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まいにちまいにち何かしらは借りているのに、それなりにひさかたの借り本記。とくだん他人さまにおれが借りた本なぞお知らせする必要なぞあらねど、データベース化しておくとのちのち便利なので、そのためだけに。あと、どさくさにまぎれて、買い本の記録もいくつか(つうか、データベースのほうで、じっさいに所有している本と、借りた本の弁別をしておきたいなあ)。

  • John Hick (ed.), The Existence of God, Macmillan
  • J. Hich and A. McGill (eds.), Many-Faced Argument, Macmillan
  • Peter van Inwagen, God Knowledge and Mystery, Cornell
  • Jordan H. Sobel, Logic and Theism, Cambridge
    神の存在証明論もの4冊。1冊目と2冊目は、アンセルムスから現代の議論までを収めたアンソロジーで、とくに1冊目はけっこう網羅的に「広く浅く」という感じで編集してあり、1冊持っておくと便利そう。2冊目は、アンセルムスの議論に特化したようなところがあり、それもあってか、収録されている各論文もそれなり深くに1つのポイントを掘り下げたようなものになっている。米国アマゾンではどちらも古本で安く出ていたりするので、買うなら両方まとめて、でしょう。3冊目のヴァン・インワゲン本は、全部が存在証明を扱っているわけではなく、第1章の、その名も「存在証明」で扱われているのみなのだけど、これがまたがっつりとした形式的なもので、読みこむ価値あり。他の所収論文も、「保守的クリスチャン」の面目躍如で、「敵」を知るためにも読む必要があるな。最後のソーベル本は、借り本ではなく買い本なんだけど、流れ的にここで紹介。内容は、タイトルからも分かるとおり、存在証明(および非在証明)に関して用いられる議論の論理分析。もちろんゲーデルの神の存在証明にも1章が割かれており、おれとしては読んどかなまずいでしょ!というもの。ゲーデルの部分に限らず、そこでなされる議論はそれなりにフォーマルだけど、可読性はけっして低くない。しかし、存在証明もので長めの論文を1本書こうとじつは思っていたんだけど、こんな本があるとなるとなかなかきびしいなあ。

  • John Hick, Philosophy of Religion, Prentice Hall
    おなじみヒックの宗教哲学概論。日本語版は当然日本にあるのだけど、図書館のヒック本の並びにあったので、もっかい読むか!と借り出し。内容については、名高い本なんでとくに説明は要らんでしょう。にしても、洋版は何でこんなに高いんだ?(旧版だと17セントで売ってたけど)あと、上掲のインワゲン本に"Non Est Hick"という1章があり、しばし唖然としたのち爆笑。インワゲンだと、こういう言葉遊びで混ぜっかえせないのがくやしい。

  • Raia Prokhovnik, Spinoza and Republicanism, Palgrave Macmillan
  • Moses Maimonides, The Guide for the Perplexed, Routledge
    「あることを理解したいなら、それについての本を書くのがいちばんの近道だ」と言った人がいるが、まさにそういう道をたどろうとしてしまっていることを如実に示すセレクション。まず1冊目『スピノザと共和制』は買い本で、スピノザの政治論を時代の文脈におきなおして理解するうえで必須と思われる1冊。これは、自分なりにちゃんと消化して、しかるのちにそれをまとめておきたい。2冊目は、スピノザがその神学政治論の第1章と第2章でかなり依拠しているマイモニデスの『こんぐらがっちゃった人のための手引き』。ちなみに、神学政治論の英語版エディションとしては、いろいろ検分しましたが、ハケット版がいちばんよいようです。



おまけの買い本

  • 小泉義之・他編, ドゥルーズ/ガタリの現在, 平凡社
    「これはやっぱり買っとかなくちゃあかんでしょ」と、なかば義務感に駆られて買いましたけど……んんんんん、びみょうだあああああ。いや、当然なかには「すてきにおもしろい」と言ってもいいような論文もあるんですけど、ほとんどが(と言ってしまおう)「読めば勉強にはなるんだけど、おもしろいか?と問われると黙ってしまう」ような、そんな感じ。しかしね、帯とか前書きとか要所要所で攻撃されている「(ドゥルーズの)空虚な権威化や些末な文献学化」や「ドゥルーズ哲学のアカデミズムへの囲い込み」って、まさにこの本がそういうことどもの現象形態なんじゃないですか? 少なくとも、おれにはそうとしか感じられない。とくに、鈴木泉氏の「ドゥルーズ/ガタリ研究・活用の現在」と題された文献紹介の項で白井貴志氏の博論についてふれて「フランス語による大部の博士論文を刊行したことは、一つの快挙である」なんて言ってるけど、これ、世界の片隅の東洋人による西洋アカデミスム礼讃のあらわれ以外の何もんでもないじゃないですか。非フランス語が母語の人が書いた「フランス語による大部の博士論文」であっても、ゴミはたくさんあるでしょう。もっとちゃんと内容で評価してくださいよ。もちろん、「内容があったうえでのこと」とおっしゃるでしょうが、だったら評価順がちがくないですか? こんな評言じゃ、白井さんも浮かばれないですよ。……とこんなことを思い、あきれるを通りこして、かなしくなってきた(ただ、と急いで付け加えておけば、鈴木氏の「読書ガイド」自体は、フンフン鼻歌をうたいながらひじょうにたのしく読める)。

  • 山内志朗, 普遍論争, 平凡社
    いやあ、これはおもしろい! 学部生の時分、哲学書房から最初に出たときから気になってはいたんだけど、なぜだかそのときは買わず、そうこうするうちに入手がむずかしくなってしまい、「あーあ」と思っていたんだけど、このたびめでたく平凡社ライブラリーより増補復刊! 新書なのに2,000円?なぞ言うなかれ。手にとってちょっと読んでもらえれば分かると思いますが、全然高くないですよ(むしろ安い)。内容は、著者が前書きで書いているとおり「(中世哲学の専門家でもないのに)中世哲学への招待を書き始めてしまったのは、そうすることが私にとっての近世哲学への入門となるから」というきわめて無茶なものなれど、そうした二重の「無茶さ」(中世哲学の専門家ではないこと、そして、中世哲学そのものをそれとして理解したいということが一義的な関心ではないこと)がいい方に作用している。ちなみに、上掲『こんぐらがっちゃった人のための手引き』のマイモニデスについて、「日本でも中世哲学を研究する上できわめて重要で当然、マイモニデスの『迷える人々の導き』の邦訳も存在していなければならないのに、まだありません」と言われてるとおり、マイモニデスに関して日本語で読めるものはこれぐらいしかない。まあ、研究者はアラビア語原文でとか、そうでなくとも英語とかで読んじゃうでしょ、と言われればそうなんですが。
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