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「ニューアカ」と言えば1980年代である。1980年代と言えば、新人類でありYMOでありゼビウスであり○金○ビでありファミコンでありパルコ戦略であるが、そうした文化的布置のうち、この「ニューアカ」も位置付けられるべきであり、ゆえに、まずは日本における「80年代文化」(以後、「80年代」と言えば「1980年代」を指すものとする)というものを振り返るところから始めたい。
■きわめて図式的な80年代プレイバック
「10年」という恣意的な区切りごとに時代風潮を云々するなんてバカげている、と確かに思う。
しかし、なぜだか「10」という数字を「切りのいいもの」として受け取る、そういう人間たちが日々生活を営み、そうした営みのうちに「文化」というものも現れるものなのだから、意識的にせよ無意識的にせよ、人は10年区切りで文化の年輪を刻んでしまっている、というのもあながちない話ではない、とも思える。
そうした目で振り返ると、80年代はやはり「消費の時代」ということになるのではないだろうか。
狭義には1973年までとされる高度成長期を終え安定成長期に入り、それでも70年代いっぱいは何がしかの実直さを捨て切れなかった人たちが、「80年」という(意味のない)区切りを境に、突如「目的のない、自己目的的な消費」に走り始めた、というイメージであり、広告文化的に見ると、「それが何であるか」ということを売りにする、というよりも、「それがどのように提示されるのか」というイメージ戦略的なものが幅を利かせ始めた、と言えるだろう(1983年――この年は奇しくも、後述する『構造と力』の刊行年でもある――発表の糸井重里による西武セゾングループの広告「おいしい生活」は、こうしたことのメルクマールであり、かなり強引に穿った見方をすれば、「ライフスタイル」という「生きること、その生き方」も消費の対象になった、と捉えることもできるかもしれない……って、できないか)。
■で?
さて、如上のような「80年代」という時代、およびその文化布置のうち、「ニューアカ」はどう位置付けられるのか?
答えは明白だろう。「大学」という閉域における「学知」から、「消費財」としての「知」へ。こうした移行を担ったのが、「ニューアカ」なのである。
だから、「ニューアカ」に対して、その「なぜ」(どうしてこういうものが出て来たのか、どうして『構造と力』は売れたのか、等々……)を問うことは愚問なのだ。数あるものどもの一つとして、「学問」も時代の波に飲まれたに過ぎない。
しかし、そうした「波の跡」というのは、良きにつけ悪しきにつけ、確実に残っていはする。その残滓を見極めるためにも、そのとき何が起こったか、ということを、おれの知る限り記してみよう。
■ニューアカあれこれ、と言いつつ、浅田彰の話に終始
まず最初に断っておかなくてはならないのが、おれは「ニューアカ」をリアルタイムで受け止めたものではない、ということだ。だから、以下に書かれることは、書物なり何なりから「風聞」として得たものであり、その述べられることの真正性の保証は、一切ない。
ともあれ、実際に「ニューアカ旋風」というのはすごいものであったらしい。高校生が『エピステーメー』を「ファッション」として小脇に抱え(島田雅彦の証言による)、『構造と力』がこの手の書物としては尋常ではない売れ行きを見せ(おれが持っている『構造と力』は984年7月刷ものなのだが、1983年9月1刷から1年も経たないうちに、25刷にもなっている)、「お前のこと脱構築しちゃうぞ」という文言が当たり前のように大学生の口に上っていた(中沢新一の証言による)。
そうした「ニューアカ」という呼称の下に名を連ねる人物としては、山口昌男(著書『本の神話学』、『文化と両義性』など)、浅田彰(著書『構造と力』、『逃走論』など)、中沢新一(著書『チベットのモーツァルト』、『雪片曲線論』など)、蓮實重彦(著書『批評あるいは仮死の祭典』、『表層批評宣言』など)、などがいるが、この中で外せない人物、といえば、浅田彰を措いて他にはいないだろう。
浅田彰はまさに、上述したような「『大学』という閉域における『学知』から、『消費財』としての『知』へ」という挙措の体現者であった。旧弊で重苦しい「学知」ではなく、颯爽と軽みを帯びた「知」を。浅田彰が「弱冠」26歳で刊行した『構造と力』や、それに続く『逃走論』では、そのような主張を明白に為している。
