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丹生谷貴志(以下、敬意を込めて「ニビー」と略す)はねえ、やっぱり「……」だよね。ニビーのどの本でもいい、任意の一冊の任意の一ページを開くと、そこには夥しい数の「……」が見出されるだろう。対象の読みがたさを表象するかのような「……」の群れ……吃音とすれすれの饒舌? まあ、そんなことはどうでもいいとして(いや、やっぱりどうでもよくない気もするな。誰か「丹生谷貴志における『……』の用法」みたいなことやってくんないかな)、案外ハードな文章だったりするんだよね。

で、『三島由紀夫とフーコー』だけど、副題に「<不在>の思考」ってあるのが気になるな。当然、この<不在>なるものはフーコーのsans-oeuvreを指示してるんだろうけど、そうするとちょっと以前にかかずらってたニートの「無為」ってのとも連繋してくるし……とは思うんだけど、どうだろ? 何せ、本屋でぱらっと見たぐらいだし、そのときは、ちょっとイマイチかなあ、ぐらいな感想を、そこで展開されている議論がどうこうというのではなしに、単にその字面から受けただけだからな。ま、いずれは買うでしょ。

それにしても『光の国』、復刊しねえかなあ。

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『光の国』復刊決まりました。っていうか、あればっかりというのも…正直うざいですが。題名云々に関しては丹生谷先生が決めるのではないそうです。ただフーコー論に関しては「可視性」という要因がすべてでしょう。「無為」では決して無い。それは『家事と城砦』において証明済みでしょう。
yui 2005/06/04(Sat)23:17:00 編集
お、そうなんだ! 情報ありがとうございます。月曜社ね、ふむふむ。月曜社、がんばってるなあ。

で、ニビーはけっこう「丸投げ」ですからね、タイトルなんて決めてたら逆にびっくりする。

それで、フーコーの「可視性」でも、三島の「文体」でもいいんですが、やっぱりそれらのことどもには「無為」(sans-oeuvre、営みの不在、もっと勇み足に「内面の不在」とかね)が絡んでくるでしょ。それに、これって「証明」出来たり出来なかったりすることではない。

って、まあ、んなことは正直どーでもいいんです(だいたい、おれはまだ上記の本を読んでないのだ)。おれのもっぱらの関心事は、『光の国』原本の、「無駄に分厚い」というあの感じが「新装版」にも出てるか、ということだけです。
はやし 2005/06/05(Sun)03:01:00 編集
確かに「証明」あるいは「論証」できるものではないかもしれませんね。ただ、「論考」は可能でしょう。丹生谷先生が批評家かどうかを問うことは差し控えますが(肩書きはいつも「美学」)、仮に「論考」すら否定されうるならば、批評家は「非在の産物」となるでしょう。彼らが存在しなくとも「世界」はなんの支障もきたさない…
「無駄に分厚い」…感じは出るんじゃないんでしょうかね。
断定はできないですけど。機会があったら、聞いてみますよ。その折には「無駄に分厚い」は言い添えません。「無駄に」ガラスのハートですから。それはエクリチュールに溢れ出てますよね。『光の国』市立図書館みたいな「公的」機関にも置いてないのですか?「処女作」ねぇ…。(一応、お断り。これは先生個人に対してではなく、多種多様なエクリチュールを受け取る、あるいは生み出す(?)我々への個人的な溜息です)
yui 2005/06/05(Sun)12:34:00 編集
文意を取り違えていました。
『光の国』は読了されておられて、『三島由紀夫とフーコー〈不在〉』を読まれておられないのですね。
失礼致しました。
yui 2005/06/05(Sun)18:39:00 編集
あ、やっぱり文意を取り違えていましたか。「何でおれに市立図書館(「公的」機関)の『光の国』在庫状況なんて聞くよ? 知らねえってんだ、んなもん」と、1)おれに、ではなく、『光の国』未読の読者に向けて言っている、2)その未読読者におれも含まれている、のどっちかの線だろうな、と思っていました。

しかし、その文意の取り違えを度外視しても納得できない、または理解できないところが3点ほどあるので、それを。

まず、おれは「『可視性』(あるいは『文体』)と『無為』との含蓄的絡み合いに関する証明可能性provability、というか、それを証明することの妥当性validity of proving」を問題にしていたのに、それがいつの間にか証明一般、さらには「そんなこと一言も言ってねえよ」ってな「論考一般」の話にまでなってしまっている。もし、おれが言っていた件に関する証明可能性/証明することの妥当性への疑義が、不可避的に証明一般へ疑義に転化するのなら、その道筋を示して欲しい。

また、論考一般が否定されようと否定されまいと、そんなこととは関係なしに「批評家がいなくても『世界』は何の支障もきたさない」のではないか、と思う。ただ、ここで言われてる「世界」や「支障をきたすこと」の内実をいいように定義しなおせば、ミミズだってオケラだって、「その不在によって『世界』に支障がきたされる」だろうけども。

最後に、「処女作ねえ…」と嘆息することのインプリケーション、およびそれに続くカッコ内の文言が、何を言いたいのかちょっとよく分からない。かなり俗っぽい解釈を取って、「処女作だからって、それを読みたがっていて、あまつさえそれが再刊されると聞いて喜んでるなんて、あさましいねえ」ということだとすると、逆にyuiさんの「処女作」というものに対する「俗」なイメージが逆照射される、と思うのだが、これは憶測に過ぎないし、ほんと「さっぱり」なんで、解説してもらえれば有難し。
はやし 2005/06/06(Mon)02:17:00 編集
ヒートアップさせたようで、恐縮です。まぁ、以下戯画として軽く流しておいてください。
はやしさんご自身が未読の書物に関して議論しても何か不毛のような気がします。「証明」という言葉の用い方については謝罪をしたつもりです…。「批評家がいなくても『世界』は何の支障もきたさない」その通りです。貴方が愛情を込めてニックネイムをつける丹生谷貴志の存在も非在化します。批評家であろうが、何がしかの専門家であろうが、よく言われる戯言に、「処女作」=「最高傑作」という構図が
あり、現によく交わされるクリーシェでもあります。と同時に現に今でも文筆活動を行っている人間に対する最悪のクリーシェでもあります。そういう意味における「嘆息」です。
…そして私がかりそめにでも「ヒートアップ」したのだとすれば、はやしさんの「無駄に分厚い」という戯画でしょう。
私個人には『光の国』が「無駄に分厚い」などとはとても思えないし、いまこの瞬間においてでさえ、懊悩しながら言葉を紡ぐ人間に対して「無駄に分厚い本」などと言う、言説は発想の外にあったので。
yui 2005/06/06(Mon)04:14:00 編集
あ、いや、全然ヒートアップしてないですよ。yuiさんがこっちの気に障ることを言った、ということもないし。そうではなく、単純に、yuiさんの言ってることが「え、何でだろ、分かんねえな」と思ったので、借問してみたまでのことです。ゆえに、恐縮なさる必要もありません。

さて、yuiさんは「はやしさんご自身が未読の書物に関して議論しても何か不毛」と言っていますが、おれがyuiさんにした質問を読み返してみてもらえば分かるように、それらはとりあえずおれが『三島由紀夫とフーコー』を読んでるか否かには関係ないことです。というのも、それらはただyuiさんの言説を問うているのですから。

