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「自己を啓発するため自己啓発書を読もうと思っている」という記事を書いた。そのあと、ぼくが「自己を啓発する」ということで何を言わんとしているのかきわめてあやふやであり、さらには世で「自己啓発」という言葉がどのように使われているのかについても茫漠とした雰囲気でしかとらえられていないのではないかと思った。そんな状態ではとても「自己を啓発する」ことなどおぼつかない。そこで、まずは「自己(を)啓発(する)」という言葉の指すところを明確にすることを試みる。
とりあえず、ウィキペディアで「自己啓発」の項を見てみよう。すると、総説として以下のようにある。
自己啓発(じこけいはつ)とは、自己をより高い段階へ上昇させようとすることである。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す。なるほど、とは思う。なるほどとは思えど、しかし、ぼくが「自己啓発」という言葉から受けとる印象の一端しかとらえられていないようにも思えもし、また、この定義だとぼくはあまり「自己啓発」とは思わないようなものも含みこんでしまうようにも思われる。では、上の定義の何がそのように思わせるのか。
まず、上の定義で「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」と「より」が連呼されていることからも分かる通り、ここには「いまの自分には何かが足りておらずゆえにその足りていない何かを足さなければならない」という前提がある。しかし、アマゾンの自己啓発書のランキングを見てみると、なるほどたしかにウィキペディアで言われるような「より」を鼓舞する自己啓発(ここではそうした自己啓発を「自己研鑽的」と呼ぼう)を志向する(と思われる)ものが多くを占めるが、その一方で、「より」を目指さないものも無視できない割合で見受けられるように思う。つまり、「何も足さないあるがままの自分」を肯定する方向での「自己啓発」(ここではそうした自己啓発を「自己肯定的」と呼ぼう)というものも「自己啓発」の欠くべからざるひとつとしてあるように思われるのだ。
つぎに、上の定義によれば、端的な「自己啓発」とは「自己をより高い段階へ上昇させようとすること」となるが、だとすると、たとえば「数学を勉強する」ということも「自己啓発」ということになってしまう。もちろん、「自己啓発」を字義的に広い意味で取れば、数学を勉強することもたしかに「自己を啓発すること」のひとつではあろう。とはいえ、ふたたびアマゾンの自己啓発書ランキングに目を向けると、そこにランクインしている書物で扱われているのは「数学」などの個別的なものにかんしてではなく、もう少し漠とした「心がまえ」を説くようなものが多いように思える。つまり、ウィキペディアの言う「自己をより高い段階へ上昇させようとすること」という定義だとその外延が広すぎて「数学の勉強」というような個別的事例にかんする研鑽も含みこんでしまうが、いっぱんに「自己啓発」と言った場合、そういう個別事例についてではなくもっと一般性が目指されているのではないか、そのように思われる。
上に述べたことをまとめると、いっぱんに「自己啓発」とは、個別的な事例よりも一般性が目指され、「自己研鑽的」な傾向を主としつつ「自己肯定的」な傾向も無視できぬ要素として含むものと考えられ、そして、それぞれの自己啓発書は、「個別的=一般的」および「自己研鑽的=自己肯定的」を二軸とする平面上のどこかにマッピングされる。下に、その平面を図示する。
\[
\xymatrix{
& 自己研鑽的 \ar@{-}[dd] & \\
個別的 \ar@{-}[rr] & & 一般的 \\
& 自己肯定的 &}
\]
たとえば、「よりよく生きる」ことを目指す自己啓発書は上の図の第一象限に位置することになろうし、「人をうまく動かす」ことを目指すものは第二象限に位置する。また、「いやなやつでもかまわない」と説く自己啓発書は第三象限に位置し、漠然と「ありのままのあなたでオッケー」と説くものは第四象限に位置することになる。
さて、これで「自己(を)啓発(する)」という言葉の指すところが明確となり、自己を啓発する準備が万端整ったか? ぼくには、まだ何か足りないように思われる。つまり、ある自己啓発が個別を志向するにせよ一般を志向するにせよ、あるいは、自己研鑚的であれ自己肯定的であれ、それは多くの場合「手段」に過ぎず、「何のために自己を啓発しようとしているのか」という「目的」が明確にされないかぎり、どのように自己を啓発すればいいのか心もとなく思われるのだ(上の図で、その自己啓発が第二象限あるいは第三象限に位置している、つまりある「個別性」に力点を置く場合、その「目的」は明確のようにも思われるが、それでも、「なにゆえにその個別性に力点が置かれるのか」という問いが問いえるかぎりにおいて、そうした自己啓発もまた「手段」と見なされる)。
それでは、自己を啓発することで何が目指されているのか? それは、いっぱんに「しあわせ」であろうと思われる。とするならば、そこで目指される「しあわせ」の内実、あるいはその捉え方によって、自己を啓発するその仕方も変わってくるはずだ。ゆえに、つつがなく自己を啓発するためには、「しあわせ」とは何か、また何であるべきかもまた、明確にされなければならない。
というわけで、稿を改めて「しあわせ」についての問いを問う。
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