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Wiredのエディターであるクリス・アンダーソンがやってるブログLong Tailを見てたら"LONG TAIL VS. LESSIG"という記事が目に止まった。
Long Tailっていうのは、そもそも統計学用語で「Zipfの法則」とか「冪法則」とか呼ばれてるものの口語的な言い方で、「最頻な事象は、全事象のうちの2割程度のものが占めるに過ぎず、残りの8割の事象は頻度的には全体の2割を占めるに過ぎない」ってことなんだけど、これを市場というものにあてはめると、「売上げの8割は、全商品のうち2割が叩き出している(そして、残りの8割の商品は売上げの2割を占めるに過ぎない)」という感じになる。
それをアンダーソンがWired紙上で換骨奪胎して、「全体の売上げの2割を占めるに過ぎない8割の(往々にしてニッチな)商品も、その市場がたくさんあれば、売上げの8割を構成するヒット商品に匹敵するようなポテンシャルを秘めている」ということを表すものに仕立て上げたんだな。
そしてインターネットというのはこうしたLong Tailを実現する絶好の場である、というのはすぐに認められると思う。実店舗と違って、商品の「陳列」はほぼ無限とも言えるぐらいに出来ちゃうから、「実際だったら店に置かないだろうなあ」というようなニッチな商品も、他のヒット商品と並べて「陳列」出来る、という具合。
で、こうしたLong Tail的状況を考えると、次のようなレッシグの発言は「どうなのよ?」ってことになる。
人間によって作られた全ての創造的作品の内、ごく少数のものだけが商業的価値を持ち続ける。その小部分にとって著作権は、決定的に重要な法的手段であり、「創造的作品を制作し流通させよう」ということのインセンティヴとなる。著作権は「自由な表現の駆動力」として機能するのだ。
だが、そのような小部分にとってさえ、そうした創造的作品が商業的生命を保つ実際の期間というのは非常に短いものだ。以前私が示したように、ほとんどの本は1年以内に絶版になる。同じことは音楽や映画にも当てはまる。商業文化はサメのようなものであり、常に動き回っていなくてはならない。そして、創造的作品が商業的流通から外れると、その商業生命も終わってしまう。
これに対して、似たようなことについて語ったアンダーセンの言葉は、こう。
Long Tailの見方に立てば、どんなものでも市場に見つけられる、ってことになる。昔の商品も、古いアルバムも、昔っからのファンによってずっと支持され続けたり、新しい人によって再発見される。ライブ録音も、シングルのB面も、リミックスも、カヴァーソングさえある。「ジャンルの中に存在するジャンルの中に存在するジャンル」というように、何千ものニッチが存在する。80年代のヘアーメタル(訳者注:シンデレラとかラットとかL.A.ガンズとかね)とかアンビエント・ダブだけ売ってるタワーレコード、ってのを想像してみてよ。かつては輸入版のコーナーで高値で売られていたような海外のバンドや、何だかよく分からないレーベルの何だかよく分からないバンドだってそこにはある。で、そういうものの大抵は、現実ではタワーレコードへの流通経路なんてもってないんだよね。
要は、レッシグ的な見方を採れば、「商品の市場における生命ってのは大抵短いものなんだから、そうした商品を著作権で保護し続けるのは間違っている」ということだし、Long Tail的な見方を採れば、「インターネットの普及により、ニッチ市場への消費者のリーチがたやすくなった今、商品の市場生命はかなり長くなっている」ってことになる。
アンダーソンは「だから著作権で商品を保護し続けるのは間違っていない」とは言っていないけど、そうした結論は上述のところから容易く導き出せうる。
じゃあ、やっぱりレッシグの見方とLong Tailの見方は衝突するんだろうか?
「いんや」とアンダーソンは言う。
というのも、アンダーソンによれば、商品が長く市場価値を持ち続けるのは、その商品の直接の作り手以外の人たちが、新たにその商品に価値を与えているからで、Long Tail的な見方から言っても、最初の製作者に著作権が排他的長期的に与えられている現状は認められないから。
だから、レッシグ的な見方にしても、Long Tail的な見方にしても、結論は同じなんだけど、そこに至る道のりが違う、ということになる。レッシグはある商品に商業的ポテンシャルがなくなったと見るがゆえに、Long Tailはその商業的ポテンシャルが多様化したと見るがゆえに、現行の著作権制度にNOを唱える。
ぼくにはどちらかと言えば、アンダーソンの見方の方が、魅力的に思えるな。だって、「出来合いの商品」という既存の価値を受け取るだけの受動的な存在ではなく、「新たな価値」を商品から引き出す能動的な存在として商品の受け手を捉えてるからね。
創造としての消費、あるいは消費としての創造。
って、まあ、こういう見方自体が、「単に消費者を踊らせ、さらなる消費に駆り立てる駆動力」となる危険もなきにしも、だけどね。
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