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番外編をはさんで前々回まででゲーデルによる神の存在証明を概観した(エントリの一覧はこちらを参照のこと)。今回は「批判検討編 I」と称して、ゲーデルの証明に見られる問題点のうち、その「概念的側面」に関わる部分を批判的に検討する。
まず、概念的側面においてとくに問題になってくるのはやはり、ゲーデルが「原始概念」として採用しているpositive という語について、であろう。とりあえず、ゲーデルがその証明に書き添えた注解を見てみる。
ここでpositive とは、道徳感覚的moral aesthetic な意味での(つまり、世界の偶発的な構造とは無関係な)それを謂う。このように解釈してのみ、ここでの公理群は真なのである。また、それは、「欠乏privation 」と対比させられたところの純粋な「属性attribution 」を意味するとしてもいいだろう。こうした解釈は、証明を容易にする。
Collected Works Vol. III , p. 404
ここで注目すべきは、positive(ness) が「道徳感覚的な意味in the moral aesthetic sense 」でのそれと言われていること、および「欠乏privation 」と対比させられていることであろう。つまりそれは、道徳感覚的な意味での「善さ」から見て「欠けるところのないもの」、つづめて言えば、ライプニッツが言っていた「完全体perfection 」にほかならない。だから、たとえば、少なからず「世界の偶発的な構造」に依存しているような「色」などの属性カテゴリは、ここで言われているようなpositive(ness) を云々する場合には考察の俎上にものぼってこないので、第2回で呈したような疑義、「『赤い』と『赤くない』は、どちらがpositive でどちらがpositive ではないとは言えないのではないか?」と問うことは、とりあえず除外されることになる。
ただ、それでも疑義は依然として消えない。それは、「道徳感覚的な意味」というのはじっさいのところ「どういう意味なのか」ということでもあるし、また、そうしたものははたしてほんとうに「世界の偶発的な構造とは無関係」と言えるのか、ということでもある。そもそも、この証明が成り立つためには、「存在する」ということが「道徳感覚的な意味」でのpositive さに編入されていなければならないが、そう言い切っていいものか?(たとえば、「悪の存在」はどうか? もし存在の善し悪しが、その「主語」に依存するのだとすれば、「存在する」ということそのものは、positive でもpositive でなくもない、きわめてneutral なものとせざるをえまい)
このように、ゲーデルの神の存在証明における「概念的側面」を考察しはじめると、それらはきわめてad hocに思えるし、また、容易に白黒つけられそうなことがらにも思えない。もちろん、そうした問いかけが「無意味」であるとは思わないが、このノリで行くと、「エントリのなかでエントリを書く」という事態になってしまう。ゆえに、つぎのポイントにさっさと移る。
さて、つぎなるポイントは、概念的側面とはいえ、いくばくならず方法論的、つまりは論理的側面での問題点をも含む。それは、第5回で指摘した、証明が行なわれる論理基底としてS5を採用しているが、それはいかがなものか?という点である。
S5とは、乱暴に言えば、様相論理系の解釈モデルとしてクリプキの「可能世界意味論」を採用した場合、それら可能世界間を自由に行き来できることを要求する様相論理系である(何度もリファしており、気が引けるが、様相論理のごく表層的な解説としてはこれを参照)。つまり、可能世界間に反射律、対称律、そして推移律が成り立つとするのだが、そもそも「可能世界」なる概念を持ち出した時点で「どうなのよ?」的な色合いが濃いのに、それに加えて「そうした可能世界間(もちろん、こうした「可能世界」のひとつとして「この世界」もある!)で行き来自在」という条件まで付け足してしまうのは、こと「存在」を問う議論に関しては、問題なしとすることはできまい。というのも、S5という系は、何かが「存在する」ことに関して、きわめて「太っ腹」なのだから。
また、ゲーデルが想定する論理系は、ただS5というにとどまらず、その量化ヴァージョン(「すべての」だの「ある」だのの量化子が付加される)を考えている。しかも、その量化ドメインは「性質」にまで及ぶ。つまり、少なくとも2階の述語論理を想定しているのだ。それは、たとえば第4回でのつぎの公理を見ると、明らかであろう。
公理4
すべての実在的性質は必然的に実在的であり、すべての非在的性質も必然的に非在的である。