ただ、そういうことを言っていたから受けたのだ、というのは、事の一面しか捉えていない、というか、売れた本質ではない、と思う。それではなぜ、『構造と力』は売れ、浅田彰は「時代の寵児」として持て囃されたのか? 答えは全く身も蓋もないものだ。単純に「若かったから」である(今では、こうした「若さ」を売りにする遣り口というのは、われわれにとってうんざりするぐらい親しいものであるだろう。とくに、文学賞が発表されるたびに紙面に躍る「史上最年少」の文字列……)。
だから、浅田彰の『構造と力』や『逃走論』の内容面にまで突っ込んで、そうした「軽さ」や何やで受けていた、という見方に、おれは懐疑的である。もちろん、その「上っ面」の内容が「重苦しい」ものであったら、これほどまでに売れはしなかった、とは思うが……。
以下続く。予定しているトピックは、
■なぜ「ニューアカ」のネタ元は一様にフランスなのか
■「ニューアカ」は何をもたらしたか
です。
当時やたら、「パラダイムの転換」が叫ばれた。
で、思うに、パラダイムならずとも、何かの転換があったかというとまったくと言っていいほど何も無い。
一方、レーガン、サッチャー、中曽根の新保守主義御三家が出揃った時期でもある。
それから、マルクスの日本における著しい衰退があった。
中曽根は、衆議院300議席獲得という歴史的大勝をやった。
また、世界的に、景気の停滞時期を脱し、日本においては「土地、株」バブル景気の発射点だったかもしれないし、実際アメリカ株(NY−DOW)は1965年から、1982年まで続いた600−1000ドルのレンジを抜けてその後20年の爆発的上昇の出発点でもあった。
日本の製造業は、90年代はダメダメだったが、80年代は一人勝ちだった。
何よりも、大学生の就職が結構楽に出来た。それは、ノスタルジックに安保闘争を語る団塊の世代にも何か似ている。
「知」という語が、登場したのもニューアカデミズムと同時というかニューアカデミズムの中で生まれた。
「知」は「知識」を、消費財的に中身を薄めまくっているのは確か。
色々と羅列しましたが、日本人の特に若い世代の頭の中が、バブりだしたのはこのころだったのだと思います。ただ、こういういい方は、自分でも疑問に思います。団塊の世代も頭がバブって、安保闘争をやってたとしか思えませんから。
浅田がもてはやされたのは、なぜか。それは、当時フランス語を理解できる日本人があまりにも少なく、そして、浅田について今ささやかれているフランス語ダメダメ説に反して、(極めて?)堪能だというのも大きいと思います。
当時、大学生の第二外国語というは、ドイツ語というのが当たり前の時代でしたから。
本当に、フランス語ダメダメの人は、彼をもてはやしたギョーカイの諸先輩方だったのではないかと思います。
それから、「逃走論」はともかく、「構造と力」当時買った人の中で、理解できたのは、十分の一もいないでしょう。買った大半の人は、哲学書の一冊も読んだことのない人でしたから。
少なくとも、私の周りはそうでした。
あの簡単な「構造と力」ですが、当時、結構難解な本であるという認識が流布されていました。
と、当時の様子を伝えるために、事実?を羅列させていただきました。
それで、原作たそがれ清兵衛さんの、ご自身が実際に生きたであろう時代の活写、そういうのが非常にありがたい、というか、興味深い部分なんですよね。まあ、「ニューアカ」でも「下着風ファッション」でも、所詮「流行」は「流行」であり、その発生要因などを穿鑿するのは詮無いことではあるのですが、ただ、大きく文化状況の布置で見ると、こんな感じだったのかなあ、というエントリでした。
で、浅田彰が持ち上げられたのはフランス語が堪能だったからだ、というのは、一因ではあるかもしれないですね。ただ、やはり、何ゆえにフランス語(で書かれた文物)?という疑義は、抱こうと思えば抱けるわけで(まあ、そんなことを言い出したら、何にでも疑義は抱けるわけですが)、それを後編では探ろう、と思っています。
「ニュー」は胡散臭いし長続きしない。確かに…。でも「ネオ」ってつくとしぶといかもね。ネオ・クラシカルスクールしかり、ネオ・コンサーバティブしかり。
…で、オイラのニューアカ時代のイメージって、渋谷の公園通リなんですよ。最近は荒れ果ててるらしいけど、20年前の渋谷駅って、センター街の道の真ん中がオヤジと若者の境界線になっていたような気がします。例外として道玄坂109(=若者側)がありましたが、基本的にはセンター街の道の真ん中から公園通リ側が「ニューアカ」です。
そんでもって、坂の上の方にパルコなんかがあって、糸井重里みたいなコピーライター大流行!製造技術は成熟したので次はマーケティング!なんていいつつ、一流大学を出て電通なんかに就職するのが王道だったわけです。まさにボ〜ドリヤ〜ルの世界?