ただ、質問を投げっぱなし、というのも何だか居心地が悪いので、こちらの立ち位置の説明ともなるような、でも本質的に質問の内容には関係のない補足をしておきましょう。

まず、「論考を否定するにせよ否定しないにせよ、批評家がいようといまいと、『世界』は何の支障もきたさない」ということについてですが、おれは基本的に何であれ、何かがあろうとあるまいと、『世界』に支障はきたさない、と思っています。そして、『世界』に支障をきたさないからといって、それがなくていい、と言っているわけではありません(もちろん、ある実践的なレベルで言えば、当然「なくてもいい」ものですが)。逆に、そういう「あろうとあるまいと『世界』に支障をきたさないもの」だからこそ、人はそれを愛したりもするのだとも思います(ゆえに、『世界』というものは畢竟「わたし」のことだ、という独我論的見地を取るのなら、論は全く逆方向の向きを取ることになります)。ここらへんは澤野雅樹の「不毛なものの称揚」とも通ずる見方です。

次に、いささか私事にわたることですが、「処女作」ということについて。まあ、こんなことは言わずもがななことですが、おれが『光の国』の再刊を喜んでいるのは、学部生時代に大学図書館から何回も借り出して愛読していた書物なのに、今に至るまでそれを所有できていなかったが、今回晴れて手に入れることが出来る、という、何てことのない理由です。それが「処女作」かどうかなんてのは、はっきり言ってどうでもいいことです(yuiさんにとって「無駄に分厚い」という言説が発想の外にあったように、yuiさんのこの「処女作」という言葉はおれの発想の外にあった)。まあ、そんなことはyuiさんにも多分分かってもらえていること、と思いますが。

最後に、「無駄に分厚い」という表現ですが、これはけっこう「最高の褒め言葉」のつもりだったんですが……。というのも、「無駄」であったり、「不毛」であったり、そして「無為」であったりというのは、純粋なそのもの自体の肯定に向かうエレメントであると考えているからです。繰り返しになりますが、何かが『世界』との関係に応じて、往々にしてその「有用性」を基準に良否が振り分けられるというのは、耐えられません。もっとも、それが裏返って「有用だからダメ!」というふうにも全然思っていませんが。


というか、このコメント欄を書き込む領域がちっちゃ過ぎるんで、どんだけ書いたかよく分かんなくって長くなっちゃうんだよなあ。そんなわけで、もっと書こうと思ったけど、横のスクロールバーを見ると、それなりの分量を書いたんだということが察せられるので、オシマイ。
はやし 2005/06/06(Mon)20:18:00 編集
私のコメントについて軽く流したのは、はやしさんが「『可視性』(あるいは『文体』)と『無為』との含蓄的絡み合いに関する証明可能性provability、というか、それを証明することの妥当性validity of proving」を問題にしていたのに」と言及されておられるのを読んだのと、貴方がヒートアップしたのだと勘違いしたところから起こったことです。
『三島とフーコー』に対する言及において、「可視性」あるいは「無為」とコメントされるからには、『三島とフーコー』で行われた丹生谷先生の論考を読了しているという土壌で「語ること」が行われない限り、互いに余り発展的な議論にはなりえないだろうという私の憶見があったにすぎません。つまり、互いの論点のズレへの摘発めいた晒しあいのような愚かしい「語り」に成り下がることへの回避としての姿勢をとったにすぎないのです。そして、以下、繰り返しになり申し訳ありません。「無駄に分厚い」についてですが、丹生谷先生に対して「最高の褒め言葉」には決してなりえません。断言できます。端的に言えばご本人を存じ上げているからです。(反則めいた感慨がありますがご容赦を。)その言葉に傷つくことは可能性として多分にありえますが、褒め言葉として受け取られることは恐らくありえないでしょう。そして、丹生谷先生の取る「位置」あるいは「揺らぎ」というものが仮にあるとするならば、上記の御著書の「終章」をお読みください。そして一言付け加えさせて頂きたいと存じますが、はやしさんのBlogに対して、今回コメントをさせていただいたのは…はやしさんの言説を読んで「哀しみ」という感情を抱いただけのことです。
では、これを最後として私のコメントを終わらせて頂きます。(拙文、読んで頂き感謝申し上げます)
yui 2005/06/06(Mon)22:43:00 編集
&gt;これを最後として私のコメントを終わらせて頂きます。
こんなことを言うんだったら、それなりの覚悟はあるんだろう?
このあと、なにを誰から言われようと言いたい事は言ってあり、参照してもらえれば判るヒトには判るんだから、これ以上馬鹿の相手は出来ねえよっていう事だよな、そうだろ?

じゃないなら、単に逃げ足のはやい茶々入れやさんだよ、あんたは。
このさきお笑いネタにされたくなきゃなんとか言っといた方がいいよ。俊足の論客さん!
宮本浩樹 2005/06/07(Tue)20:57:00 編集
いや、宮本さんの言いたいことも分かるし、おれの疑問に全然答えてねーじゃん、ってのはあるんだけど、 yuiさんは単純に、おれが丹生谷貴志のことを悪し様に言っていると思い、そしてそれに「カチン」ときただけ、だと思うんだよね。だから、まあ、その反応は理屈で為されているものではなく、感情メインのものだろうから、何を言ってもムダ、とも思うし、何より、おれが何を言うにせよ、yuiさんがここを再び見るかどうか分からない以上、おれの言うことが陰口めいてきちゃうってのあって、ま、しゃーねーな、って感じではあるんだ、おれは。

でも、「無駄に分厚い」の真意が、不思議なぐらい理解されず、それはどうにも納得のいかないことだし、そういう「分からず屋」な言葉を発したのが、丹生谷貴志と面識のある、多分その学生と思われる人の口から発せられたことに、まあ「哀しみ」は覚えないにしても、驚きと残念な感じは覚えるんで、もうちょっとそれについて説明しておこうかな。たとえ、それが空転する言葉になるにしても。

まず、無駄でも無為でもいいんだけど、それらの言葉って「功利的な有用性の外」にあるものに対して使われることだよね。だから、yuiさんがしたような専らネガティヴな含意をこの言葉から受け取る、というのは、「内容とは関わらない、その内実にとっては必要ではない分厚さ」ということなんだろうけど、もっとこの言葉に積極的な意味を担わせるならば、「役に立つとか立たないとか、そういう有用性のレベルが無効になるような、そういう位相での分厚さ」ってことで、それはその「分厚い」ということが、内容のゆえに、とかいう詰まらない理由でではなく、そのものとしての存在そのものの在り方と密接に関わりあう、そういう在り方として「分厚い」と言ってるわけだ。こういう「無駄な分厚さ」に関してはルーセルの仕事やコールハースとマウのサイコロ本なんかを想起してもらえれば、「ああ」って感じだとは思うんだけど……。

って、また書き出すと長くなるから(そして、もうこの時点でそれなりに長く書いているだろうから)、おれとしてももう切り上げるけど、yuiさんがもしこれを読まれているのなら、『死者の挨拶で夜がはじまる』劈頭の、鈴木創士さんとの対談を拳拳服膺して、自分が「そういう危険がある子」(他の人には何が何やら分からん引用でしょうが、とりあえずyuiさんに伝わればいいので、これで勘弁してください)ではないかどうか、よく考えてみてください。
はやし 2005/06/08(Wed)01:18:00 編集
応答すべきか悩んだのですが、これが私があて推量した愚かしい「語り」の現実です。最後としたのは、はやしさんも早く切り上げられたいと思っておられるのではないかと邪推したからにすぎません。

