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まだ、ほんとうに読み始めたばかりで、話は微積分、解析、そしてそれの根底にある実数についての「確かさ」にまつわる困難や、そしてそれら困難がどう解決されたのか(あるいは、解決ないままになっているのか)を、これ以上ないぐらい分かりやすく、かつコンパクトにまとめてあって、「こんなおもろいのなら、買ったときにすなおに読んでおけばよかった」と後悔することしきり。だって、字面の印象から、とってもelementaryな感じがして、「これならいそいで読むことないか」と思ってしまったんですもの。
繰り返しになるけどまだ読み始めたばかりで、全体についてはまだ未知数な部分は残るけど、数学の基礎をめぐる主要な三流派のうち、論理主義と形式主義に焦点をあて(直観主義があまり扱われていないのは、ジャキントさんによると「直観主義は、数学の基礎に潜む困難を解決せんとするものではなく、端的に『数学』を置き換えようとする試みだから」とのこと)、それほどフォーマルではないにもかかわらず、けっこう深いところまで突っ込んである模様。
というわけで、論理学や数学の基礎について興味がある人にはもちろん、「確かさ」ということについて考えてみたい人にも必読だと思われるので、ぜひ。
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実は現在「形式化された計算可能」の概念と、「直感的に計算可能」の乖離について考えるというか、妄想状態です。なので紹介して頂いた本に多いに興味があります。ですが「ゲーデルト20世紀の論理学」を注文したばかりで金欠です。これ以上購入すると同居人に怒られてしまうかも知れません。一月くらいがまんして、ほとぼりがさめたら、ぜひ購入したいと考えています。
本文中にも書きましたが、書き方は相当やさしいので、「多少」どころかかなりの程度理解できる、と思われます。もし分からないとすれば、それはジャキントさんの書き方や、そして長谷部さんの理解力に問題があるのではなく、たんじゅんに「慣れ」問題だと思いますので、分からなかった場合、まずは「慣れる」ところから始めるのがいいかもしれません。
長谷部さんのレスにも書きましたが、書き方自体はむずかしくないので、ついていかれない、ということはないでしょうが、もし「何か違うな」と思ったら、そのときは読むのを止めればいいだけの話なので、まずは読んでみることをおすすめします。
「計算可能」ということ自体が形式化を前提としているとぼくは考えてしまいますので、「形式的には計算不可能だが直感的には計算可能」ということでかがみさんがじっさいのところ何を言わんとしているのか、ちょっとつかみそこねている部分はあるのですが、ゲーデルの不完全性定理の教えるところからの連想でいくと、「真ではあるけれども証明できないこと」ということと似たような事態を指しているのでしょうか?
何にせよ、こうした問題に対して基礎論の各流派がどういう解答を与えてきたのか、そうした事柄の結構がかなりな程度扱われていますので、一読をおすすめします。ご家族の方からの叱責可能性に関しては、会社の帰りにでもそ知らぬ顔で買い求め、その後は知らぬ存ぜぬを貫き通す、というのはどうでしょう?
何にせよ、こうした問題に対して基礎論の各流派がどういう解答を与えてきたのか、そうした事柄の結構がかなりな程度扱われていますので、一読をおすすめします。ご家族の方からの叱責可能性に関しては、会社の帰りにでもそ知らぬ顔で買い求め、その後は知らぬ存ぜぬを貫き通す、というのはどうでしょう?
