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じつはすっかり忘れていた「わが(知的)半生」シリーズだが、当初の予定ではごくかんたんにいまの興味関心にいたる道すじを述べるにとどめ、叙述の中心は「現在」におくつもりだったのに、その「つもり」もどこへやら、そうした「当初の予定」から言うと「大脱線」もいいところになってしまった。ゆえに、大学入学後に関してはぐっと記述を淡白におさえ、早いとこ「現在」に近いところまで話を持っていきたい(が、いつものことながら、じっさいにはどうなるかは、書いてみないと分からない)。
まず、高校に入ってすぐのころは、大学は数学科に行こうと思っていた。なぜそんなことを考えていたのか、いまとなっては自分でもよく分からないが、たぶん、中学のときに覗き見した『ゲーデル・エッシャー・バッハ』や、これまたちらちら読んでいたブルーバックスなどの数学系一般啓蒙書など(書くのを忘れていたが、小学生のころコンピュータをいじる過程で、ゲームを作ってみようと思い、そのときに勘違いして買ったブルーバックス『ゲームの理論入門』からは、「数理的フォーマリズム」の手ほどきを受けたように思う)で、そのフォーマリズムの「うつくしさ」や、あるいは「薄気味悪さ」に惹かれていたのではないか、と思う。
だが、じっさいにいざ進学を決める段になると、数学科もへったくれもなく、大学に行く意欲自体があまりなくなっていた。要するに、何かを知り、そして考えるということをつづけるのに、何も大学に行く必要なぞない、むしろ、大学に行くというのは、受けたくもない授業をただ単位のために受けるという「むだ」が生じる分、何かを知ったり考えたりということの効率的な方法ではない、と思ったのだ(これが、若者にありがちな、ひじょうに浅はかな考えであったことは、言うまでもない)。
さりとて、「じゃあ、大学行かずにどうすんのさ?」と言われると返す言葉もなく、しかも担任の先生や、おまけに校長先生まで出てきて説得された日には、そこまでして通しぬくような「我」なぞおれにあるはずもなく、「では、行くとしたら、なるだけ自分のために時間が割け、かつ、そこでできることの自由度が高いのはどこか?」と考えたうえ、俗に言う「文学系」に行くことにした。
大学に入ってからまず手を付けたのは、語学である。ぼんやりと、ではあるが、専門課程の振分けのときには哲学科にでも行こうと思っていたので、まずはギリシア語とラテン語の授業を取った。昔から、「初歩的な文法に関しては独学で、かつ時間をかけずにやったほうがいい」と思っていたので、初等文法は自分でとっとと終わらせ(さすがに1日で終わらせるのは無理だった)、ギリシア語もラテン語もいきなり中級からはじめたのだが、ラテン語はともかく、ギリシア語はプラトンの『パルメニデス』がテキストだったりして「なんだそりゃ!」と思ったが(言うまでもなく、『パルメニデス』は、何語で読もうがむずかしいテキストである)、何とかさいごまで読みきることができた(が、その後、メンテナンスをサボってしまったので、いまとなってはお寒いかぎりの古典語力しかない)。
つぎにしたのは、「文学系に行っときながら、何やってんだ」という感じかもしれないが、数学の勉強を、それなりにちゃんとした。まず、東大出版会の教科書シリーズの解析と線型代数の巻を読んだが、やはり(と言うか何と言うか)、あまりすっきりした理解は得られなかった(これは、たぶん、理科系でのちゃんとした授業ではあるような演習をきちんとやらなかったから、だと思われる)。そうした「もやもや感」を打破しようといろいろ読んだなかで、いちばんよかったのが、解析に関しては岩波全書の『解析入門』、線型代数はおなじく岩波の『キーポイント線型代数』だった(とくに、前者の『解析入門』に関しては、ところどころほんとうに感動しながら読んだ。線型代数に関しては、苦手だったのは「その味気なさ」とでも言うべきところで、後年マクレーン=バーコフによる代数の教科書を耽読し、やっとその「射程」のようなものが分かった気がした)。環境的にしあわせだったのは、まわりの友だちに数学アレルギーがあるものが少なく、放課後(という言い方が適当かどうかは分からないが)みんなで問題を解いたりしてたのしめたことである。
数学がらみのことで言うと、もうひとつ重要なのが、学部2年度ぐらいからブルバキを読みはじめたこと、である。当時ブルバキの原書は明倫館店頭で投売りされており、それこそ1冊300円程度で買えた。それを、ちょぼちょぼと(懐によゆうがあるときには、何冊か一気に)集めては、気になる巻(あるいは、自分でも読める巻)を眺めていた。そうした流れで、ディウドネの数学史(翻訳)やらセールの数論書(翻訳)やらヴェイユの代数幾何本やらグロタンディークの講義本などを覗き見た(ディウドネとセールの本に関しては、それなりに「読んだ」と言えるが、ヴェイユとグロタンディークに関しては、ほんとうに「見た」だけ、である)。
そうこうするうちに、固有の意味での「数理論理学」にエビングハウス他著Mathematical Logicで出会うことになる。いままで、それなりに論理学系の話題にふれつつも、統語論と意味論の別についてきわめていい加減な理解しかしていなかったこと(より精確には、まったく理解していなかった、と言ってもいい)を痛感した。この本がきっかけになり、明倫館でその手の本を(大枚をはたいて)いろいろと買いあさることになる。
・・・・・・と、またしても長々と書き綴りはじめてしまったので、ここいらで稿を分け、次回はより「人文臭い」ラインナップでお送りします。
で、「文学部の中に数学科があっても違和感はなさそう」ってのを、かがみさんが仰っている文脈とはちがった点から言う人がいたりするんですが、じっさいに文学部のたとえば哲学科と数学科を合併しちゃったりしたら、ぜったいに哲学科の人の大部分は音を上げちゃうように思ったりします(何と言うか、「厳密さ」とでも言えるものへの構えが、ぜんぜんちがう)。
ちなみに、あまり関係ないですが、ぼくがここでお世話になっている哲学科の先生は、ふたりとも数学科出身です。
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