そして、好か不幸か「そういう危険な子」ではないです。
ちなみに『死者の挨拶で夜がはじまる』です。ここは、私にとっては、たまたま立ち寄ったBlogであって、集う皆さんがどういった空間に所属しているのかどうかはわかりません。(ご了承の上、以下の文意を汲んでくださると有難いと存じます。)

「書くという行為」がどういった形であれ、それ自体テキストや空間や人物への寄生の形態においてのみ自存している、(例えば、フーコーであったり、書評という空間であったり、批評という空間であったり、「この空間」のコメントに提出されているさまざまな人物であったり、その人物達の仕事であったり、あるいはとある人から捉えられた「言葉」、無為でもよいのでしょうが、その「意味内容」など…)その現実に対して虚無感を所与とできないところでは、私と丹生谷先生とではattitudeに関して大きな隔たりがあるように思えます。御著書の中で先生がどういった言説をとっておられようが、です。というのも御本人を現前としているのですから。だからといって、先生に否定的な見解を持ったことはありません。それは単なるattitudeの違いです。私はバスネットやルフェーヴルのような勇気ある意見を持ちえない人格を持った人間です。しかし、同時にそのような勇気を強制されている人間でもあります。

そして、はやしさんがあしざまに「丹生谷貴志」に対してエクリチュールを差し出しているとは読みませんでした。「言葉」というのは難しいものですね。現実世界の中で「書くという行為」を行う人間が持たざるを得ない、どこにも帰属し得ない現場の苛烈さをはやしさんはご理解していただけるものと存じます。

そして、宮本さん。
私が応答したのは「読まれてもいないテクスト」に関して無為に繰り返される言葉の放恣が持つデスラスマン的アポリアです(あくまで私にとっての)。
yui 2005/06/08(Wed)02:34:00 編集
確認のため読み直していて、私自身の言及に関して間違いがあるのをまず訂正させていただきます。「というのも御本人を現前としているのですから」は、「現前とした」いまとなっては「経験」です。私は過去に「講義」を受け、丹生谷先生の「言説」を直接受け取った経験者です。すでに先生を現前とする場にはおりません。ただ、必要ならば神戸市学国語大学に出向いて確認することはできるでしょう。学生に対して非常にフランクな先生でしたから。(恐らく、今もでしょうが)

そして、疑問にお応えすると以下のようになるでしょう。「証明」という言葉の使用に関しては私の用い方は完全に誤りです。私はその誤りを認めた上で、dynamisとして「論考」と記述したのです。また、この場が『三島とフーコー』に関するトピックを扱う場であることを踏まえるべきと私個人は考えており、おっしゃられるように「一般化」したつもりはありません。ですので、私は「丹生谷貴志」以外の人物の名を挙げるのを意図的に避けています。

また、そのことに関して誤解を与えることを回避するために少し言葉を付け加えさせていただきます。バスネットやルフェーヴルの名を挙げたのは、はやしさんが「翻訳」という作業をなされていることを考慮した上でのことであって、私は「翻訳論」を勉強しているわけではありません。「翻訳」をなされているのであれば、私のような若輩者とは比較にならないほど、そういったテクストを読破なされておられるでしょうし。そのような経緯で二人の論者の名を挙げました。それ以上の意味はありません。

「これが私があて推量した愚かしい「語り」の現実です。」に関してですが、「これ以上馬鹿の相手は出来ねえよっていう事だよな、そうだろ?」という宮本さんの、あるいは、「yuiさんは単純に、おれが丹生谷貴志のことを悪し様に言っていると思い、そしてそれに「カチン」ときただけ、だと思うんだよね。だから、まあ、その反応は理屈で為されているものではなく、感情メインのものだろうから、何を言ってもムダ、とも思うし」というはやしさんの「yui」という仮想上の存在に対するカリカチュアについて述べたことです。
私は「互いの論点のズレへの摘発めいた晒しあいのような愚かしい「語り」に成り下がることへの回避としての姿勢をとったにすぎないのです」と書きましたが、どうやら論点以上のズレになってしまったようですね。

また、「哀しみ」という言葉から私が感情的になっていると「仮に」はやしさんが受け取られたのだとしたら、以下のように私は弁明すべきでしょう。
「無為」という言葉を「例え」としてこの場で仮借するとして、その「無為」に対する文部科学省の姿勢と学究の場ですでに職場を確保し、そこから「論究」を発信しつづける「先生方」との間で宙吊りになっている「学生」ならば当然感じるであろう「哀しみ」という意味合いを付加した言説のつもりでした。「はやしさんのBlogに対して、今回コメントをさせていただいたのは…」と書いたのはそのことへの布石のつもりでしたが、この件に関して私が多分に言葉足らずだった事実は否めないでしょう。(乱筆、乱文ご容赦くださいませ。)
yui 2005/06/08(Wed)16:10:00 編集
え、『死者の挨拶で夜がはじまる』、確かにおれ、最初『使者の挨拶で夜がはじまる』って書いちゃって、んで、すぐに訂正したんだけど、yuiさんが見たときにも『使者の挨拶で夜がはじまる』ってなってました? おかしいなあ。というか、まあ、すぐには反映されないんだろうか。今はちゃんとなってますよね?

えーと、で、おれが言ってるのはそんなに大層なことじゃなくって、「論点」のズレもなにも、yuiさんの論の運び自体、メチャクチャだよ、ってことだけなんだけどな。そして、『三島由紀夫とフーコー』の内実に踏み込んだことなど何も言ってない。ただ、yuiさんが、フーコー論は「可視性」という要因がすべて、と言い、そのことは、『家事と城砦』で証明済み、と言ったから、『家事と城砦』は読んでいるので「えー、んなことないんじゃねーの」と思い、あくまでその枠内で話を振ったまで、です。

あと、「無駄に分厚い」は確かに、あの場合の使い方だと「単に、無駄」って言っているように思われてもしかたないかも、ですね。でも、これほどまでに理解が得られないとは、うーむ、って感じです。

ただ、やっぱり、こうしてyuiさんの言葉を多く聞くことで、ちょっとづつはyuiさんの言わんとすることが、分かってきたけど、yuiさんは言葉の持つ「雰囲気」に頼りすぎて論理をおろそかにしている、と思う。ネットというところは悲しいかな、文字に頼るしかないところなので、「雰囲気」を犠牲にしてでもくどく、理屈っぽく書かないと、あらぬ諍いのもと、じゃないかな。

で、「哀しみ」ってことから「yuiさんが感情的になってる」とは思わなかったけど、じゃあ何なんだ、ってのは残念ながらyuiさんの説明を読んでも分からんかった。文科省と教師の間で宙吊りになった学生ならば「当然感じるであろう『哀しみ』」?(この言明自体、はっきり言ってよく分からん。おれだったら哀しむ前に腹立つけどな)ほんとにそういう「哀しみ」を、最初このエントリを読んだときにyuiさん感じたの? 後付じゃなくって?
はやし 2005/06/09(Thu)01:02:00 編集
端的に。

私も実ははやしさんの言わんとしていることが「論理的」に理解できずにいます。可視性の前に「無為」と書いているのを見落とされていませんか?