計算可能うんぬんの例は悪かったかも知れません。要は最近「自然数とはなにか」訳が分からなくなってるということなのです。例えば超数学で使われている「自然数」って本当に大丈夫なのかとか。もちろん数学とは余り関係ない疑問です。それにしても、びっくりするようなへんてこな例には慣れているはずなのですが、今回ははまっています。どうしてでしょうか。いまいち自分でも分からないのです。この件に関しては、もう少し論理学等、基本激な部分を勉強し直す必要があるかも知れません。今の知識でこれ以上あれこれ書きますと「トンデモ」化しますので。
で、本の方ですが、先程注文ボタンをぽっちんしました (笑)
で、本の方ですが、先程注文ボタンをぽっちんしました (笑)
惟うに、英司さんはあまりにも「トンデモ」というタームに甘すぎますよ。「トンデモ」というのはようするに、自分がろくすっぽ知りもしないことに、いい加減な発言をすること、ですから、ぎゃくに、なぜそのような態度が「しようのないもの」として受け入れられうるのか、聞きたいところです。何かあることについてある程度のことを言おうとするとき、必要最低限のことは勉強してから言うのは当たり前じゃないですか。それを英司さんのように、あたかも本源的で避けがたいものとして擁護するのは、不勉強な人間のたんなるエクスキューズにしか聞えません。
私が予想していた以上にポイントを突いた「正しい」反応を、とんでもな人間に誠実にも投げ返してくれたことにまず礼を言わないといけません。そうなんでしょうね、「トンデモ」という言葉の中に私はなにかなぞめいた可能性のようなものを詰め込みすぎて、結果、「トンデモ」に甘すぎて、同じような円をくるくると回っているだけなのかもしれない。ただ、はやしさんがあくまで私が期待していた以上にポイントを突いてきてくれたので、この機会を逃さずもう少しいろいろ考えてから自分のブログの方に思うところを書いてみたい気になりました。
今考えていたんだけど、「トンデモ」がはやしさんの言う「自分がろくすっぽ知りもしないことに、いい加減な発言をすること」であるとすることには、私も同意します。ただこれは、近代という時代の中で進んできたコンティンジェンシーでしかないが、厳に幅をきかせているという点は付け加えておきたいと思います。トンデモの受け入れについては、私自身の不勉強とつじつまが合わないときの一貫性の追求の甘さだと思ってます。以前、はやしさんが私の二重の基準を指摘していたのと同じですね。つまり、まだまだ勉強不足であるという単純なことでした。あとは少し自分を擁護すれば、はやしさんの嫌いな極端な社会構築主義的な態度がヘゲモニーをつかんだ方がいい分野の話題が少ないと言うことも少しはあったかなと思いました。
トンデモなものはどう料理してもトンデモであって、それを対象として考究するのであれ、そうしたトンデモなことを実践するのであれ、たいしたことは出てこない、と思います(ただ、前者に関しては、そうした考究の結果、思考における「べからず」集のようなものが編纂される可能性もないではなく、そういう意味では、そして、その意味でのみ、おもしろいかもしれません)。
あと、思惟様式の時代被限定性のようなものも、ちょっと過大にその側面を捉えすぎているのでは。もちろん、そういう限定性もわれわれの思考にあることは事実ですが、そうした限定性よりも、むしろ時代「非」限定性のようなもののほうが大きいことは、それほど論を俟たないことではないですか。
たしかに、ある思惟様式の時代被限定性、もうちょっとスコープを大きくとって言えば、そうした様式の持つある種の「相対性」をクローズアップするのは、戦略として有効な場合もあるでしょう。しかし、今まで何度も言ったように、ある戦略が、あるごく限られた領域でうまくいくからと言って、そうした戦略がグローバルに機能する、と考えるのはいかにもな短絡です。まず示すべきは、そうした戦略についてのプロパガンダではなく、その応用可能性であるべきでしょう。
ところで、ぼくの先の返答における「不勉強な人間のたんなるエクスキューズにしか聞えません」の部分は、英司さんがそう受け取っているように、英司さんをも「不勉強な人間」として措定しているように読めてしまいますが、言いたかったことはそういうことではなく、英司さんが不勉強であるかどうかは関わりなく、そのように「トンデモには何かある」と言うことは、ひいては「不勉強(で、かつ、自分が不勉強な領域についていっぱしのことを言っているつもりになっているよう)な人間」の肩を持つことになりよろしくない、ということでした。
あと、思惟様式の時代被限定性のようなものも、ちょっと過大にその側面を捉えすぎているのでは。もちろん、そういう限定性もわれわれの思考にあることは事実ですが、そうした限定性よりも、むしろ時代「非」限定性のようなもののほうが大きいことは、それほど論を俟たないことではないですか。
たしかに、ある思惟様式の時代被限定性、もうちょっとスコープを大きくとって言えば、そうした様式の持つある種の「相対性」をクローズアップするのは、戦略として有効な場合もあるでしょう。しかし、今まで何度も言ったように、ある戦略が、あるごく限られた領域でうまくいくからと言って、そうした戦略がグローバルに機能する、と考えるのはいかにもな短絡です。まず示すべきは、そうした戦略についてのプロパガンダではなく、その応用可能性であるべきでしょう。
