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バルト=ピカール論争が思い出されるんですが、その経緯や顛末をまとめた本ってないんですかね? バルトとピカールのそれぞれのラシーヌ論と、ピカールの『新たな批評か新たな詐欺か』およびバルトの『批評と真実』を読めばそれで事足りるとは思えど、第三者的な視点から書かれたものも読んでみたいのです。(ぼくが読んだことのある範囲では、ブルデューの『ホモ・アカデミクス』にバルト=ピカール論争についての記述がそれなりにあった覚えがあるけど、もうちょっとジャーナリスティックに書かれたものがいい)

あと、ぜんぜん関係ないですけど(いや、「ぜんぜん関係ない」こともないかな)、バルト=ピカール論争というと、ぼくは反射的に花田=吉本論争を想起してしまいます。
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その呼称にまだ「帝国」の二文字が冠されていたころ、東京大学の学生はピカールで、京都大学の学生はグルサで解析の勉強をしていたという。そういう、解析を学ぶさいにピカールを選ぶかグルサを選ぶかという選択は、東京大学と京都大学というそれぞれの大学の数学教室の雰囲気を何となくではあれ表しているように思われる。(たとえば、森毅は、東大の学生だったにもかかわらず、おもにグルサを読み、そしてピカールの問題を解いていたというが、これはひじょうに示唆的なエピソードではないか)

ところで、日本において解析の教科書というと、まっさきに高木貞治の『解析概論』が思い浮かぶが、その『解析概論』について岡潔は「代数感覚がつよすぎる」という批判をなしたという。そうした岡の批判が妥当だとすれば(ぼくには妥当なように思える)、『解析概論』に見られる「代数感覚のつよさ」は、代数学者としての高木の特質が思わず出てしまった結果なのか、あるいは、解析を学ぶさいにピカールを選び取った東大数学教室の「風土」のようなものが作用していたのか、そういうことも気になる。

ともあれ、ピカール、そしてグルサの教科書が、東京大学、あるいは京都大学の数学教室の雰囲気の形成に何らかの影響を及ぼしたのか、あるいは、そうした教科書の選択をするような数学教室の風土が、高木の『解析概論』に何らかの影を落としているのか、そういうことはまったく斟酌せずとも、ピカールとグルサという、解析が解析として確立してまもなくの熱気あふれる時期に書かれた教科書と、そして日本を代表する解析の教科書である『解析概論』を比較対照しながら読むというのは、このうえない愉悦であるだろう。

いつか、ピカール、グルサ、そして高木の解析の教科書を、ゆっくり、時間をかけて、ていねいに読みくらべられる日が来たらなあ、と思っている。
ぼくにはへんなバランス感覚があって、何かあることをしなければならないというとき、そのあることを「ねばならぬ」という軛から解き放ったかたちで別途やらなければいけないような気がしてしまう。(そして、これもまた「ねばらなぬ」に属することなのだから、けっきょくは「ねばならぬ」の軛から完全には解き放たれはしないのだけど)

たとえば、博士課程なんてものに在籍していると、いやでも本を読まなくてはならない。そういうとき、バランスをとるために、べつに読まなくてもいい本を読みたくなる。同様に、博士課程なんてものに在籍していると、いやでも勉強しなくてはならない。そういうとき、バランスをとるために、べつに勉強しなくてもいいことを勉強したくなる。(ここで、「本を読む」ということと「勉強をする」ということとはきわめて近しい行為に思えるので、どちらかをなせば両方をなしたことになるようにも思えるけど、ただ、「本を読む」ということと「勉強をする」ということのあいだの決定的なちがいは、「勉強をする」ということにはかならず「手を動かす」というプロセスがともなうことだ。だから、本を読んだだけなのに「勉強をした」と思っているのは、たんに「勉強をした気になっている」だけだと思う)