まず、そもそも、読んでもいない本に関してコメントをする意味がわからないのですよ。学究の場の人間からすると。
また、どうして私がわざわざ自分の言葉について「後付」をしなければいけないのかも。そのような無意味な訓練は受けてきてませんし。そして、そのようなideaを私の言説に対して持つはやしさんの本意、あるいは本音自体も。

「オシマイ」かと思いきや、このような返答があったり。

私の言説やあるいは存在、つまりどういう人間か?が主観的に、あるいは勝手に憶測されていたり。「理屈っぽく」とおっしゃるはやしさんの言説はかなり主観的という印象を私もぬぐいきれません。急に澤野先生にかんする言及が出てきたり。

そして「腹立てた」ところで、今現在、学究の場において専任の場が簡単に与えられる状況下にないという程度のことはご存知かと思ったのですが。私の見当違いだったようです。すみません。

これぐらい分かりやすく書けばよいのでしょうか?
yui 2005/06/09(Thu)01:45:00 編集
これは「付記」として。

はやしさんの言わんとしている「無為」について。了解したつもりの上での言及だったのですが。了解したことを逐一了解しましたと報告することが、はやしさんが「了解」する論理的言動行為なのでしょうか?あるいは、もしかすると、私は了解していないのかもしれません。
申し訳ないのですが、もう一度「無為」について論理的にご教授頂けるとありがたいのですが。つまり、「無為」という言葉をどのような手続きをとった上で定義されているのかを。
yui 2005/06/09(Thu)02:15:00 編集
「可視性」の前に「無為」と書いている、とは? 一応おれにとっての可視性と無為の関係については述べたつもりなんですが。ただ、ここいらは「論理的」というよりも「感覚的」なものであることを認めちゃいます。

読んでない本についてコメントするのが分からない? それって、このエントリの本文に関して、ですよね?(yuiさんはそう受け取っていないみたいだけど、おれはこのコメント欄のやりとりで『三島由紀夫とフーコー』の内実に関して発言したことなど、一度もありませんので、それ以外に可能性はないのですが)あのさ、もう明らかに「学的判断」を下してるような文脈ではないでしょ? 言うなれば友だちに向かって「買おうと思ってるんだけど、どうしよっかなあ、って感じでもあるんだよねえ」って言ってるに過ぎないんだよ? それとも、人は発言するときには*いつでも*学究的たれ、という倫理的要請があるわけ?

「後付」に関してはそう取るしかないほど唐突なんだもん。おれのこの記事読んで「哀しみ」を覚えて、しかもその「哀しみ」がyuiさんが言うようなものだなんて。まあ、もうちとその「哀しみ」の内実を詳述してくれれば「ああ、そういうこと」って思えるのかもしれないけど、この公算は限りなく低い、と見積もってる。

「オシマイ」ってのはあくまであのコメントに関してであって、このコメント欄でのやりとり自体が「オシマイ」って訳じゃないでしょ。それぐらい読み取ってくれ。それに、それを言ったら、yuiさんの方が、「これを最後として私のコメントを終わらせて頂きます」って言っときながら、じゃない? まあ、でも、宮本さんのあの煽り文句があったんじゃ、また出てこざるを得ないよね。

おれ別に、自分が主観を離れた位置から発言をしている、だなんて思ってないよ。ただ、規範として能う限り論理的に、理屈っぽくやってかないとな、と思ってるだけで。だから、yuiさんにそう言われても「そうか、まだまだ精進が足りないな」と反省するだけで、「いや、おれは充分客観的で論理的だよ」と強弁するつもりはない。もっとも、yuiさんに比べりゃ論理破綻は少ない、と思うけど。

澤野雅樹に関しては、yuiさん、『不毛論』読んでない? あれ読んでりゃさ、当然丹生谷貴志と「共闘」させたくなってくると思うんだけどな。

うん、「腹立てた」ところで、現在の教育および研究システムが孕む諸々の問題はどうにもなんないよ。でも、それは「哀しみ」にしたって同じことでしょ? それとも、「哀しみ」は「腹立ち」と違って、そういう感情を抱くだけで外的な何かが変わったりするの? まさかね。まあ、言わずもがなだけど、そういう「哀しみ」なり「腹立ち」なりの感情を覚え、そして行動する、ってことでしょ。yuiさんが言った文脈で「おれだったら腹立つな」って言ったのは、単に違いを述べたに過ぎない。その違いがどうこう、ということではなく。

了解したことを逐一「了解しました」と報告すべき、だなんて、誰がんなこと言ったかね。おれが言ってるのは、何らかの誤解の余地が生じる可能性がある場合には、自分が分かったつもりになっていることでも問いただすのが重要、ってことだよ。

で、別にほんとに「無為」の定義を聞きたいわけじゃないでしょ? ていうかさ、「定義」ってのはそもそも「論理」から零れ落ちちゃうものなのよ。それは、「点とは大きさのない位置である」みたいなもんで、とりあえずのコンセンサスと、それに推論規則を当て嵌めて出てきた定理群からその「妥当性」を判断すべき事柄でさ。まあ、ともかく、「無為」ってのをどうおれが「定義」してるか、っつーと、「やることねー」、これですよ。

最後に(と言っても、このコメントの最後に、ってことで、別に「このやりとりはもうこれで終わりだ!」と言ってるわけではない)、yuiさん、あなたの愛する丹生谷貴志のためにも、あんまりこういうとこ(というのは、それなりに人目に触れる場所、ということ)にのこのこ出てこないほうがいいんじゃない? 正直、「先生」の評判を落とすだけだと思うよ。あと、「無駄に」ガラスのハートなのは、yuiさんなんでねーの?(丹生谷貴志もそう、なのかもしれないけどさ)だったら、こういう場所への出現、どころか、ネットの閲覧とかも止めといた方がいいよ。まあ、人の勝手、だけどね。
はやし 2005/06/09(Thu)10:57:00 編集
「不毛」としかいいようがありませんね。

だから言ったでしょ?「互いの論点のズレへの摘発めいた晒しあいのような愚かしい「語り」に成り下がることへの回避としての姿勢をとったにすぎないのです」と。

「論理性」だったり「感覚性」だったり「見積もる」だったり。その上で、「ただ、規範として能う限り論理的に、理屈っぽくやってかないとな、と思ってるだけで」、ですか。
ご自分の言説がまず「理屈っぽく」すらなってないことに気づくべきかと存じます。一回りも年上の方に失礼かとも存じますが。一貫性に全く欠けてますよ。

「論理的破綻」は多分に多いと思います。書いてあることははやしさん、宮本さんお二人に対しての応答からは特に、単なるsatireですから。勿論、誤字も含めて。回答(応答ではなく)を読む限りにおいて気づいておられるかどうかもわかりませんが。

「哀しみ」についてですが、それは学究にいる人間だったらある程度理解してもらえるかもしれません。完全なる閉鎖閥の縦社会において、仕事も録にしない教授や助教授、あるいは先輩の下で小間使いのように扱われ、雑用押し付けられ、勉強する時間は削られ、人間関係において首尾よく立ち回らないと、「嫉妬」や「やっかみ」などから、大事な資料を隠されたり、教授の気まぐれでテーマを押し付けられた上での、論文の書換えなんて日常茶飯事なんです。「教授」は「神様」に等しい存在として扱われるべき代物ですから。その手のサイトもありますから、探して閲覧なさるといいですよ。笑いのネタ程度にはなるでしょう。そして、非常勤の口、あるいは専任の職の口にしても、「コネ」や「ごますり」が最優先されていたり。諸先輩を見ていてたまにうんざりすることもあります。私の眼前ではこのような風景が日常的にあります。すでに猛烈に関東嫌いになってますが、あるいはどこの地でも似たようなものなのかもしれません。勉強してると、それを止めさせようと必死で絡んでくる先輩なんかね、ゴロゴロいるんですよODで。(over doctorです。一応の付記。)業績も録にあげてもないくせにプライドだけは無駄に高いという扱いにくい「輩」が。このようなスケッチ程度で、その「公算の比率」とやらは少しは上昇したのでしょうか?

