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ほんとのところ、どういう区分けなんだろ? つか、みんなどういうつもりで「文系」やら「理系」って言ってんだろ? まずは「実際のところ」を見てみたい。
よく「理系の人は論理的で理屈っぽくて……」とか言われるのを耳にしたり目にしたりすることがあるけど、いやしくも学問であるのなら、理系であろうと文系であろうと「論理的で理屈っぽい」ものであるはずで、「論理的で理屈っぽい」ことが理系の本質規定であるはずがない(大体、某大学法学部法学コースの人たちは、そんじょそこらの理系の人たちよりよっぽど「論理的で理屈っぽい」)。
そこで、理系と文系の違いを、「論理的で理屈っぽい」というような方法論的切り口ではなく、まずはその扱う対象に注目して切り分けるとどうだろう。例えばWikipedia「文系と理系」では「文系とは主に人間の行動が関わる現象についての学問であり、理系とはそれ以外、すなわち人間とは直接は無関係な自然科学についての学問であるのが特徴である」としている(この伝でいくとある意味哲学などは「人間の行動が関わる現象」など考究していないから文系ではない、となりそうだが、それはひとまず措いておこう)。まあ、カント=ヴェーバー以来の妥当な腑分けと、とりあえずは言えよう(ほんとはこの「妥当性」をも考えてみたいのだけど、今はパス)。
しかし、その扱う対象の違いのみから直接、巷間で言われるような「理系/文系」の二項対立が導き出されるとも思えず、だとすると、扱う対象の差異に起因する、「論理的で理屈っぽい」というのとは違う方法論的な区別から拠って来るものか?と思えてくる。例えばIwatamさんは「コラム: 文系と理系 再び」のなかで「単なる仮説なので、あまり真に受けないように」と断りつつも、次のような対象の差異から起因する方法論的差異を提示している。
理系の人は、まず自然をよく観察し、実験をしてデータを集め、そこから法則性を導き出す。文系の人はまず人間をよく観察し、仮説を立て、それを現実にあてはめて正しいかどうかを確認する。
つまり、理系と文系では、法則性と事実が逆になっている。理系はまず事実があってそれにあてはまる法則を出すという順番なのに対して、文系ではまず法則を立ててそれを事実と比べて検証する。
この方法論を逆にすると困ったことになる。理系の分野を文系の方法で研究すると、それはトンデモ科学になる。
だが、引用した1パラグラフ目のこの規定は、「理系/自然」と「文系/人間」を取り替えても充分成り立つ。しかも、理系は「事実から法則」、文系は「法則から事実」としているが、上の規定だと両者とも「事実」を出発点にしていることに変わりはない(文系は「人間」という事実を出発点としている)。さらに、理系が「法則から事実」という道筋を採ったからといって(引用1パラグラフ目の言い方を援用すれば「まず自然をよく観察し、仮説を立て、それを現実にあてはめて正しいかどうか確認する」からといって)、必ずしもそれが「トンデモ科学」に堕する、とも言えまい。
じゃあ、お前が考える「扱う対象の違いに起因する方法論的差異」ってどういうのよ?ってことなんだけど、まだまだ長くなっちゃいそうだし、なによりも「ほんと、なんだろうねえ?」というテイタラクなので、とりあえず明日にでも稿を改めて、ということで。つづく。
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