いつも金曜の晩、目覚まし代わりのステレオのタイマー切るのを忘れて寝てしまうのです。とほほ。
こちらは、単なるお笑いネタになる過去の人でなくて、現役の人。
坂本龍一氏。
東京芸大の作曲科に、非常に論理的に思考ができて頭がいい連中が多いのは分かるのですが、なんで、こんな人が、ニューアカデミズムと切っても切れない縁があったというか、むしろ、ニューアカデミズムの中にいたのか。?
確かに、坂本氏は若い頃から哲学書をそれなりに読んでいたようです。しかし、その大半は、日本の文芸評論家系って感じの人の本だったような気がします。
坂本氏は、芸大出の人の中では極めて商魂たくましい人です。
YMOなんて、自分の売名行為に、細野さんと高橋さんを乗せたのではないかと思っています。
普通、ああいう、YMOみたいなセコイ音楽は、芸大の作曲科には、なかなかやりにくいものがあると思いますし、その後の活動も、金銭的収入をそれなりにきっちり結構計算しながらやっているとしか思えない。
ところで、渋谷陽一の造語でしたか? この言葉。 「産業ロック」
売れることを約束された、くだらないロックという意味で使っていたと思います。
(ただ、渋谷が「産業ロック」指定したミュージシャンの音楽には、明らかに楽曲演奏にパタンがあり、「売れることを約束された、くだらないロック」で、産業ロックを定義できないところが、また渋谷の耳や評論の面白いところでしたが・・・。 ちょっと脱線でした。)
哲学の「産業化」「経済化」、ストレートに言えば、哲学で「金銭を稼ぐ」あるいは「金銭を稼ぐ」ために「哲学」するってのが、なんとなく、ニューアカデミズムには、見え隠れします。
よく言えば、「哲学」の大衆化、悪く言えば「哲学」の堕落だったと思います。
というか、そもそも日本に、80年代当初、堕落させられるような「哲学」ってものが、本当に存在したのかそれも疑問です。
「哲学」が無いところに発生した、「哲学」消費運動って感じですか。ニューアカって。
「欝は、心の風邪」という、訳の分かったような分からないようなキャッチが「吉」医者の敷居を低くしたように、ニューアカがもつキャッチ性とでもいうべきものが、「哲学」の敷居を低くしたという大きな効用は間違いなくあったと思います。
しかし、でもねえ。それで、みんなが恥じることなく平然と「いや、波動が・・・」「いや、量子力学が・・・」なんて訳の分からないことを語るのをその後のスタイルにしたのかと思うと、やはり、功より罪のほうが大きかった気がしますね。
で、藤崎さんの、センター街の道の真ん中から公園通リ側が「ニューアカ」、という規定、それすっげーよく分かる、という感じです。
ただ、ぼくが気になるのは、ニューアカが依拠した「現代フランス思想」の面々に、「内在的」にそうした「大衆化への意志」みたいなものがあったのではないか、ということです(顕著なのはやはり、ドゥルーズ=ガタリの「ポップ哲学」でしょう)。そうした場合にも、「世俗化」という意味での「大衆化」ではないポイントを見なければいけないのかも知れませんが、そうであるにせよ、そうしたモチーフの寄って来るところと、そしてその帰結をちゃんと見ないといかんな、と思います。
ところで、哲学的言説に一知半解的な自然科学の考えや用語を織り込む、というのは、別段「ニューアカ」云々の話ではなく、彼らが依拠した「現代フランス思想」に内在的なものです。そうした「知の欺瞞」が日本の一般的な「大衆」に及ぼした影響は、相対的に軽微なものではないでしょうか。もっとも、いわゆる「科学的知識のトンデモ的応用」というのは、「ニューアカ」も「現代フランス思想」も関係なく、ある一定の割合で昔から今に至るまで、見られるものだ、とも思いますが。
(そもそも、ニューサイエンスとは、思想であって、哲学ではないなんて、突っ込まないでくださいね。 笑)