そして、「無為」の定義について。おっしゃってることなど百も承知の上で質問しました。拘られておられる様子のようにお見受けしたので。別に不都合が生じるのであれば、論述などなさらなくても結構ですよ。勿論、なさっても結構です。

「丹生谷貴志」の評判を落とす…。私の言説程度で評判が落ちるのであれば、丹生谷先生の言説を読む読者のレベルがそれ程度ということまでなのでしょうか?(独り言としてお受け取りください)私個人は勿論、そのようには思ってもおりませんが。先の私の言説をご理解いただけてないようなので、簡略に付け加えますが、私は別に先生の御著書を「偏愛」しているわけではありません。

ただ、「書くこと」について苦しんだ末に出された「言説」の扱いというのが、特に丹生谷先生の御著書に関わらず、あらゆる研究者の、丹生谷先生は「研究者」では勿論無いでしょうが、その言説の扱いが一般からするとあれ程度の「扱い」なのかという、多少うんざりした「気分」から私の「応答」が始まったのは確かです。

これ程度でよろしいでしょうか。はやしさんはわかりませんが、私としては一貫性すらない不毛な議論にすらなりえない応答(としておきましょう)の応酬にいささか、うんざりしています。
yui 2005/06/09(Thu)15:40:00 編集
再び、一応の「付記」

一度で収まらずに恐縮です。無為について。
「まあ、ともかく、「無為」ってのをどうおれが「定義」してるか、っつーと、「やることねー」、これですよ。」
意味内容が全く理解不能です。手続きという行為が欠落しています。

疲れますね。
yui 2005/06/09(Thu)16:08:00 編集
(何か、字数気にしないで書いてたら、えらい長くなっちゃった! 最初っから言い訳めくけど、読んでいただければ幸甚)

確かにここまで来ちゃうと「不毛」かもねえ、それはおれもそう思う。でも、そういう「擁護の余地のない不毛」ですら「おもしれー」と思っちゃうから、若干悪乗りしちゃうんだよねえ。

とはいえ、大筋ではやっぱり、「えーおれの言ってること、ほんとにそんなに通じない?」っても思う。確かに、「ちゃんと分かってもらおう」なんて感じじゃなく、けっこういや〜な感じで言ってるしな。だから、言ってることの内実と言うよりも、そういう態度を反省。

で、まあ、そもそもの出発点に戻って、お互い、少なくともおれは「イヤな感じ」ではなく、分かってもらおうと努力するけど……yuiさん、「それは勘弁」でしょ?

だから、まあ、とりあえず、今回聞かれたことには出来るだけ誠実に、ちゃんと答えよう。

で、「論点のズレ」どころか、言ってみりゃそれよりひどくて「論点の中」でもうすでにズレちゃってるんだよね。それは、yuiさんが「互いの論点のズレへの摘発めいた晒しあいのような愚かしい「語り」に成り下がることへの回避」って言う以前から、お互い少なくとも何となくは思っていたことなんだ。それこそ、出会いがしらから。でも、そこでそれこそ「ズレ」てくるんだと思うけど、おれは「互いの論点のズレへの摘発めいた晒しあいのような愚かしい「語り」に成り下が」ってもいいじゃん、と思っちゃうんだ。これは真偽の判定を下せる体裁を纏った言い方でも言えるし、理性的判断を拒むものとして感覚的にもいえるし、「それでも人は分かりあうことを諦めてはいけない」とかの倫理的に言うこともできる。で、この場合おれは2つ目、あるいは3つ目の言い方という選択をすると思う。

でも、じゃあいつでも「感覚的判断」を下すのが「一貫」してるからよくって……とも思わない。これはある意味当たり前のことなんじゃないかと思うけど、人はあるとき理性的判断を下し、あるときは感覚的、あるときは倫理的判断を下す、という、判断の使い分けをするものだと思う。

それで、こういう「人との応答」の場合、1番大事なのが理性的に下された判断を元に話を進めることだ、と思う。で、「じゃあ何でそういう場合は理性的判断を元に話を進めるの?」ってことになったら、そういう場合は倫理的(っていうとあれだから、まあ社会的って言った方がいいのかな)判断を元に、その決断を下している、と思う(ほんとはここ、もうちょっと説明が必要だよねえ。それは分かってる)。そして、何でそれを分かってもらおうとするか、っていうと、そのモチヴェーションは感覚的判断が元だと思う。

まあご覧の通り、カント的と言うかヴェーバー的と言うかな3類型に囚われすぎてるし、そもそもそういう風に判断を分けることに問題があるんじゃ、ってのもそうなんだけど、まあそういう風に物事を考えちゃってるんで(とりあえずは)しようがない。

ただ、yuiさんに論理破綻が多いことや、さらには「誤字」の存在をも、こっち側(おれと宮本さん、ね)の責に専らしているのは、ちょっとさすがに大きく出すぎだと思うぞー。確かに、ある意味われわれがyuiさんの口からそういう出方を誘発した、って部分はあるとは思うけど。でも、それ言ったらお互い様っつーか。

あと「哀しみ」の内実に付いて、けっこう語ってもらったけど、それでもやっぱり、おれのこの記事を読んで、そういうことが頭に思い浮かぶだなんて、ちょっと分からんなあ。この「分からん」ってのは、「ほんとは違うんでしょ?」ってことでは全然なくてね。まあ、後付、って言ったのはちょっとひどい言い方だったとは思うけど、そうとしか思えないぐらい唐突だった、というのは既に述べたこと。

今となっては「おれの記事を読んだ当初から、yuiさんは、その内実を語ってくれたような『哀しみ』を感じたんだ(でも、やっぱり理由は分からん)」と、そのとりあえずの事実を認めて話を進めるしかないけど(何か意地張ってるみたいだけど、納得いかないんだからしょうがない)、そういう何の希望も抱けないような状態でも(って、ここまでyuiさんは言ってないけどさ)、どうにかよりましな状態に、って出来ることをやってくしかないとおもうよ。まあ、そんなことは当たり前で、yuiさんだって充分分かってるんだろうし、こういう風に外野から言われることがさらに「何にも知らねえくせに!」って感じでもあるんだろうけど、それはもう、ほんとしゃーないじゃん。即時的な感情として「哀しみ」を覚えたり、「腹を立てたり」ってことはするかもしれないけど、やっぱり改善の、少なくともそういう状況を乗り越える役に立つとは思わないもの。「こんなことしたって……」みたいなニヒリズムを背負いつつ、新学習要領実施中止の署名とか、やっぱしちゃったもん。で、まあ、確かに(この言い回し、多いね)、そういう「学内政治」みたいなひどい話も聞くけど、幸い知り合いとか周りはそういう実例はあまり聞かず……ひどいのに当たる場合はとことんひどいのに当たっちゃうんだねえ、としか言いようないけど、まあ、頑張れ。

