
流布された トンでもの水源が、そりゃ大学のHPなら、それはそれで重大な事態ですから、それをちゃんと修正させた かがみさんには敬意を表する次第です。
ところで、ト系相場師さんなのですが、なんと数理ファイナンスを大学で教えておられるとか。
出版された本を読む限り、相場を張るという観点からは、少なくとも誤ったことは書いてありません(ある意味、当たり前の羅列)でしたので、僕はあのご仁は害悪なしと判断しています。
おそらく、ト系相場師さんは、金銭の対価として 相場を教えると称して、実はあやしげな「壷を売る」なんてことはされていないと思っています。
但し、その相場の著書の中で、学術的に定まった使い方しかない「十分条件」について、「明らかな誤用(それも一方では「必要条件」が正しく使われているにもかかわらずにです。ゆえにこれは単なる修辞に過ぎないという言い逃れは不可能であり、実際、「十分条件」の学術的意味合いを知らないのでしょう。)をされていたのは流石に気にはなりました。大学で教鞭をとられているにしては、あまりにもお粗末かなと。
ただ、もう私の場合、現在の日本の大学の多く、特に文系の99%は、教育機関でも研究機関でもない 専門学校のようなものとまで思っていますので、まあ、こんなもんでもいいのだろう と「十分条件」の件についてはスルーすることにしました。
まずもって、とんデモさんのブログを読んでみるにマンガと芸能関係の話は満載ですがほとんど何一つと言っていいほど学術的な話は出てこなかったですね。
特に理系の話は皆無。
こういうのも何なのですが、僕でも笑ってしまうこのゲーデル「ネタ」に対し、まともにとりあう必要はさらさらないと思いますよ。
そのレベルのことですから、くるるさんが抱いておられる 「とんデモが散布される懸念」も 全くの杞憂かと。
はやしさん
>不完全性定理のネタ元は『ゲーデル・エッシャー・バッハ』のみ
についてですが、
多分、ゲーデル・エッシャー・バッハ は 読んでおられないですよ。
読みきれる力量があるなら、普通に考えて、GEBの周辺にあたるような話題が、もっと書いてあってしかるべきです。
あの本は、本当に素人には難しいんです。
多分、誰かの書いた書評の一部でもうろ覚えされているのだと思います。
確かに件については、最もゲーデルの悪用の見本ではあるのはまぎれもない事実でしょう。
このエントリは、盟友のくるるさんがそれなりに おかんむりの様子なので、その援護射撃的にあえて書かれたものと思いますが、まあ、あんま、(はやしさんもくるるさんも)相手にならんのがよろしかろうかと。
まあ、あの書きっぷりを拝見するに、他にすることがなくて仕方がないって感じで、他にすることが沢山ある人が相手にすべき人でないのは明々白々かと。
いかなる挑発にも乗らないに限ると思います。
むしろ、私のような素人が幻惑されて困るのは、かがみさんが大学に指摘されたような感じの 手がこんだ とんデモであります。
こっちのような大物の摘発こと、はやしさんやくるるさんやかがみさんのような玄人の人に真に求められることだと思います。
まず、この手のトンデモさんは放っておくにしくはなし、ということについては、基本的にはぼくもそう思うんですが、ただ、この方の場合、くだんのページを見ていただければ容易に分かるとおり、それなりにページヴューがあるんですね。ということは、下手をすれば(いや、下手をせずとも)「大学の先生」がウェブ上にアップしている解説ページなぞより閲覧者が多く、ゆえに、不完全性定理についてのこのような愚にもつかない「解釈」(じっさいには、解釈にも届かないような「思い込み」であるので、カッコで括ります)が広まってしまう「害悪」は、それほど低く見積もれない、と思います。それでもぷっつん大吉さんは、「そうしたページを閲覧している人はそれぐらい分かるだろ」と言われるかもしれませんが、ぼくはそこまで楽観的にはなれません。もっとも、あのページを見ている人と、このページを見ている人は、かなり分断がありそうなので、こんな僻地でいくら正論を叫んでも益ないことかもしれませんが、とはいえ、やらぬよりはまし、です。