はやしさんの仰る通り、確かにニューアカに関係なく、知識の大衆化と並行して、(科学的)知識のトンデモ勝手利用というのは、常に見られる現象です。
最近では、もう完全に下火になりましたが、5年ほど前の立花隆ブームもそうだったと思います。
この人なんか、ニューアカブームのころ、まだ、田中角栄のことを、やってたんじゃなかったですかね。
(そうそう、思い出した。この人、確か大学は、京大文学部フランス文学科、大学院は東大文学部哲学科でしたね。ははは。なんで、ニューアカと無縁で、かつ、ニューサイエンス好き?なんだろうかと、いつも不思議に思っています。根からのオカルト好きなのでしょうか?)
だから、僕自身、ニューアカを、知識の大衆化=トンデモ利用 という路線で断罪するのは、やりすぎだと思います。ただ、日本で、科学と哲学が、強烈に変なリンクを始めたのは、ニューアカのころからではないでしょうか。(しかし、これについては、60年代、70年代にうとい私は、本当のところ言い切る自信がありません。)
また一方、ニューアカそして、フランス思想が、日本での科学と哲学の強烈に変なリンクの諸悪の根源であると断罪するのも、ちょっとやりすぎだと思います。
それにしても、実際、ニューアカなくして、社会人になってからも、僕ごときのレベルの人が本当に哲学書を読もうとしたかどうかと聞かれると、それは、もうニューアカ、浅田彰様様のおかげの世界ですとしかいいようがありません。大衆化のおかげで、僕がドゥルーズを読ませてもらったのは、揺るがない事実であると思います。
ところで、フランス思想について、あの程度のことを言うのにわざわざ数学や物理を使わないでほしいとおっしゃる?藤崎さんのご意見も良く理解できますし、また、自由な思想のスタイルを確保するために、あれ位はいいのじゃないのって言う?はやしさんのご意見も良く理解できるところです。
僕が本当に好きなのは、ガタリと出会う前のドゥルーズだという気がします。
浅田彰様様は、よく言うと当時ガタリに傾倒されていた、悪くいうと、ドゥルーズの前期に書いたのをろくに読んでいなかったということだと思ますが、ガタリ以来のドゥルーズのスタイルってのは、本当のところどう評価していいのか未だに僕自身分かりませんし、また、ニューアカってのは、フランス思想の中でも、ほとんど、ガタリの影響で成立したのじゃないかと勝手に思い込んでいます。
ところで、ドゥルーズの研究家、翻訳者の大半は、多かれ少なかれニューアカブームに一時期身を置いた人が大半だと思います。
そして、ドゥルーズの死に方を見て、その中にも、また、単なる私のようなファンみたいな一読者にすぎない人の中にも、自殺当時凄いショックを受けて頭が混乱したとか、ああいう死に方はして欲しくなかったという人があまりにも多かったというのは、本当に、僕にとっても驚きでした。
それだけ、ドゥルーズに神聖化ともいうべき思い入れをしていた人が、沢山いたのですね。
そういう意味では、ニューアカって、80年にはなかった安保闘争の代用品じゃなかったのかと、ちょっと思ってしまいます。
さすが、インチキ中沢。多分ウソです。少なくとも、僕の周りには、これを当たり前のように言ってたやつなんて誰もいませんでしたよ。
>高校生が『エピステーメー』を「ファッション」として小脇に抱え
これも、本当ですか? そんな人みたことないですよ。
高度成長が終わり、一応本当に日本が先進国の経済的豊かさを持ったのが1980年台初頭だと思います。
ニューアカが「一部で大うけした」のは、それまでの日本は発展途上国的価値観で、体制側の人も反体制側の人も、一応、社会を良くするにはどうすべきかというのが 自分の行動することの「お題目」であったわけですが、80年代初頭から、反体制という形態をとることなく、また、一切の「お題目」無しに社会を逸脱することが、その社会の豊かさ所以に「社会的に許容」でされるようになり、ニューアカとはその中で「一部の知的好奇心の強い人」の中で大受した現象だったのだと思います。