で、何で「頑張ってみろよー」ってあえて言うかっつーとさ、yuiさん、いま研究してること(あ、でもyuiさん自身がそう断言してるところはないな……でも、とりあえずそういう仮定で)、やっぱり「おもれー」って思って研究し始めたわけでしょ(「おもれー」なんて軽々しく言えるものじゃない!って言われるかもしれないし、そういう愉しさなんてものとは無縁の位置から、辛くて仕方ないけどやらずにはおれないこと、として研究を始めたのかもしれないけど)? で、これは邪推にもなるし、失礼な言になるかもなんだけど、yuiさんのやってる学問ってのは、普通に考えると「無駄」と言われるようなもんだと思うんだよね(おれいた学科が「壮絶な無駄」を誇る学問だったからかもしれない)。それは、社会を変えることもないだろうし(絶対ない、とは言わないけど)、人の命を救うことも出来ないだろう(人の命を救う遠因、にはなるかもしれないけど)。でもね、そういう「無駄」なものでも、いや「無駄」だからこそ(と、いささか勇み足に)おれはそういうものを救いたい。確かにその気持ちは理性的でも、社会的なものでもなく、ごく個人的で感覚的なものだろうけど、それでもそれが好きで、面白くって、これを研究していこう!と思ったんじゃない(あー、全否定される可能性、ありありだなあ。その場合は、しゃーない、諦める。「そっかー」って)?

無為については、うん、これは全然分かってもらう気のない、その分茶化す気充分の、「人を納得させるためにものを言う態度」としてはサイテーの部類ものだね。でも、言ってること自体は、間違ってないと思うけどなあ。

だって、「無為」って「やることがない状態」じゃない? で、その無為が、たとえばある種の学問のような「無駄」によって埋められたりする。それは、寿ぐべきことなんじゃないかな。

最後に(って、この言葉にもう注釈はいらんよね)告白。丹生谷貴志のこと、おれけっこう「偏愛」してるかも。
はやし 2005/06/10(Fri)07:32:00 編集
立ち位置の違いがこれだけ平行線をたどると疲弊感は一向にぬぐえませんね。きっとこの疲弊感ははやしさんに対してのみ持つものではなさそうですし。そういえば、言い忘れておりました。研究者の卵にWebを見るなという心優しいご指摘ありがとうございます。海外の研究動向が全くわからなくなりますよね。ご親切に、どうも。
アクセスの数も多いということはそれだけこの空間に「好奇」の目が向けられているということの現実でしょうし。

では「非論理的」に、あるいは「感覚的」に。

人間は、各々の語が何をどのように指示しているかにまったく無頓着でも、あらゆる意味を表現しうる言語を構成する力をもっている。―ちょうど、個々の音がいかに発せられるかを知らなくとも喋ることができるように。
日常言語は、人間という有機体の一部であり、他の部分に劣らず複雑である。
日常言語から言語の論理を直接に読み取ることは人間には不可能である。
思考は言語で偽装する。すなわち、衣装をまとった外形から、内にある思考の形を推測することはできない。なぜなら、その衣装の外形は、身体の形を知らしめるのとはまったく異なる目的で作られているからである。
日常言語を理解するための暗黙の取り決めは途方もなく複雑である。

はやしさんは以上の言説を簡単に思考の中から消去することがお出来になりますか?あるいはこの言説が消去される現実を直視することはお出来になりますか?

どの書物からの引用であるかはやしさんにとっては言わずもがなでしょうし、私がこの言説をわざわざ引用してきた「感覚」も言わずもがなでしょう?これだけ、他人の頭の中を同定できる力がおありならば。

お互いが建設的理解の場に再び立てる可能性があるならば、私はレスをするでしょうし、もう明らかに無駄だと思えば、恐らく返さないでしょう。先達に対し失礼にあたる態度とは十分に承知しております。その点に関してはお詫び申し上げます。嘆息。(誤字脱字があれば、それは本当に誤字脱字です)
yui 2005/06/10(Fri)15:58:00 編集
>Yui says

なるほど、もはや現前していないものは経験である、こういう言い方あるいは考え方はどこで学ばれたのでしょうか?興味深いです。

>Hayashi says

はやしさんが言ってる「無為」は理解できますよ。端的言えばノーベル賞を獲るために学問に励んでいるわけではないということであろうと思います(間違っていたら御免ください)。「徒然草」の英訳はかつては「have nothing to do」じゃなかったけ?換言すれば、つれづれなるままに日暮らし学問に励む、と(間違っていたら…)。
久留間 徹 2005/06/10(Fri)22:35:00 編集
比留間さん
はやしさんの言説に学びながら、「外野」の意見として真摯に受け取らせて頂きます。ありがとうございます。
yui 2005/06/10(Fri)23:03:00 編集
比留間さん
ついでながら、
私も専門ではありませんし、それに類する授業を受けただけなので、単なるおせっかいになるかもしれません。あるいはそんなことは「常識」と言われていまえば、実際そうとしかいえません。ですが、ヨーロッパそしてアメリカにおける言語学の派生をご存知ならば、おのずとご理解いただけるのではないかと。もしご存じなければ、その類の入門書ならば巷にあふれかえっていますし。あくまで、これはひとつの例です。私としては、「もはや現前していないものは経験である」の「もはや」に引っかかりを感じるわけですが、そのようなものは「もはや」瑣末な問題なのでしょう。
yui 2005/06/10(Fri)23:51:00 編集
いささか婉曲的な質問内容なので、yuiさんの意図するところを履き違えていたら御免ください。恐らく、have+ppの話をなさっておられるのでしょうか?厳密に言えば、「もはや現前していないものは経験である」というフレーズには確かに問題があると思っていました。訂正の仕方に二つあろうかと思われます。

1)「もはや」を削除する
2)「もはや」を削除せず「経験」という単語を「過去」に変換する

つまりyuiさんは I studyed with him ではなくてI have studyed with him とおっしゃりたいのでしょうか?
どうも自分の応答内容にはあまり自信がありませんが…。もしトンチンカンな発言だったら御免ください。
久留間 徹 2005/06/11(Sat)01:03:00 編集
比留間さん
時間が無いので端的に。「言語学」と申し上げたところに留意してください。ソシュールから研鑽なさってください。ソシュールの問題と丹生谷先生を相似形で結ぶつもりは毛頭ありません。それこそ戯画ですね。
「こういう言い方あるいは考え方はどこで学ばれたのでしょうか?」という比留間さんの質問に対しては少し「遊び」を入れすぎた「回答」になっています。その点に関しては猛省しております。
yui 2005/06/11(Sat)01:19:00 編集
仰せのとおり、ソシュール研鑚の旅仕度は整ったのですが、その代わりといっては何ですけれども、yuiさんは「先生の言説を”直接”受け取った」と主張なさる割には、私のような赤の他人に対してはいささか婉曲的で間接的(indirect)な謎めいた言説を放つ傾向があるのではないかと思われます。ひょっとすると先生がそういう方だったのかな?なアんて考えたりする人がいるかもしれませんよ(間違っていたら御免ください)。もう少し分かりやすく記述していただけると、こちらも有難いのですが…。
久留間 徹 2005/06/11(Sat)07:52:00 編集
恥をかかせるのもつもりもないのですが、
英語がすでに間違ってます。
yui 2005/06/11(Sat)12:48:00 編集
はやしさん
レスポンスがありませんね。邪推ですが、そろそろ切り上げるべきとお考えであれば、そうさせて頂きます。待つ時間も正直うんざりですよね?

