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資料読みおよび原稿書きがやや逼迫した状況になってきたので、とてもではないですがまともに『プリンキピア』を読み、そしてそれについて何か書くというのは叶わないので、「なにゆえにこのような『過去の遺物』を読み、そしてそれについて書くのか」ということについて、少しばかり。
まず、誰もが思うであろうように、なにゆえに『プリンキピア』のような、その行き方が完全に塞がれていると分かっているもの(ただ、こう断言するのも、じつは慎重な議論が必要です)をいまさら読むのか、ということについてですが、これはかんたんなことで、それが完膚なきまでにまちがっていようが、たんじゅんに読んでみたいから、ということに尽きます。以前この記事で書いたことに関連しますが、何かが正しいだとかまちがってるだとか、あるいは何かに役立つだとか役立たないだとか、そういうことはあまり「おもしろさ」には関係ない。それどころか、ときにそうした「下心」は、何かをじゅんすいにたのしむということを妨げもする。だから、ある意味、そういう「熾烈な戦線」から完全に離脱した(かに見える)『プリンキピア』のようなものは、安心してもっぱらたのしみのため読める、というわけです。
しかし、上のように、つまり、それが「総体としてまちがっている」からと言って、端的に「偽」、あるいは「役立たず」かと言えば、それはまったくそんなことはなく、『プリンキピア』の体系は部分的には(そして、その「部分」は相当大きい)いまだに「正しい」し、そして、そこにある洞察というのはいまでも通用しうるし、あまつさえかなり「役立つ」こともままあることもまた事実、です。まあ、この話をしだすと、「本論」めいたことになってくるので、つづきは『プリンキピア』を読みながら追々、ということにしましょう。
さて、それでは、『プリンキピア』を読むというのがもっぱらたのしみのためだとして、その読みの記録をどうして大っぴらにするのか、と言えば、これはある程度の「下心」がこめられていて、このような試みを通じて少しでも多くの人に「何だかよく分からないが、数学とか論理学とか、さらには数学の哲学というやつはおもしろそうではあるな」と、薄ぼんやりとでも思ってもらえれば、という意図は否定できない要素としてあります。だから、ここでこうして書いていることは、「ごく一部の好事家」に向けられているのではなく、ほとんど数学についても、論理学についても、そして数学の哲学についても知らないような、そんな人たちに向けられているのです(であるからして、それなりにここいら辺のことを知っている人にとっては、ほとんど常識的なことばかりで、あまりおもしろいものではないであろう、と思います)。
ですので、そのような「ほとんど数学についても、論理学についても、そして数学の哲学についても知らないような」人たちから、読んでいて分からないところなどを指摘してもらえると、こちらも舵の取り方の塩梅が調整でき、ありがたいです。もちろん、「ごく一部の好事家」のかたからのご指摘もお待ちしております。
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