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ぼくは、小説のいわゆる「古典」というものをほとんど読んだことがない。それはたぶん、高校生ぐらいになるまで「物語」(あるいは「筋のある話」)を理解することができなかったからだと思う(そもそも、小中のころには本なんてほとんど読まなかったということもあるけど)。そして、どうやら物語がそれなりに読めるようになったと思われる高校生のときには、小説よりも「哲学」とか「思想」とか言われるようなものをおもに読んでいた。
思うに、小説の古典というのはおおむね、若いころに読んでおくべきものだ(もちろん、「古典は老いてから読んだほうがその真価が分かる」という意見もあるだろうけど、老いてからわざわざ古典を読もうという気になるには、まずもって若いころにそれを読んでいることが必要と思われる)。だから、ぼくはけっきょくそうした古典をほとんど読まずに死んでいくのだと思う。それは、何となくもったいないことのようにも思うけど、しかたない。
思うに、小説の古典というのはおおむね、若いころに読んでおくべきものだ(もちろん、「古典は老いてから読んだほうがその真価が分かる」という意見もあるだろうけど、老いてからわざわざ古典を読もうという気になるには、まずもって若いころにそれを読んでいることが必要と思われる)。だから、ぼくはけっきょくそうした古典をほとんど読まずに死んでいくのだと思う。それは、何となくもったいないことのようにも思うけど、しかたない。
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大学の一般教養の授業というと「つまらない」という受けとりが相場かもしれないけど、ぼくの場合、むしろ専門課程よりもおもしろかったという覚えがある(専門課程では、「真剣さ」が前面に出てきてしまい、そこで扱われているもの/ことを無責任にたのしんでいればいいという能天気な態度ではすまされなくなっていた)。とくに、一般教養で受けた美学の授業は、初日劈頭からアドルノ『美学的理論』の最初の一文(「藝術にかんすることで自明なことは何もない、ということが自明になった」)が読みあげられ、そこからボードレールのモダニズム論に雪崩れこんでいくという、まさに「息をもつかせぬ」といった展開で、以降も刺戟的な内容がつづき、毎回ワクワクドキドキしながら出席していた。(そして、アドルノにかんしては、この美学の授業でひどく興味をそそられたので、独語独文の専門課程で開講されていたアドルノの授業に出席して『啓蒙の弁証法』をドイツ語で読んだり、あるいはモダニズムにかんしてハバーマスを経由してヘーゲルを読んで「われわれの時代こそ新しく、そして新しいものこそよい」という発想の萌芽を垣間見たりという「課外授業」もとてもたのしかった)
たぶん、それなりにめぐまれた環境だったんだろうな、といまにして思う。
たぶん、それなりにめぐまれた環境だったんだろうな、といまにして思う。
本の書き出しが好きだ。たとえそれが自分の知らない作家や、あるいはきらいな作家(と書いて、ぼくにはべつにきらいな作家というのはいないことに気づいた)が書いたものであっても、書き出しは書き出しというだけでかがやいて見える。大学生のころはよく、本屋で手当たり次第に本の書き出しを読んで過ごしていた。たぶん、本屋さんからは、迷惑なやつ、あるいは変なやつと思われていただろうな。
ともあれ、そういう「書き出し愛好家」というのはけっこういるものと見えて、Der schönste erste Satz や Novel Openers といった「書き出しの一文」を集めた本が何冊か出ている。とくに、前者の Der schönste erste Satz は、書き出しの一文が小説にかぎらずいろいろな書きものから採られていて(たとえば、アドルノ『否定弁証法』の書き出し「かつて時代遅れなものと見えた哲学は、いまだ生き残っている、その実現の機会を逸してしまったがゆえ Philosophie, die einmal überholt schien, erhält sich am Leben, weil der Augenblick ihrer Verwirklichung versäumt ward」が収められていたりする。ただ、個人的には、『美学的理論』の「藝術にかんすることで自明なことは何もない、ということが自明になった Selbstverständlichkeit wurde, daß nichts, was die Kunst betrifft, mehr selbstverständlich ist」のほうがキャッチーのように思うけど)、さらに、読んだことも、それどころか聞いたこともないような作家の人の「かがやける書き出し」がたくさん読めて、とてもいい。
ちなみに、ぼくの好きな書き出しの一文は、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の「わたしは旅がきらいだ Je hais les voyages」です。