比留間さん
「ひょっとすると先生がそういう方だったのかな?なアんて考えたりする人がいるかもしれませんよ」
御著書を読んでそのようにお考える方々までの思索を縛る権利は私にはありませんし、私は「ガラスの」といういささか冗談が過ぎる形容しか先生に対しては使っていないと思います。念のため書き添えておきますが、言語学の講義については他校(神戸市外国語大学ではないという意味です)で開講された公開講義を「他の」先生から受けたのです。「授業」という言い方は誤解をまねきましたね。若輩者ゆえの愚かしい間違いでした。反省します。

英語の表現に関して
Mr.○○ lectured us for ○○.
Mr.○○ gave us a lecture on ○○.
あるいは、「経験」とおっしゃるなら、
I have had a lecture on ○○ by Mr.○○.
くらいじゃないでしょうか。(私も英語を専門としている訳ではないのでこの件に関しては凡そ自信はありません…)それでも、I studyed with him.とは普通表現しないと思うんですよ。その指摘を避けるために婉曲的にレスポンスしたのです。
(乱筆、乱文ご容赦くださいませ)
yui 2005/06/11(Sat)13:42:00 編集
はいはい、お待ちかねのレスポンスですよー。つっても、応答することなんて別にないんだけどね。

というのも、yuiさんのおれに対する直近のコメントを読んで、正直「あーまた気取ったほのめかししかない文章だな」としか思わなかったからな。それに対して何かを言うってのは、「まあ、言ってもしゃーねえことなんだろうな」って感じだし。あ、それで、丹生谷貴志の名誉のために言っておくと、彼の文章は、確かに「気取ってる」ように受け取れもするけど、少なくともここまでひどく(というのは、yuiさんの文章のように)「婉曲的で間接的(indirect)な謎めいた言説」ではない。

どうせだから久留間さんとのやりとりについてもちょっと茶々を入れさせてもらえば、「誰かに付いて、何かを学ぶ」っていう表現として、study withって言い方、普通にしますよ(どうでもいいけど、間違いを指摘しておきながら何でその間違いを反復してんだろ? イヤミ、かな)。

あと、「言語学」って言って「まずソシュールから研鑽しろ」っていう感覚にも恐れ入るけど、何より、こうも立て続けに人の名前を間違え続けている、ってのが、一番気になる。
はやし 2005/06/13(Mon)01:30:00 編集
少なくとも論文の英語では使用ないと思います。口語は知りませんが。それでも、先生に学んだという意味ではこの英語は明らかに変だと思われます。I studyed with him.文意を無理やり汲むとすれば、Iはhimである任意の先生の実存を研究するというようにしか読めせん。withはstudied withだと、○○に関して勉強するという意味でしょう?私達は講義を受けるのですから。ある任意の先生の下という意味でなら、studied underとなるはずです。
そんなことはどうでもよいのです。先の私の言説に対するはやしさんのレスポンスを私は待っているのです。

そして…応えはないですね。

それ以前に、引用部分を探し出せませんでしたか?でしたら、文意を汲むくらいでも結構ですよ。別にはやしさんならば、読めない文意じゃないでしょうし。それ以前に誰も読まないような本から出してきたわけでもないのですが。ご指摘なさる間違いならば、それは間違いを正せば済むことです。
それにしても、私のレスポンスへの応答はどうしたのですか?ほのめかしでもなんでもありません。かなり直裁に質問したつもりですよ。あれが「婉曲」なんてありえないでしょう。誰でも読んでるような本から引用もしましたし。貴方がとりあえず、私がいなくなったころを見計らって、「とりあえず俺の方が上だ」というところをみせて応答を終わりたいなどという狭量な方だとは思いたくはないのですが。

それとも揚げ足取りみたいな、じゃれあってる小学生並のレベルでしか、ここでは応答はなされない決まりにでもなっているのですか?
私は一応先達をたてる行為はしたつもりです。でも、ひっかかっておられるようなので、素直に英語の訂正を行ったのです。私も修辞をふんだんに使ったような英語は書けないですが、あれくらいの間違いにはさすがに気づきますよ。
yui 2005/06/13(Mon)04:22:00 編集
ついでに言っておきますが、
「「擁護の余地のない不毛」ですら「おもしれー」と思っちゃうから、若干悪乗りしちゃうんだよねえ。」とおっしゃったのははやしさんでしょう。その上、私の身の上までご丁寧に同定して頂ける炯眼の持ち主なら(それが正しいかどうかは別にしても)、これくらいの簡単な質問なら、当然レスポンス頂けると思っておりましたが。揚げ足を取ることで形勢不利の状況を隠蔽し「遁走の姿勢の形跡を残そう」としている風にしか私には「感じとれません」。
再度、繰り返します。あの引用と私の質問にお応えできるのですか、それとも単にその能力が欠如しているだけなのですか?これ以上に質問にも応えずに愚かしい意趣返し(のような)態度はよもや、はやしさんは採用なされないですよね?
yui 2005/06/13(Mon)05:00:00 編集
くどいですが、
私はもはや「丹生谷貴志」の言動には拘っていません。
あなたも、「言うなれば友だちに向かって「買おうと思ってるんだけど、どうしよっかなあ、って感じでもあるんだよねえ」って言ってるに過ぎないんだよ?」とご自分でおっしゃっているでしょう?私が知りたいのははやしさんご自身の私の引用した文章および質問内容へのレスポンスです。それ以上でもそれ以下でもありません。
yui 2005/06/13(Mon)05:08:00 編集
「揚げ足取りみたいな、じゃれあってる小学生並のレベルでしか、ここでは応答はなされない決まりにでもなっているのですか?」、って、yuiさんのやってることがまさに「揚げ足取りみたいな、じゃれあってる小学生並のレベル」なのじゃ。

あなた、おもしろいぐらいにバカすぎるから放置決定。「外野」はそれをニヤニヤしながら見ています。
はやし 2005/06/13(Mon)07:24:00 編集
了承しました。結局はやしさんには応答できる能力が「なかった」と理解します。
yui 2005/06/13(Mon)13:35:00 編集
久留間さん

2005-06-13 04
名前の記名の間違い謝罪させていただきます。はやしさんのコメントがあまりに腹立たしく、正せばいいなどと勝手なことを申し上げました。というか、わたしははやしさんの応答を待ち続けていたので、あの回答はないだろうといささか
感情的になってしまっておりました。しかし、やはり英語の用法は間違っているように思います。

はやしさん

はやしさんについては単に頭がわるい方なのか、優秀な方のかいまだに理解に苦しみます。応答には年齢相応の「余裕」が全く感じられないし。応戦するので手一杯という印象が何故か拭いきれません。論理的にと指示しながら、感覚的にと筋が次々に路線変更されるため、論旨がとりずらかったです。また、安易なレスポンスにはいささか立腹もしましたが、それでもレベルを落とした内容で質問するのも先達に失礼かと思い、いささか皮肉は入っていますが、貴方の解析能力を踏んだ上であのような「問い」になりました。(見当ハズレだったようですが…)「「外野」はそれをニヤニヤしながら見ています。 」そう言われましても、私は「だからどうしたんだろう?」と思ってしまうんですよ。「外野」はそれほど貴方にとって重要な要素なのでしょうか?あるいはご自分が「外野」のつもりだったのでしょうか…にしてはコメントに冷静さが欠けてますから、その理解の仕方にも無理があるでしょうか?得手勝手な同定をなさる割には、許容量以上の質問には「諦観の姿勢」?(しかし、あれでは「諦観」にはなっていないような気がします。)あるいは、一回りも下の(貴方からみれば恐らく)子供に対して恥を晒すことを怖がっておられるだけなのでしょうか?
yui 2005/06/13(Mon)15:00:00 編集
火に油を注いだ張本人が、またまた現れるんだけど。