これは、様相論理の言葉づかいで書くと「∀X (P (X ) → □P (X ))」とあらわされ(ここでX は性質、P (X )は「X は実在的性質である」という述語とする。X はそれじしん、X (a )というかたちで、「a は性質X を持つ」という述語となることに注意)、たしかに、性質(X )に関して「すべての」(∀)という量化子が付されたものになっている。そして、第4回のコメントでは「こんなもんを『公理』として導入しちゃっていいの?」と軽く疑義を示しておいたのが、じつは、量化ヴァージョンの様相論理においてはバーカン式と呼ばれるもの(「∀x□P → □∀xP 」とあらわされる)が成り立ち、そこから上記の「∀X (P (X ) → □P (X ))」が導出できるのだ。
シアトル現地時間2007年10月2日22時追記
このエントリでのコメント欄におけるにゃんこさんの指摘を受けて、上記説明のうち、一部の語句を追加修正しました。
このことを認めることの重要な帰結は、「現にそうであるものはすべて、必然的にそうである」ということであり、ゲーデルがpositive という語で限界策定をしようとした在り方、つまり「世界の偶発的な構造とは無関係」な在り方は、「現にそうである」ということだけで満たされてしまう。さらに、先のゲーデルの注解と考えあわせると、「現にそうである」ということはそのままで「道徳感覚的」な在り方と合致し、ここに道徳システムは崩壊する。
これらを考えあわせると、できるものならS5などという系は使わずにすませたほうがいいことは、火を見るよりも明らかであるが、ゲーデルの証明においてこのS5を採用せざるをえない本質的理由が、もう1つ存在する。それは、ゲーデルの証明全体の意義を揺るがすポイントとも言えるのだが、それについては次回の「批判検討編 II」で見ることにしよう。
で、「『なにかあるものが存在し、かつ、神が存在しない』という命題は偽」は、「何かがあれば、神は存在する」ということであり、これはいままでの主張よりもかくだんによわい主張であって、何でそんなことを言い出すのか、よく分からない。それに、「直観的には」だの「気がする」だの、そういう「たんなる信仰告白」にはまったく興味がないので、ここに書くのなら荒削りであってもその理由を書き添えるように。そうでなければ、どこか別所でご自由に、ということで。
ちなみに、一般的に宗教哲学がらみでS5を使った論証(と称するもの――1970年代あたりには盛んにあったように思うのですが)は眉唾で見た方が良い、というのが私の個人的な見解(あるいは予断)でもあります。
ところで、「宗教哲学がらみでS5を使った論証」ってのはズバリ!おひげのプランティンガ先生のことですね! って、違うかもしれませんが、ともあれ、神学的なそれにかぎらず、S5を存在論的な議論のベースに使うのは、ちょっと(だいぶ、かな)反則、ですよね。だいたいにおいて、S5それ自体のオントロジカルなあれこれについては、いまだ決着がついてないわけですし(そもそも、決着がつきうることのように思えない)、そうなると、そういう系の上で存在論的議論をするなんてのは、まさに「砂上の楼閣」であるわけで、一足飛びに「だからそういう議論はまちがい」とまでは言いませんが、きわめてsuspiciousなものであることはたしかであるように、ぼくにも思われます。
様相論理だとか可能世界といったものへの哲学的関心が全般的にはどんどん低下をしていった中で、その後はS5ベースの哲学的論証のダメさ(というのはやはり神学的な問題について最も目だった形で現れてくるように思うのですが)についてどのような反省が深められていったかいかなかったか、個人的にはその辺もちょっと気になっています。(もっとも、神学的問題以外の場面で、ごく普通?のメタフィジカルな問題についてS5を使うこと――があるとして――には、私はあんまり抵抗感は感じません。これは単に論理学に暗いせいかもしれませんが。)
お忙しそうなご様子なのでハッパをかけようということでは決してないんですが、こうした読者も見てまっせ、というご挨拶に代えて。
しかし、繰り返しになりますが、可能世界というもの自体についての突っ込んだ議論というのは、ルイスという大物がほとんど「最初にして最後」という感じでほったらかしにされており(もっとも、ガールの可能世界論など、ちらほら研究書は出つづけておりますが)、まだまだ考えるべきことはあるのになあ、という感は否めなせん。なもんで、時間ができたら『世界の複数性について』を起点に、ぼくもちょっと可能世界について反省してみようと思っています。
このブログでは、あまりテクニカルなことを書くまい、と思っていたのですが、にゃんこさんのようなかたもいらっしゃるということで、その質や頻度に関してはまったく保証できませんが、ほそぼそとこの手のことも書いていこうかな、と思っておりますので、ゆるりとお付合いください。
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