あと、GEBについては、あのトンデモさんが通読しているか、と言うと、それはまったくもってあやしいとぼくも思いますが、断片的に読み、そこからあらぬ妄想を涵養させちゃったのではないか、と思っています。ともあれ、あの人のなかにはまず「世界は矛盾している」という「思い込み」があって、そうした「思い込み」に強引に引き寄せるかたちで不完全性定理が召還された、というのは、まあ、たぶんそうであろうな、とぼくも思います。
あ、確かに凄いアクセス数ですね。しかも、内容があの程度でそれが可能ってことは、まずは「●●障害」を疑うべきでしょう。
人をひきつけて、かき回すことの天才ですからね。
そして、結構人と人を分断することについては天才だったりする。
くれぐれも、ご注意ください。
はやしさん、くるるさん。
ともあれ、ぼくの領域とはあまり噛み合なさそうですし、しかも、はてなははてな内だけで完結するきらいがありますので、とくに注意するようなものではないように思われます。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081116/1226812949
で、トンデモさんの現在のところの最新記事ですが、あれはぼくてっきり、トンデモさん自身の「負け宣言」のようなもの、と読んでいましたが、これはちと人のよい解釈、かもしれませんね。
皆さん、●●でも を肴に 酒ですかあああ?
ナンチャラ電力とか××ガスのような公益法人や官庁
でも、●●でも は 問題ですよ!
国民全体が害悪を こうむりますからね。
国が倒産してからトップが ○○デモだったと非難しても…昔の生活は戻ってこない。これ現実。
まあ、ナンチャラ電力とか××ガスのような公益法人や官庁
の場合、上から下まで誰もかもが、とん●●だったりするので、今更がたがた言っても始まらんというはありますが・・・・・。
ナンチャラ電力とか××ガスのような公益法人や官庁の場合、とん●●を指摘しただけで、はい左遷、これこそ「役所の掟」です。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062562057/
aurelianoさんの記事は問題外であり、結論の正しさについて異論はないので、これは単なる茶々なのですが・・・(面倒なときに申し訳ありません)。
原則1について、世界が部分的にしか形式化されえなくても、そこで矛盾が起これば、「世界は矛盾している」といいうるのではないでしょうか。特に、はやしさんはプラトニズムに親和的と伺いましたが、プラトニストにとっては
1.数学的対象は、人間の心の状態とは独立に存在する
2.「世界」とは、人間の心の状態とは独立に存在するものの集まりである
3.従って、数学的対象(さらにゲーデル数でコーディングされた公理系も)も「世界」の一部である
4.数学が「もしも」矛盾していれば、「世界」も矛盾している(「矛盾を導く証明のゲーデル数が数学的対象として「世界」の中に存在している」という意味で)
と、無理やり論じることも可能なようにも思えます。
また、「世界」のメタ論理がプリースト流の矛盾許容論理であると考えれば、数学や世界が矛盾しているという言明そのものはそんなべらぼうなアイディアとはいえないかもしれません。
原則1については、たしかにそう言えますね。ただ、これは原則1にかかわらない、aurelianoさんの論じ方一般に関わってくることですが、「世界」というのがいまひとつ何を指しているのかよく分からないんですよね。だから、「世界の形式化」というのも、自分で書いておいてこう言うのもなんですが、よく分からないところがあり、ゆえに、その形式化ヴァージョンが矛盾していたとして、そこから当の「世界」が矛盾していると言えるのか、それもよく分かりません(そういう場合はふつう、「だから世界は矛盾している」という方向よりも、「形式化に何か問題があるんだな」となると思いますし)。
プラトニズムに関しては、親和的と言うか、「世間一般で言われているほどゲーデルのプラトニズム、ひいてはプラトニズム全般はそんなに荒唐無稽なものでもないように思えるから、いっちょここは肩を持つか!」程度のもので、果たしてどこまで心底コミットしているのか自分でもあやしいところがありますが、それはともかく、プラトニズムを前提とした「世界が矛盾している」ことへの理路について言えば、やはり「あっち」と「こっち」のつながりをどうするかがむずかしい、と思われます。