「これで終わりにしたいと思います。」

なんていう決め台詞をもってくるんなら、例えば
3世紀の間誰も証明できなかった「予想」を証明し、その後は「予想」を提示した人物と並べて「…/…の定理」って呼ばれるような、そんな仕事をし終えた後に、

すれば
ものすごくかっこいいって言うか、美しい、
んだけど。

なんだかチンケな、個人的なお知り合いに対する個人的な感情だとか個人的な生活の愚痴だとかの披露に関連させるんなら、それは滑稽な「気取り屋さん」でしか無い。

「フェルマー・ワィルズの定理」について言ってるんだけど
わかるかな?わかんねだろな。
宮本浩樹 2005/06/13(Mon)21:03:00 編集
まあ、まあ、みなさん、ようおへんなあ。まあ、祇園の御茶屋で、けんかは、あかしまへんで。たのしゅう遊ばんと。遊び心のわからんお方は、酔っ払いオヤジにまかしときなはれ。遊び心もおへん だんさんには、ほめ殺しでお帰り頂きますさかいに。ここは、祇園の御茶屋どして、新地の安もんバーとは、ちがいおすさかいに、じょーひんに遊ばんだんさんは、ちゃーんとお帰り願いますさかいに。まあまあ、みなはん、つむじからそない煙たてんときなはれな。
原作たそがれ清兵衛   2005/06/13(Mon)21:25:00 編集
つーか、みんな何今頃になって出て来てんだよ! もうちょっと早く登場して、お相手をしてあげてくれればよかったのに!

で、「ほめてるだけほめてお帰りいただく」というのはおれも考えたんだけど……原作たそがれ清兵衛さん、これがなかなか難しいから、ちょっとやってみてくださいよ。
はやし 2005/06/13(Mon)23:20:00 編集
本当に、結構やったら凄いかも? 強烈なベトの大阪弁で、言ってる内容は京都弁(=婉曲的逆説的賞賛の連続=ある種のほめ殺し)で。 以前、とある掲示版でのこと。そこはずっと紳士的な掲示版だったのだけども、弱いものいじめ目的で、ひどい書き込みを始めた連中が数人いたので、その数人の連中にこれをやったら、その連中はあっという間に完全に沈黙したのだけど、逆に、紳士的な書き込みをする人も、引いちゃってね。

私があっちに書いて、こっちに書かなくなったら、急にああいう方が来られたでしょう。 でも、ご来客数も増えたでしょう。 俺って、魔よけでもあるけど、まともな人も引いちゃうんだと感じました。 とほほ。
で、来たら本当にしていいんですか?  
とある掲示版みたいに、「そして誰もいなくなった」ってのも、ちょっと恐いです。

あっちでは、変幻自在な作戦で、私を翻弄した軍師殿でありましたが、軍師殿の、あっちでの、ああいうセンスって、むっちゃ凄かったですよ。
要は、もっと、ああいうのりで、もっと触りまくるだけでお帰りいただけたかも?
まあ、相手に悪意がない場合と、明らかに悪意がある場合では、違うとは思いますがね。

それと、その褒め殺しやったら、家内にカキコ禁止2週間の処分をくらいました。
読書会始まって、すぐ謹慎させられたくないですしね。(笑)
でも、はやしさんのお墨付きなら、許してくれるかも?
家内は、結構はやしさんの隠れファンみたいですから。
原作たそがれ清兵衛 2005/06/14(Tue)05:06:00 編集
ほめてほめてほめまくって、気持ちよくお帰りになっていただいて、かつ再来しないようにする、ってのは難しいですよね。おれがやると露骨に逆説的な部分が出ちゃってダメだろうな。

それで、確かにアクセス数はここんとこ多かったけど、アクセスしてくれている実際の人数自体はあんま変わんないですよ。大体、アクセス数を跳ね上げさせていた人は約1名に限られてたんじゃないか、って思ってます。それにしても、普通に書き込んでいる限りでの原作たそがれ清兵衛さん、別段まともな人を引かせてはいないでしょう。

「あっち」のああいうプレイですけど、あれをここでやったらそれこそ「火に油」ですよ。まあ結果的に何をやっても「火に油」だったのではとも思うので、ああいう風に弄るだけ弄って、というのも手だったのかもしれませんが、それもなんだか、ねえ?

というわけで、「ほめ殺し」は許可、ですので、また何かありましたらお願いします。神戸弁で。
はやし 2005/06/14(Tue)12:09:00 編集
これを本当の最後に。

とある本の引用より。

「「現実(reality)についての私の考え方は(シュッツとは)まるで違う。私にはどれか特定の現実こそが至上のものであるなど考えるつもりはこれっぽっちもない。私ならば、あらゆる現実はどれも同等の資格で現実的であると答えてほほえんでいるだろう。どれかひとつの現実が他の現実よりも多くの真理を含んでいるなどと、一体どうしていえようか。」
 この考え方を推し進めていけば、常識的な日常世界の「現実」も、社会学者どうしが狭い知的サークルの中で、「相互主観的に」つくりあげる科学的理論にとっての「現実」も、どちらがより多くの真実をふくんでいるかなどとはいえなくなるだろう。(略)」

新地の安バーなどは行ったことがありませんが、ここは、祇園の御茶屋でもないような気がします。(一度親に連れて行かれて偉い目にあいました)ただ、格式云々で言っておられるならば。ここは、あくまで、そこいらへんに普通にある「茶屋」でしょ?

お友達がきてくれはってよろしゅうどすなーはやしはん。お友達がおらへんと、よちよち歩きの赤ん坊の世話も出来へんさかいになぁ〜。
戯言はこれぐらいにしまひょか、旦さん方?
ほな、みなはん、ごきげんよろしゅうに。ほんまおいしい「お茶」どしたえ〜。
yui 2005/06/16(Thu)01:11:00 編集
こら、そこのガキ、ええかげんにさらさんかい。お前の病名、はっきり言うたるわ。
お前は、あほでも馬鹿でもない。お前は「子供」ちゅう病気なんじゃ。総スカンくろてることくらい分からんか。また「最後に」いうて何回くんね。このくそ「子供」。ほんま、大学出たてのガキは、ほんま、本だけちょっとようけ読んで、ええ気になりよって。
京都弁わかるみたいやな。なんや、お前は京都大学か? わしは、ラーメン大学やけどな。 そら、お前のほうが 頭ええわ。でも、世の中頭の良さだけで、立ち回れる思たら大変やで。 気いつけや。 ほんまに。 大学の中で生きてくんでも、頭だけとちゃうで。 ほんま、お前みたいなガキに、いちいち、こんなこと教えたる奴、普通いてへんしな。ありがたい思て、もう二度と来たらあかんで。
ほんま、たのむで。しっかりしいや、ちょっとは。
繰り返すけど、俺の顔に免じて 二度ときたら、あかんで、たのむで、二度とな!
ほんまやで、二度とな!!
原作たそがれ清兵衛 2005/06/16(Thu)06:04:00 編集
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