それで、失礼ながら、はやしさんなんて、そこで生まれた社会的風潮を、まともに実践していると思うのです。(・・・こういいきるには、ちょっと抵抗を感じますがね。ははは。)
だから、そこで、生まれた風潮に乗れることなく、20年過ごした僕なんか、以前書かせていただいた通りにニートの人を羨ましくおもうのです。
はやしさん以外のニートの人、それも特に比較的知的水準が高い自発的ニートの人なんて、80年代初頭に初めて許容され生まれた社会的風潮の中に、まともに存在する人だと思います。
家内も、同時期に(音大ではない)4年制大学にいたのですが、「浅田彰」も「中沢新一」も「ニューアカ」も「構造と力」も、10年ほど前に私と出会うまで、聞いたことすらなかったとか。
確かに「哲学書」には無縁に近い人ですが、読書量は、まあまあ立派な方だと思います。
繰り返しになりますが、ニューアカとは80年代初頭に「一部の知的好奇心の強い人」の中で大受した現象にすぎず、むしろ、そこで、本当に生まれたのは、反体制という形態をとることなく社会からそれなりに逸脱することを許容するようなある意味懐が深い社会であり、ニューアカとは、その現象を象徴するものである一方、所詮、その現象の一部にすぎないものだと思います。 そういう新しく生まれた社会的風潮の中で、哲学関係者、それも若手が、ああいう、非常に無責任ともとれる本や論文を書いたから、「一部の知的好奇心の強い人」に大うけしたのだと思います。
だから、僕の周りには、ニューアカかぶれした奴が、やたら多かったのに、そいつらがバンバン、国?なんて受験して合格する、しかし、やはり官僚になるのは抵抗感じて官僚には誰もなっていないという、非常に、矛盾に満ちた現象が起きたのだと思います。
しかし、ニューアカの話は、退けておいて、坂本さんって、何考えているやら。
家内の意見ですが、あれだけ「盆踊りにルーツを発する単調な日本旋律を露骨に前面に押し出して、それで「日本人」に売れる曲を書く」というのは、さすがに「凄い」と。
確かに、芸大出ても、ホントまとも路線ではお金にならないので、最近では、食べるために、ポップ界に足を突っ込む人は、本当に増えましたが、まあ、あそこまで「凄い」のは、坂本さんに右に出る人はいないだろうと。
そりゃ、東京芸大作曲科なら、曲の分析、そして構成能力において抜群なのだから、簡単に大衆受けするポップミュージックなんてものなら、みんな赤子の手をひねるように簡単に書けるだろうけど って言ってました。
(ちなみに、日本のロックアーティストって、全部、曲が「日本旋律」しているから、絶対に、欧米では通用しないって、言ってました。 ラップ系に至っては、拍が表に入るのがほとんどで、完全に盆踊りの域を出ていないし、あれは、ラップではないとか。)
そんで、色々と書かせていただきましたが、よーく考えると、専業相場師になるって、一種逸脱であるのは間違いないし、まあ、浅田彰の敷いた路線の上のことといえば、ホントその通りで、20歳の魂40までなのか、とか思っているうちにまた一段と、あほくさくなってきました。 とほほ。 笑
で、立花隆なんですけど、おれこの人、ある意味でニューアカよりも罪深い、というか、有害だ、と思っています。というのも、立花隆の場合、ニューアカを受け取るその受け取り方よりも、大方は彼のことを「まとも」なものとして受け取っている、と思われるからです。もっとも、ニューアカのときも同時代的には、それを「全くもってまとも」なものとしてみんな受け取っていたのかもしれませんが……(いくつかの証言を勘考すると、この線も否定できません)。