というわけで、前々から「物理を(それなりに)きちんと勉強したいな」と思っているので、さすがにランダウ=リフシッツファインマン物理に手を出すわけにはいかないけど(それは、老後のたのしみに取っておこう)、山本物理を軽く流して高校物理を復習したのち、Schaum's Outline あたりでお茶を濁そうかな、と思っている。(でも、はたしてそんな悠長なことをしている時間はあるのか)
いま、遠くで貨物列車が警笛を鳴らしながら通り過ぎ、そこにほどなくして飛行機の飛ぶ音が重なり、さらにキッチンの冷蔵庫が唸りを立てはじめるという、最高にアンビエントな流れだった。
ぼくは寝つきがわるい。とくに、次の日に何か用事があり、特定の時間に起きなければならないとなると、てきめんに眠れなくなる。そういう場合はきまって、けっきょく一睡もせずに起きなければならない時間を迎えることになってしまう。

べつに、寝入ることを阻害するような心配事がありそれが気にかかって眠れない、というわけではない。たんじゅんに、「眠れない」ということが気にかかって眠れないのだ。もちろん、そういう「眠れない」ということを「心配事」と捉えてもよい。ただ、多くの心配事は何らかのかたちで解消され、それら心配事よって阻害されていた眠りも心配事の解消とともに取りもどされるものだが、「眠れない」という心配事で阻害されている眠りは眠ることでしか解消されえない。そして、眠ることができない以上、「眠れない」という心配事はいつまでたっても解消されることはないだろう。

そのような事態にたいして、「それは、『眠ろう』という意識が過度につよすぎるのだ。いっそ、そのような『眠ろう』という意識をなくせば、いつのまにか眠ってしまっているものだ」ということがよく言われる。そうかもしれない。ただ、眠れないときに「眠ろう」と思わないことは、存外にむずかしい。むりにそういう意識を消そうとすれば、それはそれでまた目が冴えてきてしまう。

そういうわけで、「寝つきがいい人は人生それだけで得をしている」と、熱い羨望のまなざしとともに思うのだ。
風景はすべてブラックメタルのジャケットとなる。
「古典」と称されるような書物は、まだ書籍の流通がそれほど発達していなかったころに書かれたものが多く、いきおい、そうした古典においては現在のように本文や注に参考文献が飛びかうということが少ない(ぼくの大ざっぱな感覚では、18世紀までは本文や注に明白なかたちで参考文献が差しはさまれることはあまりなく、19世紀あたりからそういうことがだんだん増えてくるように思える)。だから、書かれた時代の近しい、参考文献が山もりの書物を読むさいにありがちな「あ、この文献おもしろそう。どういうものかちょっと調べてみよう」とか「お、この文献はたしか持っていたな。そちらをちょっと読んでみよう」という「寄り道」なしに(そして、この「寄り道」こそが、書かれた時代の近しい、参考文献が山もりの書物を読むことの愉しみだったりする)、その本そのものに沈みこむことができる(もちろん、書物間の往還ないしは交感はその本がいつ書かれたかにかかわらず生じるものだし、それに、書かれた時代の近しい、参考文献が山もりの書物だって、それをきちんと理解あるいは味読しようとすればそこに「沈みこむ」必要があるわけで、だから、書かれた時代によって読み方が「拡散/没入」に二分されるというのは雑すぎる物言いではあるのだけど、ごく表面的な形式が素朴にしからしむる読書形態の傾向がここでは言われているということで諒とされたい)。そして、そういう「古典への沈みこみ」には、ほかにやらねばならないことがたくさんあるときに誘われることが多く、すると、「ああ、こんなことをしている場合ではないのに」という背徳の甘美さとあいまって、とてもよい。

そんなわけでぼくはいま、「ねばならぬ」ことのいっさいがっさいを放擲して、『純粋理性批判』を読んでいる。
眉毛を剃る。
昨年、所用で日本に一時帰国したときに買い、かつこちらに持って帰ってきた本のメモ。

ごく短期間の帰国で、かつ超絶に忙しかったため、行くことのできた大きめの本屋は渋谷のブックファーストと青山の青山ブックセンターぐらいで、欲しいと思っていた本はほとんど買えず、店頭で見かけての衝動買い、あるいはもともと持っている本の買い直しが主となった。(ただ、そういう買い方のほうが読書傾向が透けて見えるようにも思え、そういう意味でおもしろい、ような気もする)
やばい。
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