まず、ゲーデルが考えるプラトニズムを前提にすると、「これは、たしかに、ひどい」でも引いたように、彼自身は「あっち」と「こっち」のつながり、とくに数学的対象と物理的対象のつながりというものを認めていない。さらに、ytbさんが示された理路に則って言っても、ある何かと何かが等しく人間の心から独立に存在するにしても、それら同士の関係性(とくにこの場合では、数学的対象が「世界」に含まれるという関係)については、とりあえず未知のままとどまります。
そして最後に、「数学が(もしも)矛盾していれば」の部分ですが、これはゲーデル自身、あるいはもっとひろく、数学者一般はそうは考えていないわけで、さらに、aurelianoさんは不完全性定理を「数学は矛盾している」ということの根拠にしてたりするわけですから、まあ、何をかいわんや、です。
だから、プラトニスト的視点に立って、最大限「世界が矛盾している」ことを示す方向で考えても(そして、不完全性定理の「世界は矛盾している」ことへの関わりをいっさい度外視しても)、上記の2点により、それ自体なまなかなことでは示せないだろうな、というように思えます(って、こんなことを言わずとも、分かってらっしゃること、と思いますが)。
で、ですね、じつはパラコンのフレームワークを使って、aurelianoさんの主張をかりそめにでも「擁護」できないかな、と思い、ちょっと(3分ぐらい)考えてみたんですが、パラコンってのはそもそもの前提として「矛盾がある」という状態を仮定しているので、「〜は矛盾している」ということを示すにはまったく持って使えない、んですよね(いや、じっさいそういう使い方ができるのかもしれませんが、ぼくは寡聞にして知りません)。ゆえに、「世界が矛盾しててもだいじょうぶ!」ということを言うのには使えるかも分かりませんが、aurelianoさんの主張を擁護するのにはまったく使えないのではないかと思われます。
彼だけじゃないですよ。そんな人は。
世間の人の言葉の使い方はその程度に乱暴なものですよ。
>くだんのトンデモ発言は、・・・まったくの素であることはまちがいないのではないかと。
ええ、だから、くるる氏が怒るのは実はちょっとおかしな対応なんですね。彼のいう「矛盾」は、くるる氏の考える「矛盾」とは異なるわけですから。
実際議論が噛み合わなかったのは、双方とも言葉の用法が違っていることに気づかなかったからかと思います。(例えば、エビちゃんこと蛯原友里がViviのモデルだと主張する御仁に対して、普通はCanCamをViviと取り違えたんだろうと思うわけだが、実は当人が相沢紗世ちゃんをエビちゃんと取り違えてたなんて可能性もあるわけで・・・え?この喩えはよく分からない?そうですか、それは残念・・・OTL・・・えーと、両者については以下の動画を見られたし。赤がエビちゃんで、黒がさよちゃんです。
http://jp.youtube.com/watch?v=RNr8WOURX48&feature=related)
1) ゲーデルの不完全性定理を語るのに、この「矛盾」の意のとりちがえは致命的である
2) さらに、そうしたまちがった理解が、人を批判する根拠になっている
ということになると思います。(2に関しては、ぼくははてなのノリというのがよく分からないので、もしかしたらそうした「批判」に衣を借りた「じゃれあい」の一種なのかな、とも思わないでもないのですが、aurelianoさんの行間から滲む「必死さ」から鑑みるに、そういう「じゃれあい」ではないと、ぼくは判断しました)
だから、たんじゅんに「矛盾」と「非決定性」をとりちがえていたぐらいだったら、まあそれほど大したことではないのですが、上記2点、とくに1点目を考えると、くるるさんがあれほどまでに怒るのも無理はないのではないかと。
で、通りすがりさんの出された、「異なる指示対象を同一の名辞で語ること」という例なんですが、これ、言語哲学的にはけっこう興味深い問題で……ってのは、ちょっとあまりにも飛躍しすぎですね。(ちなみに、蛯原友里さんに関しては、たしかハンバーガー屋さんの広告で見たことがあると思うのですが、相沢紗世に関してはまったく存じ上げませんでした。いや、けっこう日本を離れているもので、ここいらに関しては相当疎いのです。って、日本にいても、おっつかっつかも、ですが)
