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アーキラボ@六本木ヒルズ森美術館に行って来た。
このアーキラボ、名前からも分かる通り、まあ建築展なんだけど、副題(というのか)に「建築・都市・アートの新たな実験展 1950-2005」とあるように、戦後の、建築をも包含する広い領域での、実験的な試み展、という感じ。
で、全体が、
- 脈動する都市−実験室としての身体
- 終わりなき都市−膨張する環境
- 解体される都市−新しいシンタックスの創造
- 文脈化する都市−新技術と共生の時代
って大きく4つのセクションに分かれてて(この、各々のセクションに付いた名前が、「いかにも」って感じでしょ?)。1が大体戦後すぐから1950年代中頃まで、2が1950年代後半から60年代中頃まで、3が1960年代末から1980年代後半まで、4が1990年代初頭から現在まで、という時代区分になっている。
まずセクション1の展示室に入ると初っ端、ドゥボールの「心理地理学的パリガイド」が掲げられているんだ。
「心理地理学 psychogeographie」ってのはシチュアシオニストの考えの中でもかなり肝となるもので、アンテルナシオナル・シチュアシオニスト1号の言を引けば「意識的にそう組織されているか否かを問わず、地理的環境が、個人の感情や振舞いに与える特別な効果を研究するもの」ということ。
で、この入ってすぐのドゥボールの作品に象徴されるように、このセクション1の作家たちにとって、建築や都市というものは、「その中で単に人が住まう場」に留まらず、そこに生きる人の心身両面に働きかけてくるもの、として捉えられている。だから、その作品は往々にして、「建築・都市の身体化」という側面を纏っている。そして、身体化した建築や都市は、「不動産」という軛から放たれ、「動く建築」や、さらには「動く都市」というものにまで発展する。
2のセクションではこうした「建築・都市の身体化」が、内面化・純化されるフェーズを見ることが出来る。
たとえば、パランとヴィリリオの「アルシテクチュール・プランシップ」では、身体の持つモビリティが、「実際に移動する」ということではなく「その場で」発現し、隆起する地盤、斜めの建築という形をとって現れる(ここに荒川修作とマドリン・ギンズの養老天命反転地のアーキタイプを見ることも出来るだろう)。
また、セクション1に見られたモビリティが、このセクション2では想像の領域にまで進出し始める(ヨナ・フリードマン「空中都市」)。
セクション3に入ると、旧体制からの束縛を離れた建築・都市が、自ら新たな組織化・構造化を始め、セクション1、2で見られたような、自由を謳歌するデタラメな爽快さは、あまり見られなくなる。
日本語だとこのセクションは「解体される都市」となっているが、英語表記だとThe Deconstructed City であり、言うまでもなくデリダの「脱構築」を下敷きにしている。「解体された」と言えるのはむしろセクション1、セクション2の建築・都市であり、ここでの建築・都市は、以前の遣り方でではないにせよ、「構築」への強い意志を持っている、と言える。
全体の傾向としては、「超構築 overconstruction」とでも言えるようなアルゴリズミックなコンポジション(象徴的なのが「建築のヒストグラム」)、あるいは「構築の果てに見出される絶句を表現する」とでも言うような観念的コンポジション、という感じ。いずれにしても、セクション1、2での明るさは、あまりない。
セクション4では、今までの流れを受け、組織化・構造化されてはいるが、そのされ方が「有機的」とでも形容できるようなフォルムを纏っていたりする。
ただ、時代が今に近い、というか、ほとんど同時代の作品ということもあってか、何か「熟れていない」感じを受けた。しかし、その「熟れてなさ」というのは、かなり「意図的」であるような気もする。
そういうところも含めて、何か全体にセクション4はあざとさがあり、あまり好きではないなあ、と思った。
って、こんな長々と書き綴る気は露もなかったのに……。
まあ、やっぱり、セクション1、セクション2のデタラメなパワーの前には、「頭でっかち」とも取れるセクション3、セクション4はちょっと霞んじゃった、ってことかな。
3月13日(日)までやってるみたいなんで、興味のある方はどうぞ。
最近というか、だいぶ前から建築には興味がありました。だけど、どの辺にどう興味があるのか、私が建築をしたいのかそれとも……っていうことすら整理がついていないのだけど、今ボチボチと建築史の本なんか読みはじめています。
おそらくは、モダン/ポストモダン建築に対する違和感みたいなところからの興味なので、批判的に建築や都市計画なんかの現状をとらえたい、ということだとは思ってますが。
曲がりなりにもアーティストだなんて名乗ってる以上、近代のプロジェクトとは何であるのか、たとえばル・コルビジェとか、バウハウスとかロシア・アバンギャルドなんかが何を目指していたのか、ぐらいはまずはっきりとおさえておかなければ、と思っとります。ではまた。
このエントリ自体、荒井さんの建築に関するエントリ<a href="http
で、このエントリでもちょっと書きましたが、「ポストモダン以降」もそれはそれで微妙なんですよねえ。「無為の為」を演出しようとしているだとか、変にエコっぽいだとか、まあ理由は色々ありますが、畢竟「何かあざといなあ」ということだと思います。
でも、建築っていうのはやっぱり、その建築の前に実際に立ってみて……っていうのが鑑賞の本流なんでしょうね。何だかんだ言って、ヘルツォーク&ド・ムーロンの青山プラダとかも、その前に立つと、圧倒的な建築的快感に打ちのめされちゃいますもん。
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