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紀伊国屋の洋書新刊目録をめくっていたら、「おっと」と思わせられるものが出ており、しかも、紀伊国屋新宿南店に在庫ありとのことなので、勢い勇んで買いに行った。

  • Patricia Falguières, Le maniérisme , Gallimard
    まずは、こいつを。これは、本自体の磁場もさることながら、この本を紹介していたところの高山宏@書評空間にまずもって「おお!」となり、そして、そこでこの本について「マニエリスム最強の入門書」と言われていたので、こりゃいっとかなきゃ嘘でしょ、ということで紀伊国屋新宿南店まで駆けつけたわけです。実物は、この版型このページ数にしてはちょっと高めだけど、ほぼオールカラーでぶちまけられる美麗かつ珍妙なる図版だけでも元はとれるぐらい。巻末の、「マニエリスム文献抜粋集」のようなものも、いい。

  • Alexandre Kojève, Esquisse d'une phénoménologie du droit , Gallimard
    紀伊国屋新宿南店におれをして走らせしめた、もうひとつの原因。この本は、先日急逝した今村仁司と、デリダ『法の力』の翻訳で知られる堅田研一の手によってとうに翻訳済みであり、そして、その訳書を学部生のころなぜだかかなり愛読していたので、長らくフランス本国でも入手がむずかしかった原書が、今年に入ってガリマールからテル叢書の1冊として安価にリイシューされたと聞けば、これは駆けつけざるを得ないでしょう。とりあえず、「原理論」たる第1部だけでもざっくり読んでしまいたいけど、そんな時間はなさそうだなあ。



あと、買いはしなかったけど、つぎの本たちが気になった。

  • L.M.E. Goodlad and M. Bibby (eds.), Goth , Duke Univ. Pr.
    いわゆる「ポストパンク的なもの」としての「ゴス」を中心とする、ゴスサブカルチャー論集。ページを繰ってると、フーコーだなんだと小うるさい感じで、じゃっかん疲れちゃいそうですが、いろいろと小ネタも充実してそうで、おもしろそうはおもしろそうです。あちらに行ったら、たぶん買うでしょう。

  • -, Cambridge History of Literary Criticism , Cambridge
    ニュークリティシズムとかフォルマリスムとかポスト構造主義批評とか、「文藝批評」と言えばそれが出てくるのは当たり前、というものだけではなく、中世とかルネサンスとかの批評事情を通覧できるこのシリーズはなかなかに貴重なのでは。1冊で考えても、そうそうお安いもんではないので、まずは図書館で探りを入れてから購入を考えても遅くはないかな。



今日は、ほんとにピンポイントで狙いにいったので、獲物は少なめ。つうか、つい最近、それなりの量を買ってるしね。こんなもんだ。

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「学魔」のお薦めやら、由良君美やら四方田犬彦やらの諸語に反応しないわけは無くなのだが、今身動きとれず悔しい限り。そういえば私の「青い花」は、本棚のどこにあるんだろう?などと思うも探す時間も無し。ぜーんぶ来週のお楽しみにとっておく。

で、比べるのもなんだけど、フーコーって、MacとかVAIOとかと一緒で、ウィンドシャトルがボロクソに言おうとなんと、総体的にカッコいいものは、カッコいいんだい!って感じかな。
Sita 2007/07/26(Thu)06:35:00 編集
四方田犬彦はともかく、高山・由良ラインをたどっていくと、かなり膨大な時間を食われることになるので、注意が必要です。

ウィンドシャトルのフーコー批判はおおむね正当なものであるし、それを「フーコーはかっこいいから」という理由(だけ)で不問にしてしまうのは、何がどうあれ、あってはならない。なぜなら、誰かある人が「かっこいい」ことと、その人の議論が「ちゃんとしている」ことというのは、とりあえず無相関であると考えられるから(もし、何かが端的に「かっこいい」という理由で、その議論の内実が捨象されたうえで寿がれることを宜うなら、たとえばナチスを批判することは、少なくともナチスに「しびれた」人に対しては原理的にできなくなるだろう)。ただ、そうであっても、たとえばフーコーならフーコーのうちで、「きわめて有用」と依然考えれるところはあるし、そうであれば、それが「汚染」された部分とどうかかわっているのか、そして、もしかかわっていた場合それを救い出すことができるのか、地道に考えていかなければならない。

そんなわけで、第2パラグラフ目の述懐は、ちょっと疑問に思わざるを得ないかな。
はやし 2007/07/26(Thu)09:25:00 編集
そうね。変な繋げ方しちゃった。ちゃんと分けて考えて、書く。
Sita 2007/07/26(Thu)12:56:00 編集
いや、たぶん、おれ個人としてはシータさんが言わんとしたい方向とか、そのびみょうな心持ちの機微とかは、相当程度分かっているとは思うけど、それ以外の読み手に対してはちょっと誤解を与えかねない文章だな、と思ったので、批判めいた感じにはなってしまったけど、ちょっとした「補註」として読まれればいいかな。

それはそれとしても、「かっこよさ」をめぐって、それが外形的なものであれ何であれ、考えれば色々と考えることはあるものだなあ、と思ったので、それも今後、エントリなり何なりに反映できれば、と思うとるです。
はやし 2007/07/26(Thu)20:12:00 編集
「補註」ありがとう。
実は誘惑に負けて、「先生と私」を買って、帰宅途中の電車の中から読み始めてしまった。
読んでいて、自分の学生時代を思い起こしたのだけど、私を含めて同じ専攻の同級生達は、担当教授とそりが合わず、その教授から何かを「学んだ」という記憶が残っていない。むしろ、専攻以外の講義の方が面白かったりした。
学生時代は、ただひたすら創りたいものを創る作業に没頭できたのだが、卒業してからは、ずっとその「もの」が、資本主義の一端に組み込まれている。だから、常にデザイン、デザイン以前のもの、資本主義、大衆、ノーブルオブリージ、カルチャー、等等、色々な要素が頭の中で繋がってグルグルと問答を繰り返している。

専攻以外の教授ということでは、「デザイン史」が柏木博さんだったのだけど、次は彼の著書「モダンデザイン批判」を読んでみようかなと思ってる。
<a href="http

追々、上記に書いたことは、自分のブログに書いてみるね。
Sita 2007/07/27(Fri)08:14:00 編集
『先生とわたし』は、それほど読みがたい本ではなく、というよりもむしろ、さーっと読めるかんじなので、あまり時間が取られるといったこともなかったろうから、それぐらいは「息抜き」ということでヨユーでオッケーでしょう。

専攻以外の講義のほうがおもしろかったって、それ、おれにも覚えがあるなあ。思うに、専攻の講義ってのは、当たり前だけど「専門的」であり、であるがゆえに、それなりのパースペクティヴを前提にそれら専門的なあれこれを位置付けないと、「気を見て森を見ない」というか、デターユが全体を覆い尽くしてしまい、「何をやってんだか」といったふうになっちゃうんだよね。ここいらの「全体像とその細部」のかねあいについては、あたらしいエントリでもちょっとふれたことなので、よろしければ一読を。
はやし 2007/07/28(Sat)09:52:00 編集
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