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古典ギリシャ語やラテン語を学ぶ人は誰でもいちどはお世話になったことがあるであろうローブ古典叢書が電子化されていました。学校によっては図書館がハーヴァード大学と契約を結んでいるので、そのような学校に通うさいわいな人は学校図書館を通じてこの電子版ローブ古典叢書を閲覧できるはずですが、そういう僥倖に浴することができない人も、ローブ古典叢書を全巻買いそろえることにくらべればひじょうな安価(初年度は150ドル、次年度から65ドル)でハーヴァード大学と年間契約を結んで電子版ローブ古典叢書を閲覧することができます。興味のある人はまず、電子版ローブ古典叢書の紹介ページを見てみて、しかるのち、じっさいに電子版ローブ古典叢書を試してみることをおすすめします。(ぼくは試してみたのち、矢も楯もたまらず、即契約を結んでしまいました)
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子育て(より正確には、子どもと遊ぶこと)、論文書き、そして研究助手の業務にくわえ、それなりに急を要する仕事がふってきて、てんてこまいです。

ここのところ、寝る前に日本の思想にかんする本を読んでおり、それについて思うところもあったりするので、何か書いておきたいなあと思ってはいるのですが、なかなか。
シリアル・ママ』のなかでシリアル・ママの息子が『血の祝祭日』について言う「この映画はゴア映画界の『市民ケーン』だ」というコメントにふかくうなずいたのだけど、そのわけはたぶん、両者ともその有名さにくらべてじっさいに見た人が少ないように感じられることと、あと、「ふるい映画だから見ていてちょっとかったるく感じるかも」という不安をもののみごとに裏切ってくれる(ただ、その裏切られ方の質は、『市民ケーン』と『血の祝祭日』ではあきらかにちがうのだけど)から、だと思う。
昨日、テレビで『シリアル・ママ』をやっていたので、見た。

『シリアル・ママ』は大昔におもしろく見た記憶はあったのだけど、今回あらためて見て、「あれ、こんなにおもしろかったっけ?」とびっくりした。大昔に見たときには、この映画のびみょうなメジャー感覚をじゃっかんマイナス要因として受けとった覚えがあるのだけど、今回は、ジョン・ウォーターズが精いっぱいメジャー感を出そうとしてるんだけどそこかしこからどうしようもなくトラッシーな感じがあふれ出てしまうびみょうさをたのしんだ。(そういう意味で、『シリアル・ママ』は『ロボコップ』にちょっと通じるところがあると思う)
毎年ハロウィーンの時期になると各テレビ局が軒をあらそってホラー映画を放送しまくるので、ひとたびチャンネルをつけるとつぎからつぎへと見てしまい、時間泥棒きわまりなく、おそろしい。

あと、異なるチャンネルで同じ時間に見たい映画を放送することもふだんにくらべるとかくだんにおおくなるので、おそろしいというかなやましい。(昨日も、『顔のない眼』と『シリアル・ママ』どちらを見ようかと、なやませられた)
ラカンの "L'étourdit"(Autres Écrits 所収)の翻訳書名がフランス語の読みそのままの『レトゥルディ』となっているのは納得のいくところで、それもそのはず、この "L'étourdit" というタイトルは「いかにもラカン」といったものであって、これを音として聞くと、おそらくは "L'étourdi" と、動詞 étourdir の過去分詞が名詞化したものとして解釈されると思うのだけど、それを文字として見ると、"L'étourdit" と三人称単数の活用形であることを表す語尾が付いており、そうであれば、"L'" は「彼/彼女を」という目的語として捉えなければならず、すると、「では、何/誰が彼/彼女を面食らわせるのか」というとうぜんの問いが湧きあがり、それはたぶん「エス ça」であるはずで、さらに、じゃっかんの発音のちがいを度外視すれば、「レトゥルディ」という響きからただち想起されるであろうものは「しゃべられた言葉」を意味する "lettre(s) dite(s)" という文字列であって、つまり、"L'étourdit" というタイトルは、それが音として聞かれたときと文字として見られたときとでは異なる相貌を現わし、そして、その異なる現われそれ自体もまた、「レトゥルディ」という響きから連想されるもうひとつの(あるいは、エスとしての?)文字列によって(さながらポーの「盗まれた手紙」のように)明々白々と暗示されている……といったわけで、かようにラカンを読むのはほんとうにめんどくさく、おもしろい。
昼、奥さんは娘を連れて元同僚たちとランチ、ぼくは定期健診の一環で血液検査。昔、採血されているときに気を失ったことがあるので、それ以来採血は横になった状態でやってもらうことにしているのだけど、採血のたび「昔、採血中に気を失ったことがあるので、採血のときは横にならしてください」とたのむのは、ちょっとしたこととはいえ、めんどくさい。ともあれ、みんな椅子に座って採血されているなか、一人だけベッド付きの別室に連れられて採血。「針がきらいなんですか?」との質問に、"Not particularly but I don't like the very idea of being taken blood" と何だかよく分からない解答をして、じゃっかんけげんな顔をされる。採血後、電車に乗って学校の図書館に本を返しに行く。本を返したあと、館内をぶらぶら眺めつつ借りる本をチョイスしていたら、思いのほかけっこうな冊数になってしまう。借りた本は:モディアノ『新婚旅行』『失われた青春時代のカフェで』(翻訳)『地平線』(翻訳)『きみがこのあたりで迷わないように』(翻訳)(日本語の新刊書籍をチェックしているときに『迷い処』の翻訳が出ることにふれて、「おれ、モディアノって読んだことないな」と思ったので)、ラカン『自己の言語:精神分析における言語の働き』(翻訳)(いわゆる「ローマ講演」の英訳。これも日本語の新刊をチェックしているときに "L'étourdit"(Autres Écrits に所収)の翻訳が出ることにふれて、「ラカンと言えば、ローマ講演の英訳、とくに訳者のワイルデンの解題には卒論を書くときにお世話になったな」となつかしくなったので)、キャスリーン・レイン『ブレイクと伝統』(先だって読んだ古井由吉と大江健三郎の対談集『文学の淵を渡る』で大江健三郎が言及しており、ちょっと気になったので)。ほかにも、『個人的な体験』や『芽むしり仔撃ち』の英訳、ぺレックの対談・講演集などが気になったけど、それらを発見したときにはすでに借りようと抱えている本がけっこうな量になっていたので、断念。学校からはバスで帰ったのだけど、道中、"PRAY TO END AN ABORTION" という看板をかかげ、こうべを垂れて祈る女の人を見た。バスから降りると、ちょうど奥さんと娘と出くわしたのでいっしょに帰宅。帰ってから、まだ娘のごはんのまで時間があったので、ベイビー・ウォーカーをたずさえ、家のまわりを散歩する。夜は、例によって例のごとく、論文書き。
日記でもつけてみようかと思う。
ゴダール脚本集の英訳を出版するための資金がつのられています。あと9日で1万ドル集めたいにもかかわらず、現在集まっているのは228ドルのみ。1万ドルなんて、好事家がその気になれば即金で出せる額でしょうから、よゆうのある方は、ぜひ。
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