ともあれ、そういう「書き出し愛好家」というのはけっこういるものと見えて、Der schönste erste Satz や Novel Openers といった「書き出しの一文」を集めた本が何冊か出ている。とくに、前者の Der schönste erste Satz は、書き出しの一文が小説にかぎらずいろいろな書きものから採られていて(たとえば、アドルノ『否定弁証法』の書き出し「かつて時代遅れなものと見えた哲学は、いまだ生き残っている、その実現の機会を逸してしまったがゆえ Philosophie, die einmal überholt schien, erhält sich am Leben, weil der Augenblick ihrer Verwirklichung versäumt ward」が収められていたりする。ただ、個人的には、『美学的理論』の「藝術にかんすることで自明なことは何もない、ということが自明になった Selbstverständlichkeit wurde, daß nichts, was die Kunst betrifft, mehr selbstverständlich ist」のほうがキャッチーのように思うけど)、さらに、読んだことも、それどころか聞いたこともないような作家の人の「かがやける書き出し」がたくさん読めて、とてもいい。
ちなみに、ぼくの好きな書き出しの一文は、レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』の「わたしは旅がきらいだ Je hais les voyages」です。
ブログの記事のタイトルに「ブログの記事」と付けてしまうあたりからもぼくがタイトルを考えるのがひどく苦手ということが分かろうというものだけど、田中小実昌さんもタイトルを考えるのが苦手だったらしい。コミさんはとても好きな書き手なので(ぼくの書く日本語の文章の漢字比率が低いことの理由の一端は、たぶんコミさんにある。もちろん、それだけが理由、ではないけれど)、そういうつまらないことにかんしてでも共通点があるとミーハー的にうれしい。でも、できればちゃんとしたタイトルを考えられるようになりたい。ブログの記事のタイトルに「タイトル」とか付けるのは、あんまりと言えばあんまりだ。
シャワーを浴びながらブログに載せる記事を「執筆」することがよくあるというのは前の記事で書いた。そして、シャワーを浴びながらブログの記事を「書いて」いると、その書いていることから横すべりして、「これに関連してこういうことを書いたらおもしろいんじゃないか」という題材がふたつみっつは思い浮かぶ。そして、ときに、それら思い浮かんだ題材をどういう順番で公開するかということまで考えたりする。ただ、そういう「書こう」と思ったことは、シャワーを出てあれやこれやしているうちに忘れてしまうことが多い。それらをどういう順番で公開するかとかまで考えていたくせに。もし、そういう「書こうと思ったこと」をすべてつつがなく書けていたのならもう少し実のあるブログになっていたかもしれないのに、ざんねんなことである。
ぼくは、ブログに書くことをシャワーを浴びながら考えることがけっこうある。そしてその場合、書くことのおおまかな構想というにとどまらず、句読点の位置などの細かい点まで含めた具体的な文章の構築をしてしまうことが多い。もちろん、そういう「執筆」方法だと、あまり長い記事というのは書けない(ぼくのブログの記事がおおむね長くないのは、おそらくそんなところに理由がある)。ともあれ、ぼく自身、ブログであまり長い記事は読みたいとは思わないので、こういうやり方が性に合っているんだろうな。(そして、言うまでもなく、この記事もまた、シャワーを浴びながら「書かれ」ました)
げんにいま、部屋のなかがハッパのにおいでむんむんなんですが、これ、どっからにおってきてるんだろ? ふしぎだ。(部屋の気密性をかんがえると、外からという可能性はなさそうで、とすると、暖房のベントをつうじて階下からという可能性しかのこらないのだけど、階下に住んでる人はハッパなど吸わなさそうなので、これもかんがえにくい)
蓮實重彦はゴダールの映画を最低三回は見るという。一回目は、無心に。二回目は、映像に注目して。そして、三回目には、目をつむり、音だけを。
本も、そのように最低三回は読みたい。一回目は、無心に。二回目は、内容に注目して。三回目は、内容を度外視して、文体だけを。
本も、そのように最低三回は読みたい。一回目は、無心に。二回目は、内容に注目して。三回目は、内容を度外視して、文体だけを。
「魂」というものがあるのかどうか、ぼくには分からない。それでも、「魂に突き刺さる」と形容したくなる音楽がある。そして、それはしあわせなことだ。
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