ともあれ、ニューアカと「科学的知識のトンデモ利用」というのは、偏にその結節点である(一部の)フランス現代思想由来のものであります。知識の大衆化と「科学的知識のトンデモ利用」というのはとりあえずは関係ないし、また(一部の)フランス思想は、「日本で」のみならず、全世界的な範囲において「科学と哲学の強烈に変なリンクの諸悪の根源」だと認識している点において、原作たそがれ清兵衛さんが思っている以上に、おれは(一部の)フランス現代思想を「断罪」するものであります(だから、「自由な思想のスタイルを確保するために、あれ位はいいのじゃないの」どころではないわけです)。
とはいえ、(一部の)フランス現代思想をまるごと「断罪」し、盥の水と一緒に赤ん坊まで流してしまおう、とまで考えているわけではありません。そうではなく、前述の比喩を貫徹すれば、赤ん坊だけ残して盥の水をうまく流せれば、と思います。ただ、それを本気で敢行しようとすると、「盥の水を流す」どころの騒ぎではなく、ほとんど「大掛かりな外科手術」という様相を呈してしまうので、手を付けるには相当の覚悟が要りますが……いずれはやってみたいことの一つ、ですね。
原作たそがれ清兵衛さんが、ガタリ抜きのドゥルーズ、つまり、あえてドゥルーズの仕事を前中後期に分けると、その前期にもっとも惹かれる、というのは、よく分かっているつもりです。翻って、浅田彰がドゥルーズについてどう思っているか、本当のところはよく分かりませんが、少なくとも『構造と力』や『逃走論』を見る限り、もっぱら「ドゥルーズ=ガタリ」というセットでの取り扱いではありますよね。
そのようであるなら、原作たそがれ清兵衛さんのように、ガタリを「戦犯」として名指すのも分からない話ではないのですが、ここいらの「ドゥルーズ=ガタリ分離問題」というのは、斯様な外的状況からではなく、あくまで内在的にと言うか、文献学的に解き明かされるべきことだと思います(その「分離問題」の有力な資料として『ガタリ版アンチオイディプス』があるわけですが、それを読んだ感触から言うと、原作たそがれ清兵衛さんが「ガタリ的」と措定している部分も、相当程度ドゥルーズ由来のものがある、と思われます)。
それで、ドゥルーズが死んだとき、思わず笑っちゃったことを覚えてます。人が死んで笑うだなんて、あまり趣味のいい話ではないのですが、でも、何と言うか、あまりにぴったりした感じがしたんですね、「ああいう死に方はして欲しくなかった」どころではなく。その「ぴったり感」というのがどれぐらい他人に伝達可能な質のものか、ちょっと心許なくはあるんですが、思ったことと言えば、「らしいなあ」、これに尽きます。まあ、『偉大なるマルクス』という題の本を書いていた、と聞いていたので、それに関しては「惜しいなあ」とは思いましたけど。
何にせよ、「ニューアカって、80年にはなかった安保闘争の代用品じゃなかったのか」との原作たそがれ清兵衛さんの弁、至言だと思います。
で、80年代ぐらいから、可処分所得のほぼ半分ぐらいが選択消費に振り分けられるという、まさに「消費の時代」に日本は突入して行ったわけですが、こういう状況にあっては「体制」などというものはほとんどあってないようなものです。おまけに、「体制/反体制」という区分を保持しつつ考えても、基本的に「反体制」側の要求はそれなりに「体制」側に掬い取られていったわけで、こうなるともう対立の根拠などもほとんどない(もちろん、個別具体的な事柄に関しては、国家なり何なりとの対立、というのは已むことはありませんが、それは「体制/反体制」などというリジッドな区切りとは無縁のものです)。
しかも、これは「論証抜きの断言」として、ほとんど思い付きのかたちで言うのですが、「日本社会」というものが、「逸脱を許容する」どころか、本源的な動力源として「逸脱を必要とする」ようになったのではないか、という感じを持っています。もちろん、「資本主義体制」というものの本質上、対内的対外的を問わず、その成立/存続には「逸脱/差異」を必要とする、という、それこそ「ニューアカ」的なことも言えたりするのかも知れませんが……。
