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昨年、所用で日本に一時帰国したときに買い、かつこちらに持って帰ってきた本のメモ。
ごく短期間の帰国で、かつ超絶に忙しかったため、行くことのできた大きめの本屋は渋谷のブックファーストと青山の青山ブックセンターぐらいで、欲しいと思っていた本はほとんど買えず、店頭で見かけての衝動買い、あるいはもともと持っている本の買い直しが主となった。(ただ、そういう買い方のほうが読書傾向が透けて見えるようにも思え、そういう意味でおもしろい、ような気もする)
ごく短期間の帰国で、かつ超絶に忙しかったため、行くことのできた大きめの本屋は渋谷のブックファーストと青山の青山ブックセンターぐらいで、欲しいと思っていた本はほとんど買えず、店頭で見かけての衝動買い、あるいはもともと持っている本の買い直しが主となった。(ただ、そういう買い方のほうが読書傾向が透けて見えるようにも思え、そういう意味でおもしろい、ような気もする)
読書について(小林秀雄、中央公論新社)
ぼくは、本を読むのはあまり好きではないけど、「本を読む」ことについて書かれた本を読むのは好きだ。そして、小林秀雄は好きな書き手である(「小林秀雄の言っていることはたんなる独断に過ぎない」という意見もあり、なるほどぼくもそうだと思いもするし、なにより小林秀雄じしんからしてそういう自己評価を下している文章を読んだ覚えすらあるのだけど、ともあれ、小林秀雄の吐く独断が魅力的であることは否定のしようがない)。だから、以前べつのかたちで読んだことのある文章が入っていても、二重に好きな要素があるので思わず買ってしまった。
「誤読」の哲学──ドゥルーズ、フーコーから中世哲学へ(山内志朗、青土社)
副題だけ見るとなにやらあやしげな印象を受けてしまうけど、そこは名著『普遍論争』(ぼくはこの本から中世哲学のおもしろさを教わった)の著者である山内さんのこと、堅実で緻密なストロングスタイルの議論が繰り広げられていることと期待する。
ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察(蓮實重彦、NTT出版)
ちょうどストローブ=ユイレ著作集全7巻を買ったばかりだったので、あとがきの「『ゴダール マネ フーコー──思考と感性とをめぐる断片的な考察』と題されたこのテクストは、ことと次第によっては、『ストローブ=ユイレ セザンヌ マラルメ』と題されてもおかしくない書物である」という一文に惹かれて。副題に「考察」と謳われてはいるけれど、ここで読まれるのはどちらかと言えば「独断」というに近く、だからこそ(小林秀雄がおもしろいのとまったく同じ意味で)おもしろい。(この本と同じ並びに『映画論講義』もあり、買おうかどうしようかやや逡巡したのだけど、その時点で抱えている本の冊数がかなりの量だったので、けっきょく買わなかった。いま思うと、買ってくるべきだった、と思わないでもない)
「赤」の誘惑──フィクション論序説(蓮實重彦、新潮社)
その刊行とほぼ同時に手に入れたにもかかわらず「読まれるべき書物は何よりもまず『ボヴァリー夫人』でなければならず、それ以前に『「ボヴァリー夫人」論』のページがくられることなどあってはならない」という念押しに出くわし『ボヴァリー夫人』をまずは再読し終えるまで(ことによったら永遠に)それを読むことが延期されている『「ボヴァリー夫人」論』の代わりと言ってはなんだけれどもそれを読む「準備運動」として『ボヴァリー夫人』とともに読むことが求められているような気がしたので。それにしても、しかし、この本は、「独断」とまでは言わないものの、「ただ『赤』として反復される語彙としての『赤』に身を委ねること。ここに推移しつつあるのは、そうした試みにほかならない」という文言と、そしてなにより書名からもあきらかなとおり、これは「論」というより「快楽への誘い」と言ったほうがいい書物だろう。
アントナン・アルトー 自我の変容──〈思考の不可能性〉から〈詩の反抗〉へ(熊木淳、水声社)
ぼくにとってアルトーというのは、ずっと気になる存在ではあるけれど、その書きもののページを繰っては「なにこれ分からん」と放り出し、時をおいて再度チャレンジしてまた撃沈ということを幾度となく繰り返してきた人だ。そういう「読みがたさ」をいくばくなりとも払ってくれることを期待して。
詩的分析(藤井貞和、書肆山田)