ところで、ぼくの先の返答における「不勉強な人間のたんなるエクスキューズにしか聞えません」の部分は、英司さんがそう受け取っているように、英司さんをも「不勉強な人間」として措定しているように読めてしまいますが、言いたかったことはそういうことではなく、英司さんが不勉強であるかどうかは関わりなく、そのように「トンデモには何かある」と言うことは、ひいては「不勉強(で、かつ、自分が不勉強な領域についていっぱしのことを言っているつもりになっているよう)な人間」の肩を持つことになりよろしくない、ということでした。
なるほど、やはり、かがみさんが疑問に思われているのは、「(形式的に定義された)自然数はほんとうに『自然』か?」ということでしたか……。これはけっこう微妙なポイント、ですよね。というのも、これは、人によってはそもそも問題にならないポイントですし(その「問題のならなさ」の理由は、人によってまちまちでしょうが)、かがみさんもちょっとした危惧をされているように、この種の議論には「危険な跳躍」が付きものだったりしますし。議論の参加者がまったく「トンデモ」とはほど遠い、かがみさんのところにおける議論の微妙な「噛み合なさ」を見ても、この問題の厄介さを物語っているようにも思われます。
で、話の続きなんだけど、これも手垢にまみれた陳腐な問いとよく敬遠されるんですが、敬遠されるくらい問題中の問題だからだと思ったりもする。それは「自分がろくすっぽ知りもしないことに」(はやしさん)のこの知るということね。どこまでいったら知るって言えるんだろうね。懐疑主義とか陳腐な発想で講釈たれてそうそう陳腐だよねっていうのは簡単かもしれないが、知るってなんなんだろうね。
知るということが方法論的には近代的知性を用いて行われる営みなら、今の世界を見れば十分だと思うけど、やっぱり知識っていうのは暴力的面をかなり強調しないと危ないものなんだと思う。以前、知っていることが暴力かどうかで話し切れてしまっていたこと関連ね。
その上でベンヤミンの「神的暴力」の話につなげるけど、おいらはこの神的暴力概念なんてよく知らないから、これはどうでもいい(今のところ)。
ニーチェは神は死んだといった。フーコーは人間の終焉をいった。では今度は何が死ぬのか? 神が人間に成り下がり、神はいなくなった。人間という概念も理性を駆使して何とかやっていけると幻想を抱いていたが、結果は戦争や最近は遺伝子レベルの話まで進み、人間それ自体の存立も危うい。その後はきっと「知性」の一人歩きが始まるのではないかということがオイラの主張だね。どう思う?
最近、読書量が減ってきた。だってみんなはじけてないんだもん。トンデモに対してのあの異常ともとれる反応には正直怖くなってしまう。あれじゃまるで検閲官だよ。2チャンネルなんてまさにその巣窟だよ。
とまあ、持論を展開してみたが、これもトンデモに入れられて終わりか。人間が終演したことを実感してします。おわり。タイポミスなど勘弁。
その上でベンヤミンの「神的暴力」の話につなげるけど、おいらはこの神的暴力概念なんてよく知らないから、これはどうでもいい(今のところ)。
ニーチェは神は死んだといった。フーコーは人間の終焉をいった。では今度は何が死ぬのか? 神が人間に成り下がり、神はいなくなった。人間という概念も理性を駆使して何とかやっていけると幻想を抱いていたが、結果は戦争や最近は遺伝子レベルの話まで進み、人間それ自体の存立も危うい。その後はきっと「知性」の一人歩きが始まるのではないかということがオイラの主張だね。どう思う?
最近、読書量が減ってきた。だってみんなはじけてないんだもん。トンデモに対してのあの異常ともとれる反応には正直怖くなってしまう。あれじゃまるで検閲官だよ。2チャンネルなんてまさにその巣窟だよ。
とまあ、持論を展開してみたが、これもトンデモに入れられて終わりか。人間が終演したことを実感してします。おわり。タイポミスなど勘弁。
英司さんの言っている「知るってなんなんだろうね」という「問い」、これ「陳腐」とか何とかという以前に、そもそも問いになってるんですか? これが「分かる、とは何か?」であったら、ちょっと考えないでもないですが、「知る、とは何か?」だなんて言われても、「んなもん分かってるだろ! ポンッ!(と肩をたたく)」で終りですよ。「知る」ということの、何がそんなに問題化されなければならんのですか?
おれのコメントの直近に英司さんからのコメントがありましたので、それについてもごくかんたんに。
英司さんの直近のコメントは、「知る」ということそのものにではなく、あくまでその「効果」に定位して言われたものです。ゆえに、「知る」ということそのものに関しては、諒解がえられている、と捉えていいですか?
その上で英司さんは、「知る」ということそのものに「暴力」が内在していると考えているふうですが、以前にも言ったように、おれはそう考えません。というか、「暴力」を専一に「知る」に振り分け、「知らない」ことにもあるだろう「暴力」のアスペクトについては頬かむりを決め込む、その根拠が不明です。
英司さんの直近のコメントは、「知る」ということそのものにではなく、あくまでその「効果」に定位して言われたものです。ゆえに、「知る」ということそのものに関しては、諒解がえられている、と捉えていいですか?