ただ、「ニート」に関して言えば、おれはある意味これは「虚構」だと思っています。というのも、「ニート」と呼ばれる一群を仔細に見ると、このような単一の呼称で呼ぶには問題がありすぎるほど多様な構成になっているからです。そんなわけで、おれがあえて「ニートを肯定する」のは、「そんな意味のない呼称で括られたからって、気にすんな」ということがまずあります。
まとめると、ニューアカ、ひいては「ポストモダン」という思想潮流というものは、まさに「豊かな社会」の落とし子であり、そういう意味で「現状肯定の思想」というのは正しくもあるのですが、同時に、ニューアカであれ「ポストモダン」であれ、そういう「ぬるさ」を潔しとしない、というか、「何かそれってオモロクないよなあ」という、遠回しの自己否定というか、あえて「ポモ的言説」に乗っかって言えば、「父親殺し」のモチーフがあり、そのことが、ニューアカやポストモダンと呼ばれた彼や彼女たちの言説を、かくも面妖ならしめたのではないか、と思います。
そして、「時代の子」として生まれたはずのものが、その「時代」を批判する、というのは、とくに新しい話でもない、ということに気付くわけです。
あと、官僚がらみのことで言えば、官僚になっちゃうようなやつのほうが、いわゆる「浅田的」なものとの親和性が不思議と高い。ただ、急いで付言すれば、こうした評価は一向にネガティヴなものではなく、彼らは知的にも、そして人間的にも評価できる人たちが大半です。それが、何でああ集合的になると、かくもテイタラクなのか、というのは、それはそれで非常に興味深いスタディケースだとも思います。
そんな「売れる/売れない」のポイントの話はともかくとして、坂本龍一個人の作品についてはいざ知らず、YMOに関しては「日本的旋律」というのは決め打ちでしょうね。言わずもがな、かもしれませんが。
と、それもともかく、坂本龍一って、YMO以後も「売れてた」んですか?(あ、いや、「売れてねーだろ」と言いたいのではなく、本当に知らないのです)
それはともかく、原作たそがれ清兵衛さんの言う「東洋くさい」っていうのはどういうことですか?
東洋くさいとは、
自然とか宇宙とかがまずありきで、その次に人を考える。
人の中に、自然や宇宙があると考える。 そういう発想です。
それで、自然や宇宙とは、「予定調和的」だから、人や人の社会も「予定調和的」であろう結論づけて、論を運ぶ発想です。(僕が思うに、実は、この論の運びには、何の根拠もないのに勝手にそうしている。)
「何事も、納品まるところに納まる」って日本人に限らず東洋人は、どこかというか かなり思っていると思うのですが、西洋人の発想のベースは「納品まるところに納まるでは決してない」だと思います。(というと、自分でも言い過ぎだと、思いますが、「東洋くさい」の説明のために、あえて、そう言って強調しておきます。)
多分、弁証法なんて、「納品まるところに納まる」の典型ではないか? って突っ込みがくるかもしれませんが、それとはまた違うのですが、そこが、疲れていて今上手く 表現できません。
この「予定調和」とは、決して「熱力学第二法則」から導かれる「平衡状態」のような、それこそ、のっぺりした状態ではなく、その対極の「非常に生き生きとした状態」です。
宇宙のほとんどで起こっている現象は、まさに「のっぺり化」なのですが、東洋思想とは、この地球上の海や山といった自然こそというか、のみを、「自然」ととらえ、栄枯盛衰はあるが、長期では、みなが、綺麗なハーモニーを演じていると考えていると思います。
東洋くさいとは、まあ、そんなことです。
