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セイゴオが最近、千夜千冊の遊蕩篇でワインバーグの『一般システム思考入門』を取りあげており、そこでのセイゴオの手堅く啓蒙的なまとめを読んで、おれがルーマンの『社会システム理論』に関していだいていた(そして、いまでもいだいている)「ここには『何か」ありそうではあるんだが、しかし……」という述懐の「しかし……」の部分がややはっきりしたような気がするので、それについて書く。
まず型通り、『一般システム思考入門』の著者ワインバーグのことについてからはじめる。セイゴオはくだんの書きもので、「(IBMの研究員を経てSUNYの教授になった)後のことはまったく知らないのだが」と言っているが、むしろワインバーグが知られるようになったのは「その後」のことで、日本においても『ライト、ついていますか』(名著)、『コンサルタントの秘密』(超名著)、そして最近では『ワインバーグの文章読本』(未読)などで心ある読書家には夙に知られている名前であろう。
さて、そのような経歴、そして著作を持つワインバーグは、この『一般システム思考入門』で何を説いているのか? 詳細は、じっさいに『一般システム思考入門』を読むか、あるいはセイゴオのまとめを読めばいいので、ここでは一足飛びに、おれがセイゴオのまとめを読み、そして昔日この『一般システム思考入門』やらベルタランフィの『一般システム理論』やらサイモンの『システムの科学』やらを読んで得た「感じ」と、それらに引き比べてルーマンの『社会システム理論』を読んで感じる「違和感」のようなものについてふれる。
システム理論の目指すところは、一言で言えば、ある「複雑な仕組み」を、それを「内」と「外」に弁別し(つまり、システム境界を設定、あるいは析出させ)、それを観察する「眼差し」をも含みこむかたちで捉えることだ。これは、まさしくルーマンが『社会システム理論』において、「社会」というものを「システム」として捉え、そしてその「社会」という「複雑な仕組み」を明らかにせんとすることと一致する。ここまではいい。「違和感」が生じてくるのは、ここからだ。
「システム」というものについてある程度理論的に書かれた上記の本のいずれを読んでもらってもただちに分かることだと思うが、それらは「システム」として捉えられうる「複雑な仕組み」一般を扱っているのに、そのプレゼンテーションの仕方はひじょうに明快であって、たしかに「フォローするのが大変」と思うことも当然あるが(とくにサイモン本)、ちゃんと読めばちゃんと分かる。そういう筋道立ったやりかたで、これらの本は書かれている。
しかるに、ルーマンの『社会システム理論』に目を通すと、これが笑えるぐらいに混乱している。傲岸不遜の謗りを免れえないことを承知で言えば、ワインバーグ、サイモン、そしてベルタランフィといった先人たちが磨き上げたせっかくの「システム理論」という道具を使って、この程度のまとめしかできないのか、とも思う。要するに、『社会システム理論』という書物が「読みがたい」のは、おおかた「ルーマン側」の問題に思えるのだ。
もちろん、ルーマンに好意的な人たちは(そして、おれも相対的にはそういう「ルーマンに好意的な人たち」のうちに入ると思われるのだが)、「ルーマンは、他のシステム論者たちとちがって、『社会』というべらぼうに複雑なものを扱っているので、しようがないのだ」というようなことを言うだろう。そうかもしれない。ただ、かりに「社会」というものが「他のシステム論者たち」が扱う対象物よりも「べらぼうに複雑」であるからと言って、そうした「べらぼうに複雑」なもの(ルーマン『社会システム理論』にとっては、もちろん「社会」)を扱う言説が、その対象物と同程度(ことによったらそれ以上?)の「複雑さ=分かりにくさ」を有してしまうことのエクスキューズになるだろうか? おれは、ならない、と思う。
やや口汚く言ってしまえば、ルーマンが『社会システム理論』で「社会」を捉える際に援用する「システム理論」は、「衒学装置」のような機能しか果たしていない、そう思われても仕方のないところがある。「社会」というのは「複雑な仕組み」である。そして、そういう「複雑な仕組み」を捉えるには、システム理論が使えそうだ。こういう意図自体は、何の問題もない。しかし、繰りかえせば、そういう「システム理論を援用した『社会』という複雑なものを捉える試み」それ自体が、把捉対象(つまりは「社会」)と同程度の複雑さを有してしまったら、システム理論を援用する意味がどこにあると言うのだろう?
