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今回は、前回で見た連続体仮説を、「確率論的見方」をもとに反駁するその仕方を見る。
まず、さいしょに断っておかなければならないが、この紹介のネタ本であるPhilosophy of Mathematicsでの議論は、どうにも穴が多く、さらにもっと言ってしまえば、端的にまちがえなのではないか、と思わされるものである。ゆえに、それをどうにかいくばくなりともplausibleなものにせんとがんばってはみたが、それもめんどうくさくなってきてしまったので、あくまで「こういう議論の仕方もあるのね」という感慨を齎さんことだけを目標に、件のPhilosophy of Mathematicsでの議論をほぼそのまま提示する。その点あらかじめご諒承ねがいたい。
さて、前回までで見たとおり、連続体仮説とは「実数集合は、自然数によって番号づけ出来ない最小の集合である」ことを主張するものであった。[0,1]という範囲を考える。この範囲は、詳しい説明は省いたが、実数全体の集合と同じ大きさ、つまりは濃度を持つ。連続体仮説の主張によれば、この濃度は \(\aleph_1\) である。
いま、範囲[0,1]に向けて2本のダーツを継起的に投げるとする(ちょっとむりやりな仮定に響くかもしれないが、ダーツは数直線[0,1]のどこかにかならず当たるものとする)。この2回に分けてなされる「ダーツを投げる」という事象は、たがいに独立、つまり、1回目になされた「ダーツを投げる」という行為が、2回目のそれに影響を与えることはない。ゆえに、どちらのダーツが先に投げられたかという側面は捨象してよく、最終的な配置だけを気にかけてよい。
そのように、最終的な配置だけを気にかけた場合、ダーツは下図のように、どちらかがどちらかの左側にあることになる。
そして、2本のダーツのうち、1に近いもの(下図で言えばpとラベリングされているもの)によって、2本目のダーツが1本目のダーツよりも左側に位置する確率が決される(いま便宜的に「1本目」「2本目」という言い方をしたが、上での議論からも分かるとおり、これは時間的な順序関係をまったく示唆しないことに注意されたい)。つまり、ダーツの最終的な配置が下図のとおりであったとすれば、ダーツqがダーツpの左側にくる確率は1/2である、と言える。
ここで、Philosophy of Mathematicsの著者ブラウンはつぎのように論じる。いま、連続体仮説を真であると仮定すると、範囲[0,1]の濃度は \(\aleph_1\) である。また、整列可能定理により、この範囲[0,1]は(何らかの順序により)整列可能である。そして、整列集合においては、その集合の「始めのほう」(これを、業界用語で「切片」などと言う)の濃度は、その切片を定める点(上図の例で言えば、たとえば点p)の「順序」によって決められ、そうした切片の濃度は、もとの範囲の濃度よりも低くなる(ふたたび上図の例で言えば、「範囲[0,p]の濃度 < 範囲[0,1]の濃度」となる)。ゆえに、上図の例では、範囲[0,1]の濃度は \(\aleph_1\) 、つまり最小の可算ではない濃度なのだから、範囲[0,p]は(そしてもちろん範囲[0,q]も)可算濃度を持つ、ということになる。
ところで、範囲[0,1]は(そして、範囲[0,p]と[0,q]も)そのなかに無限の要素を持つ。このような無限において、そこでの確率はどのように考えればよいのだろうか? これが、有限の範囲であれば、話ははやい。たとえば、6面のサイコロを振っていずれかの目が出る確率は(そのサイコロに有意なかたよりがなければ)おのおの1/6となる。つまり、起こりうる事象(こうした「起こりうる事象」の集まりのことを「事象空間」と言う)が有限である場合、それぞれの事象の生起確率(各事象の生起率にかたよりがなければ)は「1/全事象数」となる。しかし、事象空間が無限の場合、各事象の生起確率は「1/∞」、つまりゼロとなる。
さらに、現代的(ここで「現代的」と謂うのは、「測度論を礎とした」程度の意味である)確率論によれば、無限の事象からただひとつの要素が選び出される確率にかぎらず、可算個の要素が選び出される確率もゼロとなる(このことは、事象空間を実数で考えた場合、最大でも可算無限、つまりは \(\aleph_0\) の濃度しか持たないような自然数や有理数の要素は、ごくまばらにしか実数中に散らばっていない、ということでもある)。つまり、上の例で言えば、ダーツpによって定められた範囲[0,p]にダーツqが位置する確率は、ゼロである。
しかしながら、すでに言われたとおり2本のダーツはたがいに独立な事象なのだから、どちらのダーツをpあるいはqとしても問題なく、結果的に2本のダーツはかならず(つまりは確率1で)どちらかがどちらかの左側にくるという布置にならなければならない。これは、不合理である。ゆえに、連続体の濃度は少なくとも \(\aleph_2\) でなければならない。
これが、ブラウン著Philosophy of Mathematicsで示された、「連続体仮説がまちがっていることの確率論的説明(証明、ではないことに注意)」の大略である。次回では、この議論をやや批判的に吟味するとともに、そのポジティヴな点も取りあげる。
そこいらの「いい加減さ」と「厳密さ」のブレンド具合というのは、「言うは易し」でけっこう「いい塩梅」に保つのはむずかしいとは思うんですが、「自分がやや(数学的に)いい加減な議論をしている」という自覚を持ちつつ、そうした議論を「厳密さ」への一階梯として連結させていければ、色んな意味でおもしろく、かつ教育上もよろしいのではないか、と思ったりしてます。
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