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前回まででブラウン著Philosophy of Mathematicsにおける、「連続体仮説がまちがっている」ことのひとつの「説明」を見たが、そこでの議論は、「集合論をすこし齧ったことがある」という程度のおれのような人間にも「この議論の運びって、ありなの?」という疑義を出来させずにはおかないものであった。今回は、そうした「疑義」を指摘しつつも、そうした「穴だらけ」と思える「説明」の「功徳」とでも言える点を、せいいっぱい擁護したい。

ブラウンの議論における最大の瑕疵は、まず何と言ってもその「整列」概念の捉え方にある。この点に関しては、こちらのコメント欄でのかがみさんによる懇切な解説を参照してもらいたいが、かいつまんで言えば、ブラウンはその議論において、ふたつの「整列」概念を混同してしまっている。具体的には、ブラウンのように議論をすすめるためには、集合を整列させる順序がはっきりしている必要があるのに、選択公理に拠った「整列可能定理」によって「ゆえにこの集合は整列可能」と言うだけ(つまり、いまだだれも具体的に措定したことがないような「エキゾチック」な順序を仮定したうえで)で話をすすめている。しかし、これではブラウンが望む結果(ある整列集合の切片は、元の集合の濃度よりも低い)は出てきようがない。

さらに、かりにブラウンによる整列を認めるにしても、それはそれで困ったことになる。つまり、議論は「確率論」もへったくれもなく、ただちに決されてしまうのだ。件の議論においてブラウンは、「ある整列集合の切片は、当の集合じしんよりも低い濃度を持つ」と言った。前回での例で言えば、濃度 \(\aleph_1\) である範囲[0,1]に関して、範囲[0,1)における任意の切片は \(\aleph_1\) 未満の濃度、つまり可算濃度を持つ。しかし、範囲[0,1]が可算ではないことを示したのとまったく同じ論法で、範囲[0,1)における任意の切片は可算ではないことが示せる。ゆえに、範囲[0,1]の濃度は、少なくとも \(\aleph_2\) でなければならない。つまり、連続体仮説はまちがっている……。

しかしながらこの議論は、繰りかえしになるが、あくまで範囲[0,1]が「きちんと」整列されるかぎりにおいて、有効な議論である。議論がそこでこけるとすると、S⊂RなるRの真部分集合がRと同濃度を持つことは、何の不思議もない(ちょうど、自然数の集合Nの真部分集合である偶数集合Eが、自然数と同濃度を持つように)。

それでは、このブラウンの議論、さらにはブラウンが参考にしているフレイリングの議論 ("Axiom of Symmetry" in The Journal of Symbolic Logic, Vol. 51, No. 1) は、「端的にあやまり」と一蹴してしまえばいいのだろうか? ここで、かがみさんが紹介してくれたデヴリンのエッセイの言葉を、その評価軸を反転させて用いると、「そうとはかぎらない not quite」と言える、と思う。またしても先のデヴリンのエッセイの言葉を引けば、(端的にミスリーディングなブラウンの議論はともかくとして)フレイリングの議論(思考実験)は「説得力があり……直観的なレヴェルでは、連続体仮説はまちがっているにちがいない、と思わさせる」ものとなっている。

もちろん、いくら「直観的」に「説得力」があったにしても、ちゃんとした証明が伴わないかぎり、「数学の議論」としては失格、であろう。そのことは、ブラウンも、そしてフレイリングも認めている。さはさりながら、数学的証明には届かないこうした「思考実験」に対して、もっと寛容であってもよい、つまり、このような「思考実験」が、哲学者側にかぎらず数学者側からも、もっと出てくるようになればよい、と思う。その理由は、大略以下の2点にまとめられる。

まず、斯様な思考実験は、厳密な証明に比べて、かくだんに理解しやすい。つまり、数学をアマチュアとしてたのしんでいる人たちや、さらには潜在的な「数学をアマチュアとしてたのしんでいる人たち」にもやさしい(ここで言う「やさしさ」は「易しさ」のほうではなく「優しさ」を意味する)。こうした、かならずしも専一に数学に従事しているわけではない人たちに、その実践を知ってもらうことは、色んな意味で重要だとおれは思っている(この論点に関しては、たとえばこのエントリを参照。そこで論じられているのはおもに「学知一般」ではあるが、その論点は容易に数学にも適用可能なものである)。

つぎに、上の「数学をよりリーチャブルなものに」という論点とも通ずるものだが、数学者がじっさいにおこなっている「数学実践」においては、多かれ少なかれ「思考実験」的なものを経て、しかるのち「厳密な証明」に「整形」されているように思われるので(この「数学者が実際におこなっている数学実践の過程」に関しては、それ自体として興味深いトピックであり、それはそれとして個別に論じられるべき課題ではあるが、「直観的」には、厳密に「演繹的」に、つまりは、ある公理系への推論過程の適用のみによって得られたおもしろい定理は皆無に思える)、そうした「楽屋裏」を開陳することは、最終成果物たる「厳密な証明」を理解する、貴重な「鍵」になる可能性を秘めている。

たしかに、こうした「思考実験」があまりに闊達におこなわれてしまうと、そこは「トンデモ」の温床になってしまう危険が少なくない。そして、数学実践はやはりその最終目標を「厳密な証明」におくべき、ではある。しかし、「思考実験」における「端的なあやまり」や「議論の甘さ」の指摘を超えて、思考実験一般を無下に否定しさるのは、「盥の水といっしょに赤子を流す」というたぐいの「もったいなさ」がある。だから、思考実験にはきびしく、と同時にやさしくありたいと思うが、これはあまりに身贔屓がすぎるというものであろうか?

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