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集合論をそれなりにちゃんと勉強したことがある人でJechのSet Theory を知らない人はいないと思うんだけど、今日ふとアマゾンで第三版の目次を見て、「これほんとsubstantially updatedじゃん」と、なぜだかちょっと動揺してしまった。というわけで、どこがどうupdatedなのか、おれが持っている第二版(の目次)と比べて検証してみよう。
まず、大きな部立てからして、けっこう違う。感覚的に言えば、第三版のほうがより整理されている感じで、第二版ではトピック毎の構成になっているけど、第三版ではそれが「基本」、「応用」、「それ以外のトピック」というふうになっている。
で、細かい章立てを見てみると、もちろん既存のマテリアルの流用とおぼしき部分もたくさんあるんだけど、その場合でも、かなり大胆な並べ替えが行われていたりする。たとえば、ボレル集合の話は第二版では最後の最後に記述集合論のところで出てくるんだけど、第三版ではこれが第一部ですでに出てくる。あと、大見出しだけ見ると「同じなのかなあ」と思って、小見出しを見てみると、この点でもかなり入れ替えが激しく行われているようで……。
もちろん、既存のマテリアルの再構成というにとどまらず、Stationary SetやDeterminacyの扱いが厚くなったこと、Proper Forcingに関する記述が追加されたこと、という点がとくに目を引く。まあ、おれが持っている第二版は、実質的には1978年のたんなる訂正版であって(と言っても、実際に見比べてみたわけではないからよく分からないけど)、それ以降それなりに盛り上がってたこれらの話題が拡充・追加されるのは当然なんだけど。
って、こう書いていたら、とてもとても第三版が欲しくなってきたけど、おいそれと買い替えられるような値段ではないし……。そういえば、これも新版が出てるんだよなあ。うーむ。
前にも書きましたが、大学生から社会人と足掛け5年もかかった本を、とある中学生にいとも簡単に読まれていたのには、本当におどろきました。とあれ、GEBに書いてあった、訳の分からん単語、ネットのおかげで、少しはああこういうことだったのかって感じです。周囲に勉強する人がいない中でもそれなりに勉強できるようになったネットの効用は私には大きいですね。まあ、ネットで単語を調べるのはきっかけで、やはり、ちゃんと本買って読んで理解しないといけないんですがね。しかし、ネットの向こうに勉強のネタを教えてくださる方々がいらっしゃるというだけでも、ネットってのはありがたいものです。
解読に5年も要したというGEDって何ですか?オイラなんかもっとアホで、1976年に岩波から出版されたポパーの知的自伝を1981年に購入し、2006年のいまだに読んでますが…まだよ〜理解できん。でも、佐和さんのポパー解説って、それより酷いから怒るんですね。
ゲーデルエッシャーバッハです。5年で「解読」ではなくて、言わずもがな、「「とりあえずは読んだ」けど・・・」ってことです。
ちゃんと理解できているわけないですよ。理解した中学生とは勿論はやしさんのことです。
オイラのようなディレタントだと…ZF公理系で解決できないパラドクスが頻出して1920年代あたりから様々な解決案が提出される…。ラッセルやラムゼイが有名だけど、この時期の最大の功労者はタルスキーかもしれん。彼がメタ言語という概念を初めて導入したんだよね。多分…(昭和57年度に提出されたオイラの卒論にそう書いてあった!)。
分析哲学じゃないけど…やっぱ最低限のディシプリンは必要なのよ。
集合論をめぐるパラドクスとその解決、という筋書きは、カントール流のComprehension Axiomの奔放な使用から導出されるRussell's ParadoxをZFによって封じ込め、という感じであって、ZF自体からは顕著なパラドクスというのは出ていないと思います(ラッセルのパラドクスは置換公理によって抑制される)。
で、タルスキ、ですけど、そりゃ功績はでかいですよ。何より、あの真理函数意味論というパースペクティヴを拓いた仕事がモデル理論となって、狭く数理論理学界隈だけではなく代数幾何学とかにまで応用されていたりするんですから。
昭和57年のオイラの卒論を読み返してみると、ラムゼイ、タルスキー、ゲーデルなんかが(ろくに理解もしてないのに…)登場して、<意味論的パラドクス>だとか<論理的パラドクス>だとギャーギャーわめいている。そんでもって…いったい当時のオイラが、何を主張したかったのか理解できんかった(忘れた?)。
おそらく、昔のオイラは、約束だとか禁止によって、いかようにも構成できる数学的・論理学的空間と、<言明と実在との対応>という意味論的・経験科学的問題構成をうまく整理できなかっただろうね。
それで、ZFのしたことは、藤崎さんの言うように「禁止事項を設けた」と言えばそうなんですが、もうちょっとポジティヴに言うと、「集合」というものの生成規則を明示的に示した、という感じですかね。だから、その規則に従うと「すべての集合の集合」なんていうものは作り出せないわけです。
で、「構成できる数学的・論理学的空間と、<言明と実在との対応>という意味論的・経験科学的問題構成をうまく整理でき」ていない人、今でもいますよねえ。まあ、「知の欺瞞」な人たちは言うまでもなし、ですが。
毎度丁寧な返答ありがとうございます。オイラは現代人なので、はやしさんのいうことはとてもわかりやすい。
さて、対象言語/メタ言語の区別に関しては、やっぱ1931年のタルスキーの問題意識を理解する必要があると思います。
しかし、これを理解するには、クワインのいう(語の意味から文の意味へという)経験主義の第二の里程標を踏まえていなければ…はなっから議論はできない。
それに、タルスキーの業績は<形式言語における真理(1931)>というきわめて限定された部分であり、論文そのものは、かのゲーデルの不完全性定理(1931)と本質的には同じ主張だったと記憶していますがどうでしょうか?
いずれにしても、詭弁では大学の先生や政治家は務まっても、ビルを建てることも、飛行機を飛ばすこともできないが、現代科学にはそれができる。現代科学をいかに批判しようが事実である。
現代の英米哲学の健全性は、このような事実に、微力でありながらも、真摯に立ち向かっている点でしょうね。
「知の欺瞞」な人たちって、お互いに
タルスキの論文「形式言語における真理概念」とゲーデルのかの有名な1931年論文との関わりは、タルスキ論文の註にもある通り(A. Tarski, "Logic, Semantics, Metamathematics", p.247)、その真理概念の定義不可能性をゲーデルの件の論文を参考に取り入れた、ということにあります。だから、タルスキの論文とゲーデルの論文が全的に同じことを主張しているとぼくは考えませんが、「問題意識」ということで言えば同様の問題意識を共有していたことは間違いないでしょう(ただ、このタルスキ論文を読んだのはほとんど10年ぐらい前のことで、かなりエーカゲンなことを言ってるかも、です)。
それで、藤崎さんのコメント、終わりのほうがちょん切れちゃってて、その続きがヒジョーに気になるのですが……。
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