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やればできる。そんなこと、当たり前ではないか。問題は、やるかやらないか、それだけだ。だから、やらない、ということは、できない、というのとほとんど変わらない。じじつ、何かを「やればできるんだけど」と言ってるやつが、じっさいにその「何か」をやって、できた試しがあるか。どうせ同じ「できない」なら、「やればできる」と言って「やらない=できない」より、「やってもできない」ことをやろうとして、ものの見事に撃沈したほうが、どれだけいいか分からない。
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かんたんなことです。もし「歩けない」のであれば、技術的に「歩ける」に相当するような状態に持っていく(たとえば、車椅子。そして、もっと突き進めれば、何らかの障碍が足にあり、それがゆえに「歩ける」という力能を妨げているのであれば、それをじかにどうにかできないか、を考える)。そして、ふつうこういう技術的に「できない」部分を取り除いても、それはじゅうぶんではない。つまり、車椅子の例を引き継げば、局所的に「歩ける」に相当する状態が実現されても、広域的に「そうした車椅子で動ける」という状態が実現される必要がある。つまり、分解して見れば、ここの実現すべきことは「技術的」なことであるかもしれませんが、そうした技術的なことがある程度全域的に実現されるには、制度面での働きかけも必要、でしょう。また、もっぱら制度的な面から「できる」を阻まれており(たとえば、「知的障碍」と呼ばれている人たちの、一般教育からの排除)、そしてそれはちょっとダメなのではないか、ということであれば、じかにそういう制度をどうにかすべき、でしょう。
ただ、こういうことは一般論で語ってもしようがないですよ。このエントリで言ったように、本人がか回りがかは問わず、やれるかどうか分からないけど、「やりたい」ということの実現に向かってみようとする。まずはそこからです。
ただ、こういうことは一般論で語ってもしようがないですよ。このエントリで言ったように、本人がか回りがかは問わず、やれるかどうか分からないけど、「やりたい」ということの実現に向かってみようとする。まずはそこからです。
よもや誤読のおそれはないとは思いますが、「かんたんなことです」というのは、「各種制度的技術的方面から話を持っていく」ということの具体事例の「説明」が「かんたん」なだけで、そうしたことの「実現」が「かんたん」ということをいささかも意味しないので、お間違いなきよう。
いやいや、必ずしも「論旨とは関係ない」とは言えないところもあると思うのですよ。つまり、ごく荒っぽく考えていることの骨子だけ言えば、ここ(というのはエントリ内)で「批判」されている「やればできる、という言い訳」は、そういうふうに「ほんとはやれるかどうか分からないのに、やればできる、と言うことを強制される」という、ある種の「空気」(あるいは、これも「制度」の一種と言ってもいいかもしれません)があり、そして、そうした「空気」はひるがえって、何かに関して「できない」と人をして言わしめることを妨げ(だから、このエントリでの「批判」の矛先は、ひとえに「個人」というのみならず、もっと漠然とした「集合的」なものにも向かっているのです)、ゆえに、言葉の真なる意味での(というのは、けっして「言い訳」ではない)「やれば、できる」ということも、できなくさせてしまうことがあるのではないか、と思うのです。そしてこういう、じじつ(少なくともその時点では)ほんとうに「できない」ことを「できる」かのように装い、そして、もしかしたら「できる」ようになったかもしれない機会を逸する、というのは、色んな意味で「損」であり、もったいないことです。であるから、ここで暗に示唆されていることは、「できないことはできないと、そして、だからどうにかしてくれ、と言ったほうがいい」ということ、と言えるかもしれません。
はやしさんのコメント文中の「ひるがえ」りが、わたしの中で何かもやもやとひっかかっていたのでしょう。関係ないと思われる疑問も、「勇気を出して質問」すると一人では考えが及ばない方向へと誘ってくれる良い例ですな。本当にコミュニケーションとは不思議なものです。ルーマンが社会の基礎をコミュニケーションにおいたのはある意味、パラダイム転換なのでしょう。読書会はやく開催したいものです。
われわれの社会(と、ここは思いきって言ってしまいましょう)は、なぜだかふしぎと「弱さ」に関して不寛容なところがある。そして、そういう「不寛容さ」も、ルーマン的な図式で言えば、何らかのコミュニケーションの固定化、つまり、ある社会過程の構造化の結果、とも言えるわけです。だから、ある意味、そういう「言い訳」をすることは、何がしかの「意味」が(「誰」、もしくは「何」にとってかは分かりませんが)あるとは言える。しかし、繰りかえせば、それはやはり、そうした発言の当事者にとっては「損」なことであり、同時に、「やればできる、と言いつつ、やらない(あるいはできない)」ことは、「やりたいんだけど、できない」ということを抱える人たちに対して、とんでもなく失礼、かつ、大きな不利益を与えることになる、とも思います。だから、そういう「個人を離れた益」と「個人レベルでの益」というものの起源と相克を捉えるにも、ルーマン的枠組みは何がしかのヒントを与えてくれるように思います(ただ、と急いで付け加えれば、ルーマン的道具立てだけで、事態の分析にせよ、ある種の施策提案にせよ、そうしたことがどうにかなるような単純なことでもない、とも思いますが)。
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