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現象学の可能性、だと? そんな、お前、「可能性」どころか、「現状」も、そして「過去」すらも押さえられてないのに、よく言うぜ……。
そんな声が聞こえてきそうである。だがもちろん、おれがここで「現象学の可能性」について、ドストイェフスキーの登場人物ばりにべらべらと捲くし立てよう(©永遠小僧さん)、というわけではない。そうではなく、「現象学の可能性を拓く」という副題を持つ『意識の自然』を年末年始にかけて読もうかな、という、ただそれだけのこと。ついでに現象学にまつわる(決して学的ではない)雑感をぶちまける。
さて、日本の哲学界において、現象学はそれなりの地歩を固めているような気はするのだが、それでも、一般的な読書人には「そも、現象学は何を目指し、そして何を成し遂げたのか」ということが、通り一遍の範囲を超えて知られている、とは言い難い。
ここで言う「通り一遍の範囲」というのは、「『世界を括弧に括る』ことで『現象学的還元』をなし、そこから『超越論的主観』の『志向性』によって『生活世界』などが構成される様子を探求する」というものだが、こうした理解でははっきり言って、何も理解していないに等しい。だって、もしこの理解が正しいとして、重要なのは、どのように世界を現象学的に還元し、そして超越論的主観がそこから世界を組み立てなおすのか、という細部にわたる手管なのだから。
そうした「細部にわたる手管」について、(当たり前だが)今ここでは述べない。そうではなく、日本の一般的な読書人に現象学は非常に受けが悪いと(おれには)思えるのだが、それはどういうわけだろう、ということを少しく考えてみたい。
確かに、フッサールの書き物のうちどれでもいい、任意のものの任意の一ページを見てみると、まさに「砂を噛むような」といった面持ちのことばが並んでいる。個人的な嗜好を言えば、おれはそういう「砂を噛むような」書物というのが好きで、そういったものを読みながら「益体もない……」と呟くのが心地よかったりするのだが、一般的に言って、「砂を噛むような」文体で書かれた、それなりに長い書物というのはあまり好意的に受け入れられるものではないだろう。
だが、本来的に「哲学」というものは、そうした文体や何やというものとは無関係に、ただ「そこで何が言われているのか」によって評価される筋合いのものであるのだから、こうした「蓋然的要因」による評価は、「間違っている」とまではいかずとも、その要諦を外したものではあるだろう。
思えば、日本において主に哲学や思想というものを享受してきた主体というのは、不思議なことに同時に文藝愛好家である場合が多い。そういう人たちにとっては確かに、「何が言われているか」ということのみならず、「どう言われているか」についても目が行きがちにはなるだろう。だが、やはり、プライマリなのは前者の視点なのであって、後者は「ボーナスポイント」のようなもの。何となくおれは、そこいらの評価軸に転倒がありはしないか、と思うのだ。
そう考えると、日本においていわゆる「分析哲学」の評価が、というより、知名度自体が芳しくないことも(分析哲学というのも、おれの偏見も少し入るが、概ね「砂を噛むような」ものだ)、フッサールと分析哲学の親和性がそれなりに高いことも、慶應で現象学の研究が盛んなのも、一挙に得心がいく(いかない?)。
とはいえ、とここでぐぐっと話を『意識の自然』に引き戻すが、この本は「砂を噛むような」どころではなく、とてもlivelyに紙面に言葉が躍っている。総ページ数が700を優に超え、しかも2段組という『アンチ・オイディプス』も『ミル・プラトー』も「差異と反復も』もびっくり!という代物ではあるが、決して「閉じた書物」ではなく、こちらにちゃんと声を届かせようとしている。つまり、著者の楽しげでエキサイトしている様子が伺えるのだ。そういう書物が面白くないわけはなく、そしてまた、現象学にはやはり何かがあるんではないか、とも思わせる。
というわけで、最初に戻りますが、年末年始はこの本をメインに、フッサールの各種書物(実は『論研』の赤いやつを持ってるのだ)、デリダの修論、フッサールとフレーゲにおける意味論や存在論を論じたブノワのやつなんかを傍らに、還元して構築しまくりたいと思います。って、ほんとに「エポケー」で終わっちゃったりして。それも否定できん。
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