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それは至るところで作動している。ときに絶え間なく、ときに途切れ途切れに。それは息をし、熱を発し、食べる。糞をひり、一発ヤる。そういうものを「それ」としてあたかも単一に名指せるかのように呼んでしまったのは何たる誤りか。「それ」は至るところ遍在する機械、それも比喩的にではなく、いくつもの機械からなる機械で、それらはたがいに組み合わされ繋がっている。器官機械はエネルギー源機械に繋がれる。ある機械は流れを生み出し、またある機械はそうした流れを断ち切る。胸はミルクを生み出す機械であり、口はそれに組み合わされる機械だ。拒食症の口は、食べるための機械か、肛門機械か、喋る機械か、あるいは息をする機械(この場合、喘息の発作が起きる)かを決めかねている機械である。こんな具合に、すべては機械のパッチワークからできている。それぞれがそれぞれの小さな機械からなる。エネルギー機械には器官機械が組み合わされ、そこにはつねに流れと流れの切断が生じている。シュレーバー裁判長は尻に太陽光線を持つ。太陽肛門。シュレーバーさん、安心してください、それはちゃんと動きますから。シュレーバーは何かを感じ、何かを作り出し、そしてそれら「何か」についての理論を打ち立てることができる。「何か」はこうして作り出される、機械の作用として、比喩ではなく。
ほれぼれするくらいわけが分からない。こういうのが読みたいわけですよ。
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わけの分からないものが読みたい」ということでニーチェの『善悪の彼岸』を読みはじめたのだけど、これ、端的に「わけが分からない」というより「言いたいこと自体は理解できるが同意できない」といった感じだった(これなら、カントとかヘーゲルのほうが「わけの分からなさ」では上、のような気がする)ので、チョムスキーの言に触発されてジジェクの「内面からの物体X」(『性化』所収。ジジェクのものでこれを選んだのは、たんじゅんに、ぼくが持ってる本の範囲でジジェクの書きものとしていちばん短いやつだったから)を読みはじめたら、これまた言いたいこと自体は分かってしまった(しかも、あんがいおもしろい)ので、こうなったら真打ちに登場してもらうしかないかな、と思っているところ。
去年末にこのブログをはじめて10年が経っていたようです。

これからも、何の情報価値もない戯言を断続的に垂れ流していく所存ですのでよろしくおねがいします。
夜、煙草を吸いに外に出たら、瀕死の鳥がいた。見たところ目立った外傷はないけれど、どうやら飛ぶことができないらしく、さらに、足にも何らかのダメージを受けているのか、おぼつかない足どりで必死にどこかに行こうとしている。一歩踏み出しては倒れ、何とか姿勢を持ち直してまた一歩踏み出し、倒れる。それが何度も繰り返される。ときおり、息苦しいのか、あるいは仲間が助けに来るのを待っているのか、のけぞるように天を仰ぐ。そしてまた一歩踏み出し、よろけ、くずおれる。たぶん、彼(あるいは彼女)は最後の最後まで、いずくとも知れぬ「どこか」を目指して、一歩踏み出し、よろけ、くずおれ、起き上がり、さらなる一歩をまた踏み出そうとするだろう。彼(あるいは彼女)に残された時間のなかで少しでもその「どこか」に近づけるよう、祈っている。
調べものをするなかでたまたまチョムスキーがジジェクについて語っているインタビューを見つけたので、何となく訳してみた。電話でのインタビューなのですごく聞き取りにくく、それがゆえの訳しもらしがあるとは思うけど、大勢に影響はない、と思う。(だって、チョムスキーの言ってることはせんじ詰めれば「ジジェクははったりだからどうでもいい」ってことだけだし。いや、「だったらわざわざ訳す必要ないじゃん」と言われるかもしれず、さらに、じっさいそうなんだけど、もう訳しちゃったんだからしようがない)
寝不足のときやあるいは調子の悪いときは気持ちの焦点がうまく合わせられず、いきおい所作が雑になってしまいつまらぬ粗相をやらかしがちだ。そして、寝不足のときやあるいは調子の悪いときはそもそも気持ちがささくれ立っているので、そういうつまらぬ粗相に必要以上にいらだってしまう。だから、そうしたつまらぬ粗相に起因するつまらぬいらだちをできるだけ少なくするために、寝不足のときやあるいは調子の悪いときには、それこそ必要以上に所作のていねいさをこころがけるとよい。(さっきコーヒーの粉をちょっとこぼして、こぼれたのはほんの少しなのに、こぼれた粉に見あわないぐらいいらっとした)

今日もていねいに。
フランス現代思想がらみの人たちの呪いだろうか。
となると、まず思いうかぶのがフランス現代思想がらみの本なのだけど、ここはひとつ、フランス現代思想がらみ以外で、むかし読んで「わけ分からん」と放擲した本にもう一度チャレンジしてみたい(そして、そうした「むかし読んで『わけ分からん』と放擲した本」をいま読んで「わけが分かった」らそれはそれでハッピーなことだし、いま読んでもやっぱり「わけが分からなかった」らつつがなく当初の目的が達成されることになる)。

そういう、「むかし読んで『わけ分からん』と放擲したフランス現代思想がらみ以外の本」としてぼくの場合ニーチェがその筆頭に挙げられるので(だから、『力への意志』をのぞけば、ニーチェの本というのはほとんどまともに読んだことがない。いや、『力への意志』にしたって拾い読みをしたに過ぎないのだけど)、ニーチェの書きもののなかでもいちばん苦手な『善悪の彼岸』(冒頭のかの有名な「真理を女と仮定してみよう」というフレーズからしてあまり好きじゃない)を読んでみようかな。
ようは、書く人と読む人の「周波数」が合っているかどうか。
「何を言い出すんだお前は」と思われるかもしれませんが、ほんとうにあるんですよ、そういう感じの本が。
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