玄人にはね。おそらく解雇されるでしょうw
でも素人は別にそれでメシ食ってるわけじゃないので、痛くも痒くもないんですよ。
彼らは数学に対してはちっとも必死じゃないわけで。
>2) さらに、そうしたまちがった理解が、人を批判する根拠になっている
個人的にはゲーデルの不完全性定理について講釈するより前に、こういうべきではなかったかと思う。
「自殺を止める人に対してどう思うのも勝手だが、それはゲーデルの不完全性定理とか”世界は矛盾している”とかいうことと関係あるのかい?ないんじゃないかい?」
aureliano氏の文章を読めば読むほど
「結局、ゲーデルの不完全性定理とかGEBとかって言ってみたかっただけなんだな」
と思うので、ほうっておいてもよかったと思う。
事実、私も はやしさんに、こっぴどくやられたことなんて何回もありますよ。(笑)
(はやしさんのブログのリーダーで、とある大学生の方がいらっしゃいます。
はやしさんも、結構その方にも、きついことを指摘されますが、私がその大学生の方を見ていて凄く偉いなあと思うのは、たとえきついことを言われても、言われることが自分の糧になることをよくよく理解されていることです。)
今回のことは、それが来た以上でも以下のことでもなく、「それが来た以上のことではない」のは、aureliano氏のブログの記事のアップが以前のごとく淡々と進んでいることが何よりも示しており、今更突っ込みの是非について云々言うのも無意味なことかと思います。
そして、くるるさんも、あれ以来何もおっしゃってはいないですし、はやしさんもしかりです。
くるるさんやはやしさんが書かれた事実の裏に、aureliano氏のリーダー数を減らそうとかいった悪意に満ちた企図が無いのも明白ですし、まあ、このへんでこの話は、おひらきということでよろしかろうかと思います。
ただ、とんデモというのは、ソーカル事件を見ても分かるように、あまりにも長時間放置すると、時間的に経てば経つほど社会的害悪が広がり、相当な時間の経過後に本格的にそれを指摘すると、あたかも核戦争のような事件に発展するものです。
何十年もフランス哲学がええ加減な数物の記述をやったにもかかわらず、本格的指摘がなかったゆえにか、のちのち、かなりの大事に発展しましたね。
確かに素人というのは、誤用乱用か否かってのも正確に理解できませんので、aureliano氏にすれば、「急にステルス戦闘機からトマホークを打ち込まれた」ような気分になられたかも?しれません。でも、実際、起きたことは、せいぜい、発砲も無いスクランブル発進程度のことですよ。
そして何よりも、こうやって、数学の誤用乱用について発見次第とりあえず突っ込みがあったということは、長時間放置された結果それが増幅しその後大事に発展するよりは、余程指摘する側にも指摘される側にも 幸いなことだったのではなかろうかと思います。
>何らかの間違いにたいしては、それを「間違いである」とそれなりの信憑性を以て判定できる各個人が、その都度、出来うる範囲で「それまちがってるよ」と言いつづけるしかないのでしょう。
なぜ「正しい理解が広まってほしい」といわないのでしょうか?
なぜ「正しくは・・・である」といわないのでしょうか?
もし、「正しいこと」を説明し広めるのが面倒だと思ってるなら、誤解による脅威なんていくら口でいっても、本気じゃないってことですよ。
>「正しい理解が広まってほしい」ということをもとうぜん含意する
残念ですが実際の行動を見る限り「当然」とは思えませんでした。
>「誤解の延焼を塞ぐ」ということは、「正しくは……である」との言明を伴うのですし
残念ですが相手にそれが理解できたとは思えませんでした。
>「正しい理解を広める」ということは、それはそれとしてやっているつもりでもある
残念ですが、結果としてはできていないといわざるを得ません。
理解できない人になったつもりで考えられないなら、相手をしないほうが良いかと思います。いかがですか?
