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廚先生経由で知ったのだけど、京都大学が「総合フィクション学」という何やら面白げなプロジェクトを始動させていたようだ(研究会の開始年次を見ると、2005年4月となっており、知ってる人はとうに知っていたであろうから、「何を今さら」感が濃厚に漂うかもしれないが、そこは大目に見てほしい)。
「総合フィクション学」とは何ぞや?ということについては、上のリンク先トップページに掲げられている簡潔な説明や、研究班班長・大浦康介による、その名も「総合フィクション学とは何か」と名づけられたページを見てほしいが、そうした文言のなかで興味を引かれるのが、「〈制度〉とフィクション」というアスペクトだ。
この「〈制度〉とフィクション」という問題系を、ある程度エクスプリシットなかたちで扱ったのはベンサム(あるいは、そうした側面をベンサムから摘出したオグデン)をもって嚆矢とするが、こうした捉え方はもちろん、広い意味での〈倫理〉なるものも問題化せずにはいない。〈制度〉が〈フィクション〉、つまりはある種の〈嘘〉とのっぴきならない共謀関係にあるにしても、そうした機制そのものを成り立たせしむる地点、つまりはここで言う「広い意味での〈倫理〉」をどこかで前景化せざるをえないからだ。
もちろん、「〈倫理〉も〈制度〉の一種である」という見方も可能であろうし、じじつそうには違いないのだが、〈制度〉と〈倫理〉を(〈仮構的=fictive〉に!)分けて考えるにせよ、それらを同根の相のもとに置くにせよ、気をつけなければならないのが、すべてを〈フィクション〉に収斂させてしまうことである。それは、大浦康介も指摘するように、人を〈悪しき相対主義〉に導き、結果〈思考停止〉に陥れさせる。
このように、「〈制度〉とフィクション」という問題系をほんの少し観じてみただけでも、そこには考えるべき問題が山積している予感を覚えるのに、さらに、「より基底的」とも言える問題、つまりは「そも、フィクションとは何ぞや?」という、益体ないと言えばこれほど益体ないものもなく、かつ、エキサイティングと言えばきわめてエキサイティングなものもある(ここいらの「基底的問題」に関しては、たとえば『可能世界・人工知能・物語理論』という書籍があり、これは前々から非常に気にはなっていたのだけど、うれしいことに、この本のあとがきを増補したものが、この研究会の論文・書評・翻訳のページで読める)。
ところどころ、「うーむ」となってしまう部分もないではないが、全体的にきわめて楽しそうなことは間違いない。今後も要チェック、だな。
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