その上で英司さんは、「知る」ということそのものに「暴力」が内在していると考えているふうですが、以前にも言ったように、おれはそう考えません。というか、「暴力」を専一に「知る」に振り分け、「知らない」ことにもあるだろう「暴力」のアスペクトについては頬かむりを決め込む、その根拠が不明です。
まあ、コメント欄だからあんまり長々持論ぶちあげるのも読みにくいし、眠剤もきかないし、はやしさんがOKなら、スカイプ会談でだべろうよ、今。ききたいもしくはおれの考えも言わせろって人の参加もOKにしてさ。おいらは隠れONしてるからいつでもかかってらしゃい。内心びくびくだけどねw
残念ながらいま外出中で、コーヒー屋での一休み中にこれを書いているので、スカイプはできませんが、はっきり言って、この件は「恐れている」どころか、正直「どーでもいい」という話題、ですね。それに、英司さんはどうも、まだまだ論理学について大した知識を持ってないと思われる(でなかったら、「論理学が恐れている究極の問い」だなんていう噴飯ものの発言をするわけがない)。
それに、ふしぎと構築主義的というか相対主義的な人がやりがちなんですが、こっちが聞いたことに対して、本能的に形勢不利を察知するのか、それにはちゃんと答えずに、全然関係ないこと(そういう人のなかでは、内的必然をともなう問いなのかもしれませんが)をまた聞いてきたりする。
だから、今夜のダベリにそなえて、おれの提出した問いについて考えておいてください。
それに、ふしぎと構築主義的というか相対主義的な人がやりがちなんですが、こっちが聞いたことに対して、本能的に形勢不利を察知するのか、それにはちゃんと答えずに、全然関係ないこと(そういう人のなかでは、内的必然をともなう問いなのかもしれませんが)をまた聞いてきたりする。
だから、今夜のダベリにそなえて、おれの提出した問いについて考えておいてください。
なんか恐ろしいなー。今夜のダベリ。論破されまくって、そうだよなまだまだ勉強不足だよなあと知を擁護する人たちにこてんぱにされて、泣きながら鬱になって寝込むのかなあ。はやしさんもちからぬいてさあ、ちょいと論理学から一歩引いてみる姿勢があれば、おもろいものも出てくるんじゃないかなあ。またここでたたき合い(必要なんだろうけど)もいいけどさ、まあ、おれなりでしか考えられないけど、ちょっとまじめに考えとくよ。だってはやしさんもまえに「みんなまじめすぎるんだよな」って発言してたときもあったじゃない。おっ、こいつ知の探究にも真摯な態度とりつつこういう発言もできるスゲーやつだなとおれはrespectしたんだよ。まあ、こんやまた。まじでびくびくしてきたよ。
こんにちは。『確かさを求めて』を一通り読み終わりました。おかげさまで、以前書いた自然数に対するもやもや感が大分すっきりしました。じゃあ説明しなさいと言われると困るのですが。
基本的なことを学ぶのに、Shoenfield本をきちんと読むのが一番良いのかなと思いますが、思いのほか難しくって。もしかしてロジック苦手なのかも? あと、私にはちょっとフォーマルに記述され過ぎてて難しく感じる面があるのかも知れません。この辺りは今後のんびり楽しみたいと思っています。
それから、私は論理学に関し、自分に必要な部分をつまみ食いしているだけというのはおいといて、もちろん数学で論理的な厳密性は重要ですが、哲学系の方が論理学を勉強なり研究する場合、論理を道具として使うのではなく、 その内部に立ち入った議論なり、見識が必要になることを考えると、もしかして通常の数学を行う以上の厳密性、形式化が必要なのかなと感じています。あっ、なんか見当はずれなこと書いたかも。それでは失礼致します。
基本的なことを学ぶのに、Shoenfield本をきちんと読むのが一番良いのかなと思いますが、思いのほか難しくって。もしかしてロジック苦手なのかも? あと、私にはちょっとフォーマルに記述され過ぎてて難しく感じる面があるのかも知れません。この辺りは今後のんびり楽しみたいと思っています。
それから、私は論理学に関し、自分に必要な部分をつまみ食いしているだけというのはおいといて、もちろん数学で論理的な厳密性は重要ですが、哲学系の方が論理学を勉強なり研究する場合、論理を道具として使うのではなく、 その内部に立ち入った議論なり、見識が必要になることを考えると、もしかして通常の数学を行う以上の厳密性、形式化が必要なのかなと感じています。あっ、なんか見当はずれなこと書いたかも。それでは失礼致します。
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