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テレビで、パイソンズの『人生の意味』(邦題『人生狂騒曲』)をやっていたので、これまで何度見たか分からないぐらいなのに、「ねばならぬ」ことをほっぽりだして、また観てしまった。(ちなみに、『人生の意味』のまえに、パイソンズのドキュメンタリも放映しており、もちろんそちらも試聴し、そしてそれもまた興味深い内容ではあったのだけど、ここでは『人生の意味』についてだけ記す)
さて、それで、この映画について説明したり、何か感想めいたことを言うべきではあろうが、「説明」ということについて言えば、DVDの値段もそうとう安いことだし、実地に買って見てもらうに越すはないので、それを省くとして、では感想は、と言うと、これもまた、たいして言うべきことを持たない。ただ、パイソンズの映画(や、そのスケッチのあるもの)を見るたびに思うことは、「これは、けっして、一般的な意味でのコメディではないな」という、パイソンズにふれた誰しもが思うであろう凡庸なことと、そして、見終わったあとに感じるこの空虚感は何なんだろう?という、パイソンズを見始めたころから抱いている疑問というか、ふしぎさである。
パイソンズのこととなるといつも思うのだが、そしてげんに、このブログでその思うことを幾度か書いてすらいると思うのだが、パイソンズの、とくにその映画を見ると、おれはいつもゴダールを思い出す。そして、ゴダールの映画を見るときには、パイソンズのことを思う。どうしてそういう次第になるのか、火を見るよりもあきらかなような気もするし、慎重に一考すべきことがらのようにも思うが、ここで雑駁に、そして誰でも思いつくようなことを言えば、パイソンズもゴダールも「ずらし」の感覚のようなものを共有していることと、そして、「空っぽさ」への何か執着めいたもの、そうしたものが共有されている、そういうふうに思える。
だから、何だかよく分からないことを言い出しそう、もしくは、すでに言いはじめているので、さっさとまとめに入ると、パイソンズを見るときには、たんなる「コメディ」としてではなく、それこそゴダールを見るように見るとおもしろいし、また、逆も真なりで(そして、この「逆」こそ、おれは声を大にして言いたいのだけど)、ゴダールの映画を、暗闇の中でニコリともせず神妙な面持ちで画面に食い入っているシネフィルたちを横目に、それをもっぱら「とてつもなく下らないコメディ」として、哄笑(……coup de rire!)のうち消費しさるのも、よい。
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