「なにかあたらしめの日本の詩が読みたい」と思い、現代詩文庫のあたらしめのものを何冊か買おうと青山ブックセンターの詩のコーナーの前に立つも、現代詩文庫がかためて配置されておらず、なにが「あたらしいめのもの」か分からなかったので、「その代り」と言ってはなんだけれども、これを買った。扱われているのは万葉や、あるいは李白といった古詩が多い。ここからおそらくは『文法的詩学』につながってゆくのだろう。
さようなら、ギャングたち(高橋源一郎、講談社)
虹の彼方に(高橋源一郎、講談社)
ジョン・レノン対火星人(高橋源一郎、講談社)
これらはいずれも買い直し。『さようなら、ギャングたち』は買ってすぐその日に読んだのだけど、まがりなりにもそれなりに(とはいえ、いっぱんに言う「読書家」からすれば、ぜんぜん、まったくもってお話にならないぐらい貧弱な)読書体験を積んできたいまでは、むかし読んだときには分からなかったいろいろな要素がここかしこにこだましているのが見いだせて、おもしろかった。
吉本隆明対談選(吉本隆明、講談社)
高橋源一郎『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』に収められている高橋源一郎と吉本隆明の対談を読み返したかったのだけど、『しまうま語』はとうに品切れ。では、というわけでその対談も収録されているこれを買った。ところで、吉本隆明は大西巨人との対談のなかで『さようなら、ギャングたち』について「高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』っていう作品はね、これはちょっと芥川賞以上ですよ。分かりますよ。読んでごらんになればね、これは高度なものであって、この作者は大変な人だって、分かると思いますね。これが分かんなかったら全部嘘だって気がします」とまで言っていて、吉本隆明が高橋源一郎、とくに『さようなら、ギャングたち』を評価していたのはとうぜん知ってはいたけど、ここまでとは思わなかった。
ヨオロッパの人間(吉田健一、講談社)
吉田健一は、『英語と英国と英国人』や『私の食物誌』なども読み返したかったのだけど、ふらっと入った本屋には見当たらなかったので、読んだことのないこれを買った。吉田健一の文章は「悪文の見本」のように言われたりもするけれども、切れ目なしにどこまでも横滑りしていくと見えつつもけっきょくはちゃんと行く着くところに行き着くそれは、ぼくにとってはふしぎにすっと入ってくる。そういう「切れ目なしにどこまでも横滑りしていくと見えつつもけっきょくはちゃんと行く着くところに行き着く」という文章の極北が見られる『詩に就て』、そして『時間』もぜひ読み返したい。(ところで、『詩に就て』は文庫化されることはないのだろうか?)
資本論の哲学(廣松渉、平凡社)
これも、買い直し。ほんとうは、『世界の共同主観的存在構造』をこそ読み返したかったのだけど、同じエディションのものを買う気にはなれなかったので、けっきょくこれだけにした。
ぼくはこうやって詩を書いてきた──谷川俊太郎、詩と人生を語る(谷川俊太郎・山田馨、ナナロク社)
再度「あたらしめの日本の詩」を求めて立ったべつの本屋の詩のコーナーにも現代詩文庫はかためて配置されておらず(というか、そもそも、その本屋の詩のコーナーには現代詩文庫がほとんど置かれていなかった)、またしても「代わり」にたまたま目についたこの本を買った。「谷川俊太郎ベスト」のような趣もあり、そして対談自体もおもしろく、おまけに値段も安いので、おすすめ。
チャート式シリーズ 数学難問集100(チャート研究所、数研出版)
街を歩いていたら無性に受験数学の問題が解きたくなってきてふと目についた本屋に飛びこみこれを買った。自分がじっさいに受験生としてこういう問題集を解いていたときは、効率ばかりを気にして、問題の背後に広がる理論に目を向ける余裕などとてもなかったけど、まがりなりにもそれなりに(とはいえ、ちゃんと数学を勉強している人からすれば、ぜんぜん、まったくもってお話にならないぐらいお粗末に)数学を勉強してきたいまでは、それら問題の背後に広がる理論がちょっとは垣間見えるような気もして(そして、不遜ながらも「それほどむずかしくないな」と思えもして)、それもたのしい。
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チャート式じゃなくって、大学への数学と格闘始めました。背景がわかるどころか、ぜんぜん解けません。10年前より、さらに激しく能力が落ちています。涙。(理系の)大学へ行きなおす??気です。(少し体調を治すのが先ですが。)
おお、理系での大学再入学、いいですね。ぷっつん大吉さんの母校に学士入学とか、どうですか?