私は、脳の中に宇宙の果てがあるとは決して思いませんし、また、遺伝子や「卵」(らん)に、決して、「生物の生」を超えるほどの神秘性はないと思いますが(=はやしさんがはやしさんであり、原作たそがれ清兵衛が原作たそがれ清兵衛であることを、果るかに超えてしまうような神秘性・・・・・例えばはやしさんと私を何かシンクロさせる神秘性、そんなものなんてないってことです。)、しかし、東洋人ってのは、そういうものを勝手に発明発見し、非常に畏敬や畏怖の念を表するものです。東洋に科学の発想が全くなかったとは言いませんが、科学からは、かなり疎い存在だと思います。西洋の発想から科学が発生しても、あと1万年たっても東洋の発想からは決して科学は生まれなかったでしょうね。
ただ、ほんとのほんとに、というのは、まさにフィジカルな意味合いにおいて「人の中に、自然や宇宙が*ある*と考える」のであれば、それは確かに「東洋」固有のものであるでしょうが、ここまでのことを実際に「東洋」は言っているのでしょうか?
また、「納まるところに納まる」に関しても、弁証法云々ということとは別に、西洋こそがそういうことを言っているのではないか、という気もします。
忖度するに、原作たそがれ清兵衛さんが「東洋くさい」という言葉で表わさんとしている事態は、本来どこまでも徹底的に「個別」である他ないものどうしが、何故だか「神秘的」にシンクロしてしまう、ということでしょうか。つまり、個人と個人とが、「自然」を間に挟んで認識論的なレヴェルで繋がっている(「人-自然-人」という図式)、そういう「連繋」を成り立たしめる「神秘性」。
とはいえ、この間永遠小僧さんとも話したのですが、ぼくや永遠小僧さんぐらいの世代は、生まれたのが地理的に「東洋」というだけで、その発想や考え方は、ほぼ完全に西洋のそれになってしまっているので、「発想や考え方における東洋的なもの」ということが全く理解できませんので、本当に「何とも言い難し」です。
ちなみに、檜垣さんのドゥルーズ本は読んでいるはずですが……取立てたる印象がないですね。とくに「ええええええ???????」とも思わなかったような気もします。まあ、薄い本ですので、もう一回読んでから改めて感想を述べたい、と思うだけは思っています。
少なくとも、僕はタオイズムにはライプニッツの匂いを感じます。で、フニャコさん、シータさんには、誠に申し訳ないですが、僕は、恐らくタオイズム嫌いだと思います。
どこが嫌いかというと、ライプニッツに なぞらえて言うと、モナドがすべて窓を持っていて、それが外に通じていて、それで、モナドがみんな(手をつないで)シンクロしているっていう発想です。
僕の、根底にある発想とは、あの、うちのカイシャのアホどもと、俺を一緒にせんといて欲しいという願望かな。(笑)
あんな奴らと、共振させられたら、たまんないですよ。
そんで、この発想って、「皆仲良し」だから「何をしてもいい」となり、それが「どんな無茶苦々してもいい」となり、「それは、大量殺戮であろうが」と転化して、ウヨク的発想、あるいは、毛沢東的発想になるのでは、ないかと思っています。
まあ、そんな、もんですとしか 言うようがありません。
時間がとれて、疲労が回復したら、もう少しましな表現を考えます。
そもそも、ぼくの考えでは並べて「哲学」というものは、こうした「予定調和」を前提とし、また目指してしまうものに思えます。だから、「予定調和」だからダメなのではなく、それがどういう「予定調和」なのか、という、その内実こそが問われなければならないでしょう。
また、原作たそがれ清兵衛さんが言う、「納まるところに納まる」、「皆仲良し」、「ウヨク的発想」という論理の運行にはギャップがあるように思われます。疲労回復後、そのギャップの部分、よろしくお願いします。
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