実際通りすがりさんの言い分はある程度は理解できるところはあるのですが、それがはやしさんの行動に該当するかというと全然別問題のように思います。というかこのやりとりを続けることのほうが、通りすがりさんのいう「放っておいたほうがよかった」というまさにそれに当てはまるような気がするのですが。
けっきょく、通りすがりさんとのやりとりは、「これ以上つづけてもやりとりがループするだけだな」(今の時点での通りすがりさんの最終投稿で提出されている疑義については、すでに答えられている)と思ったので、「ほうっておく」ことにしたけど、個々の論点、つまり「もし、『正しいこと』を説明し広めるのが面倒だと思ってるなら、誤解による脅威なんていくら口でいっても、本気じゃないってことですよ」というとこや、「理解できない人になったつもりで考えられないなら、相手をしないほうが良いかと思います」というとことか、色んな意味でひじょうにアヤシイ、つまり、「んなことないんじゃない?」と思ってることを、最後の補足として付け足しときます。
今頃、お気づきになられましたか?
>「これ以上つづけてもやりとりがループするだけだな」
ループさせているのは貴方であって、私ではないことに気づきましょう。
つまりあなたが「自分は自分のいっていることを実践していないかもしれない」と思えば、ループにはならないのですよ。
それを認めたくないあまり、ループしたいのであれば、どうぞご随意に。
そうですか。
>それがはやしさんの行動に該当するかというと全然別問題のように思います。
良いと思ってやったからといって、良い結果になるわけではありませんよ。
>このやりとりを続けることのほうが、通りすがりさんのいう「放っておいたほうがよかった」というまさにそれに当てはまるような気がするのですが。
偽善者が自らの偽善を認めるわけがない、という意味ではそうでしょうね。
「通りすがり」にしては、かなりシツコイなあ。
ええ加減にしとかんと、しまいに「通りすがりの頭の悪さについて」っちゅうエントリ、はやしさんに立てられてもしらんでえ。
わざわざみんなに花道、ちゃんと用意してもうとんのも分からん あほみたいやな。
どこの 大学出とんね。
灯台か、鏡台か。
まあ、そんでも、わしほどあほやないみたいやな。
いちおう、げえでる ちゅう言葉くらいは 知っとるみたいやし。
そんでも、人ちゅうのは「学」だけやないで。
雰囲気読むちゅうのは、いくらガッコ行っても教えてくれへんわなあ。
雰囲気読んで、みんなが花道つくってくれたなあと理解すんのも能力のうちやで。
なんやったら、あほさ加減、わしと勝負してみるか?
最後にひとつええこと教えといたるわな。
「>」は、将来ここで書くことがあったとしても、極力使わんほうがええで。
論旨全体に反論をかかずに、あげ足とっとるって、頭がええ人はみんなそう思うさかいにな。
乱発してる奴見てみい。お前だけやろがな。
ええな、そこの子供分かったな。
ほんま、気いつけな。どこの餓鬼か知らんけど、ママのとこに帰ってミルクでも飲んどきな。
ええな、そこの子供分かったな。
はよう、ちゃんと、ママんとこ帰るんやで、分かったな。分かったな。分かったな。
「ループさせているのは貴方」……これもちょっとちがいますね。ぼくが言っていたのは、ぼくと通りすがりさんがやりとりをつづけても、そのやりとりはループしちゃうだろうってことで、「誰がループさせてるのか」ってことで言えば、ひとりぼくだけのみならず、通りすがりさんも「ループの加担者」ということになると思います。ただ、通りすがりさんは、ぼくがすでに答えたことについて再度質問を(あらたな論点を付け加えることなしに)重ねていたりするので、どちらかと言うと「ループさせてるのは通りすがりさん」と言っちゃってもいいんじゃないでしょうか? それでも「ループさせてるのははやし」と言いたいのであれば、ぼくがどういう点で何を実践できていないのか、具体的に示してもらえませんか?
あと、通りすがりさんが言われているのは全体に、「それなりに普遍妥当的」なことではなく、「たんなる趣味の押売り」のように思われます。そういう意味では、ぼくが通りすがりさんの言に対して言えるのは「ああ、そうですか」ぐらいなもんですねえ。
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