「問題の背後に広がる広大な風景のちら見」ということで言えば、ぼくの場合、クラインの『高い立場からみた初等数学』などである程度の「下仕込」をしてあったからこそ、見えたのかもしれません。ともあれ、クラインのこの本は、現在新刊書店での入手はむずかしそうですが、古書でそれなりの安価で手に入るのであれば、一読をおすすめします。
また、受験数学ということにかぎらず、広く「数学の問題を解く」ということにかんして(もしかしたら、「数学の」という限定辞すら不要、かもしれません)、これはひじょうに有名な本なのでご存じ、あるいはすでにお読みかもしれませんが、ポリアの『いかにして問題を解くか』は激烈な名著でありますので、もしお読みでなかったら読むことをつよくすすめます。
受験数学に特化した本で言うと、ぼくが受験生のときに読んだ秋山仁さんの講義録は、ポリアの方法論をそのまま受験数学界に持ちこんだような本で、ひじょうによかった覚えがあります。
……って、また本語りになってしまった。ともあれ、数学のおしゃべりはとてもたのしいので、なにかありましたら、またぜひ。(というか、お体の具合よろしくないんですか? まずはどうぞ体調を整えることを第一にしつつ、たのしい数学ライフをお送りください)
「問題の背後に広がる広大な風景のちら見」ということで言えば、ぼくの場合、クラインの『高い立場からみた初等数学』などである程度の「下仕込」をしてあったからこそ、見えたのかもしれません。ともあれ、クラインのこの本は、現在新刊書店での入手はむずかしそうですが、古書でそれなりの安価で手に入るのであれば、一読をおすすめします。
また、受験数学ということにかぎらず、広く「数学の問題を解く」ということにかんして(もしかしたら、「数学の」という限定辞すら不要、かもしれません)、これはひじょうに有名な本なのでご存じ、あるいはすでにお読みかもしれませんが、ポリアの『いかにして問題を解くか』は激烈な名著でありますので、もしお読みでなかったら読むことをつよくすすめます。
受験数学に特化した本で言うと、ぼくが受験生のときに読んだ秋山仁さんの講義録は、ポリアの方法論をそのまま受験数学界に持ちこんだような本で、ひじょうによかった覚えがあります。
……って、また本語りになってしまった。ともあれ、数学のおしゃべりはとてもたのしいので、なにかありましたら、またぜひ。(というか、お体の具合よろしくないんですか? まずはどうぞ体調を整えることを第一にしつつ、たのしい数学ライフをお送りください)
はやしさま
秋山さんの本がAMAZONから到着したので、読み始めました。この本、なかなか引きこまれますね。正直読んでいてとても楽しいです。かつて僕が受験のときにやった、(大学への数学が標榜したような)いわゆる解法暗記に対する痛烈な批判を秋山さんが、書いておられました。大学入学後、数学で挫折するのは、解法暗記に走りすぎたつけだと。私のような凡人にとって入試は、時間内に普通レベルの問題を確実に解くというのが合格への確実な手法だと思われますが、秋山さんの本を読めば、解法暗記なんて、最後の最後だけにすればいいと感じられました。大学への数学と格闘を始めて、正直なところ、また無味乾燥な解法暗記が永遠と続くのかと、非常に辟易していたところでした。楽しい数学の王道ともいえる本を教えていただき、ここより感謝しております。
秋山さんの本がAMAZONから到着したので、読み始めました。この本、なかなか引きこまれますね。正直読んでいてとても楽しいです。かつて僕が受験のときにやった、(大学への数学が標榜したような)いわゆる解法暗記に対する痛烈な批判を秋山さんが、書いておられました。大学入学後、数学で挫折するのは、解法暗記に走りすぎたつけだと。私のような凡人にとって入試は、時間内に普通レベルの問題を確実に解くというのが合格への確実な手法だと思われますが、秋山さんの本を読めば、解法暗記なんて、最後の最後だけにすればいいと感じられました。大学への数学と格闘を始めて、正直なところ、また無味乾燥な解法暗記が永遠と続くのかと、非常に辟易していたところでした。楽しい数学の王道ともいえる本を教えていただき、ここより感謝しております。
ああ、そういうこと、言っていましたね。たしか、「高校時代『数学が得意』と自負する人が得意なのはたいてい微積で、そういう人が大学に入って数学科に行ってしまうと苦労する」という言い方だったと思いますが、つまり、微積ってのはだいたい公式の当てはめ(つまりは、暗記力のみ)で解けちゃうわけで(余談になりますが、「微積でむずかしいのはたいてい数Iがらみ」とも言っていましたね)、そこでは数学的思考力(って何だかとってもうさんくさい言い回しですが)はほとんど要らないわけです。
ただ、これは言うまでもなく、また数学にかぎらない話ですが、「機械的な暗記」ってのもぜったいに必要で、そして、のちのち思考力が必要とされる局面で暗記の成果ってが利いてきたりもするわけです。だから、何を機械的に覚え、何を(機械的に覚えるのみならず)考え方まで習熟すべきかって見極めがいわゆる「受験術」(あるいは、もっと広く「勉強術」)の要諦になると思われますが、そこはおそらく「暗記→暗記したことのメカニズムの理解」(たとえば、三角函数の各公式を機械的に暗記してしまったのち、「どうしてそうなるか」というメカニズムの理解に努める)というのが王道なのかなあ、と思ったりしています。
というか、秋山さんの講義録、めちゃくちゃ読みたくなってきました。
ただ、これは言うまでもなく、また数学にかぎらない話ですが、「機械的な暗記」ってのもぜったいに必要で、そして、のちのち思考力が必要とされる局面で暗記の成果ってが利いてきたりもするわけです。だから、何を機械的に覚え、何を(機械的に覚えるのみならず)考え方まで習熟すべきかって見極めがいわゆる「受験術」(あるいは、もっと広く「勉強術」)の要諦になると思われますが、そこはおそらく「暗記→暗記したことのメカニズムの理解」(たとえば、三角函数の各公式を機械的に暗記してしまったのち、「どうしてそうなるか」というメカニズムの理解に努める)というのが王道なのかなあ、と思ったりしています。
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