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ゲーデルが晩年「神の存在証明」に執心だったということは、日本の一般読者層にもこの本などによってつとに知られていることであろう。しかし、ゲーデルがその証明をどのように遂行したかは、あまり知られていないように思える。ゆえに、先日メルヴィン・フィッティングのTypes, Tableaus, and Gödel's God でゲーデルの存在証明(の概略)を読んであらためて感銘を受けたこともあり、そのフィッティングの議論におおむね則りながら、その証明のラフスケッチをここで試みてみよう。
まずフィッティングは、これまでなされた「神の存在証明」の系譜をざっくり辿りなおし、そのなかにゲーデルの試みを位置づけることからその議論を開始する。具体的には、アンセルムス(『プロスロギオン』)、デカルト(『省察』第2反論)、そしてライプニッツ(『スピノザとの対話のための2つの註』)のそれを略述し、そして、ゲーデルの存在証明はライプニッツのアイディアを引き継ぐものである、とする。
ライプニッツはデカルトの存在証明について、デカルトは「神の存在可能性」を仮定しているからダメだ、と言う。つまり、ライプニッツによれば、神の存在証明をするためにはまず、「神」というものが存在することは不可能ではない、そういうものが存在することはありうる、ということをまず示す必要がある。そのうえで、「神の存在が可能であれば、そうした存在は必然的である」ということ証明しなければならない。ゲーデルが採った証明戦略は、まさにこうした道行きをゆく。
それではゲーデルは具体的に、どのように「神の存在可能性」(神が存在することは可能である)を証明し、そしてそこから「神の存在必然性」(神は必然的に存在する、存在しなければならない)を導出したのか、やや詳しく見てみよう。
赤いとか熱いとか感じている存在が私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界(外界と呼ぶ)には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。味はどうでしょう。同様に味もありません。臭いはどうでしょうか。臭いも外界にはありません。熱い冷たいと言う事は、在るでしょうか。物質が振動しているだけです。絶対0度では、全ての振動が止まります。温度が高くなるに従って、物質の振動が大きくなって行くだけです。熱い冷たいもありません。全て心が作り出したものです。次々に、心が作り出している感じを捨てて行きます。最後に残るのは、この範囲にあるものが存在している、そして時間が経過しここに移動したと言う、時と空間の直感だけです。
しかし、貴方が感じている時空間も、決して心の外にある時空間を、直接感じている訳ではありません。心が作り出した時空間を、感じているのです。心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。仏教では色即是空と言います。心が作り出したものは、現れたり消えたりします。従って、是と言った実態はありません。つまり、有でも無でも無く空なのです。耳から聞こえる音も、鼻から匂う匂いも、舌の味も、肌から受ける触感も5感は全て空です。5感=色、概念=受、感情=想、意思=行、認識=識からなる心の働き全ては、現れたり消えたりし、定まった実態はありません。五蘊皆空です。ですから、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。
この世の中には、物質でないものも存在しています。もし物質だけであったら、どうでしょう。ロボットは物質だけで出来ています。科学が発達し高性能なロボットが出来たら、人間と同じ反応をするでしょう。世間話をして冗談を言うでしょう。やかんに触れると熱いと言うでしょう。しかし、私たちが感じている熱さを、感じている訳ではありません。何かを感じていると言う事は、人間は物質だけから出来ているのでは無いことを証明しています。
心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。
花を見たとします。眼が光の刺激を受けて、神経の中を信号が流れ、脳に到達します。脳がその信号を受けて、脳の中の物質の一部が花に対応する動きをします。私は、その花に対応する物質の動きを感じて、花を感じるのです。それは丁度、カメラが光の刺激を受けて、ケーブル及び電波で信号が流れ、テレビに到達し、その信号をテレビが受けて絵や音を作りだし、それを私が見ているのと同じです。
テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。では、脳と言う物質が私なのでしょうか。花を感じているのが、私なのです。脳と言う物質そのものが、花を感じているのでしょうか。もしそうなら、そこらに転がっている石も何かを感じているはすです。本当に、陽子と中性子の周りを電子が回っている存在が、何かを感じているのでしょうか。赤いとか熱いとか言う感覚は、決して物質ではなく、精神的な存在です。その様な精神的なものを感じている私は、物質ではなく精神的な存在なのです。決して、石や木が何かを感じている訳ではないのです。赤い熱いと言う感じは、私の一部です。私は、精神的な感じの集まりなのです。
テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。
仏教ではこの事を、不生不滅・不垢不浄・不増不減と言っています。私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。
死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。私自身は、死んだ後も何ら変わらずに存在しています。ただ、信号を送る脳が無くなったので、何も感じていないだけです。そして、新しい脳が信号を送り出したとき、私は又前と同じ様に感じるでしょう。ただし、人間の脳とは限りません。
心の中に作り出された世界は、私の一部です。心の中の世界に居る一人の私が、私なのではありません。その1人は、宗教上小さい私とかアートマンとか呼ばれています。心の中の世界に居る私の敵も、私の一部です。ですから、キリストは汝の敵を愛せよと言えたのです。
人間の脳より遥かに高性能な脳が私に刺激を送る様になれば、もっと豊かな世界が心の中に広がるでしょう。そう言う意味で、現在私が感じている世界は、私のほんの一部にしか過ぎないのです。私に限界はありません。脳と言う物質がどんどん進化して全知全能な物質になり、私に信号を与え出したら、私は全知全能になるはずです。本来の私は、全ての感じの集まりなのです。全てなのですから、これ以上の精神的な存在はありません。この私を大きい私とかブラフマンとかと呼ばれています。
宗教の目的は、小さい私の誤解を解いて、大きい私を自覚することにあります。それが、悟りです。仏に成るのではない貴方が仏なのだと言っています。天上天下唯我独尊です。神の子です。ブラフマンです。貴方は、自分の存在を疑えますか。デカルトは、全ての事を疑って見ました。しかし、考えている自分の存在だけは疑えませんでした。これが神は存在するかの答えです。
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