ただ、こうは言っても、おれが「ルーマンはたんじゅんに衒学趣味でシステム理論を用いて、その言説をいたずらにややこしくしているのだ」と考えていると思われたとしたら、それは誤解である。ルーマンの「社会を何とか理解したい」という熱意は、おれも疑うところはない。しかし、何ごとも「熱意」があればいいというものではなく、たとえばいくら音楽が好きでも基本的な「センス」がなければそれに能動的に関わろうとしたってどうしようもないように、自分には本来向いていないことをしゃかりきになって遂行しようとして、結果そうした「熱意」が空回りすることは、おうおうにしてある。ルーマンの『社会システム理論』は残念ながら、そうした「熱意の空回り」の一例になってしまっている。そう思う。
それでは、なぜルーマンの「熱意」は「空回り」してしまうのか? 言いかえれば、システム理論を援用するに際して、ルーマンに欠けている「センス」とは何か? セイゴオのまとめをすでに読んだ人ならもうお分かりだろう。そう、ルーマンには(システム理論を援用する際には必須と思われる)「工学的センス」というものが絶望的に欠けているのだ(ここで、「では、その『工学的センス』とは何か? 実定的かつ記述的に示してはもらえまいか?」という反問が予測されるが、残念ながら「センス」というものを「実定的かつ記述的に示」すことはむずかしい、と答えざるをえない。もちろん、それこそ「工学的」にその「近似解」を「示す」こともできようが、それはあまり意味のないことのような気がする。もし「工学的センス」とは何かをほんとうに「感得」したければ、手始めにここで挙げられたセイゴオのまとめや各書籍に目を通されたい。それでも「工学的センス」とは何かについて、漠然としたイメージすらいだけないのなら、それはしようがない。その人は絶望的に「センス」がないのだ)。
しかしながら、それでもおれは、ルーマンが「ある複雑なもの(社会)を、べつの複雑さ(『社会システム理論』)をもって置き換えただけ」(この言明自体はそこそこ正しい)という「無為」なことをしかしなかった、とは思わない。最初に言ったように、『社会システム理論』という書物には「『何か』ありそう」ではあるのだ(が、これはたんなる「勘違い」である可能性も、否定できない)。しかし、ルーマンの「センスのなさ」という「個人的限界」によって、その「何か」が隠されてしまっている。だからこそ、その「何か」を掘り出したい。そういう思いをいだきつつ、おれはこれからもルーマンのこの書を読みつづけるであろう。
リオタールにかぎらず、いわゆる「構造主義」の息がかかったひとたちは、explicitなかたちにせよ、implicitなかたちにせよ、システム理論なものの見方というのは、やや胡散臭い言い方で言えば「知の同時代現象」とでもいったかたちで、かなり色濃い気がします。たとえば、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』を読むにしても、システム理論を知ってるのと知らないのとでは、相当程度理解に差が出るのではないか、なんて思ったりもします(「マシニックなマシン」なんてのは、まさに「システム」のことじゃん、とか)。そもそも、「構造」ってのはほぼ「システム」と同義、ですからね(ここら辺は、議論の分かれるところでしょうが)。
ここ(このエントリ)ではやや扇情的な書き方をしてしまっていますが、知らないことに何も恥ずかしいことはありません。「知らない」ということを知り、そしてその「知らなかったこと」を「知りたい」と思うのなら、知ればいい、それだけの話です。そして、そういう「お、ちょっとおもしろそうじゃん」と思ってくれる人がいるのなら、それはこういうものを書いたぼくにとって、望外のよろこび、というものです。
さて、それで、システム理論に関するおすすめの書籍ということですが、まずいちばんはやはり、ここで挙げられているワインバーグ本(『一般システム思考入門』)を推します。この本は他2著(サイモン本・ベルタランフィ本)に比べてややフォーマルなかたちで「システム」というものを扱っており、ゆえに取り回しやすく、そして「工学的センス」を感じるのにもいい本だ、と思われます。また、英語を読むのが苦にならないのであれば、Skyttnerという人が書いた"General Systems Theory"という教科書も懇切丁寧です。
ルーマンの『社会システム理論』そのものに興味があるのであれば、ご存知かもしれませんが当ブログ右カラムの「自分がらみのリンク」からたどれる「オンライン読書会」でちまちま読んでおります。また、その読書会の参加メンバーでもあるひでさん(aka ゼリーちゃん)が、それこそあっちゃんまんさんが読まれたクニール=ナセヒ本解説をひでさんじしんのブログで連載中ですので、こちらもご覧ください。
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