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何かこのテストってさ、やる前から結果分かってるよね。つか、「えーそうなんだー!?」とは全然思わない、「やっぱりね」っつー結果が帰ってきて、まあだからこそテストとしては順当というか、それなりの信頼性を主張できるのかもしれないけど、何かオモロくねーっつーか。
で、そうかあ、経済的にも左、なのね。もしや、私有財産はやっぱりダメ?
で、そうかあ、経済的にも左、なのね。もしや、私有財産はやっぱりダメ?
私的所有という概念がもともとよく理解できないのです。
独占的排他的使用権と任意処分権の混合物でしょうか。
「アイデンテティ」や「弁証法」とともにわからない概念の御三家です。
間違った、もはや有効でない見方から生じる「邪見」だと思います。
独占的排他的使用権と任意処分権の混合物でしょうか。
「アイデンテティ」や「弁証法」とともにわからない概念の御三家です。
間違った、もはや有効でない見方から生じる「邪見」だと思います。
うーん、わかんねえことないと思うけどな、私的所有。あくまで難しいのは、それを認めた「後」の問題で。
ただ、その「分からなさ」はどういうことで、何に起因し、そして「間違った、有効でない見方」から生じるのであれば、それが何に対する「間違った、有効でない見方」なのか、そして、そのアルタネイティヴとして何を想定しているのか、ちょっと気になるな。
ただ、その「分からなさ」はどういうことで、何に起因し、そして「間違った、有効でない見方」から生じるのであれば、それが何に対する「間違った、有効でない見方」なのか、そして、そのアルタネイティヴとして何を想定しているのか、ちょっと気になるな。
はやしさんの記憶に残っているかどうかはともかく、このブログのコメント欄で私が既に書いた事のみを根拠にしてお話すると、
梵我一如であり、生死一如であり、ニルヴァーナとサンサーラはぴたりと重なっており、(えーい、ここからは追加だ。)二瞬間連続して存在するなにものも無く、存在は「刹那滅」であり、その「存在」を連続した幻影として映し出すものは私を、はやしさんを幻影として映し出すものと同一の
なにかであるならば
もしそうであるならば
「私的所有」なんて考えは、お笑いか、冗談か、それ以下のものか
なにかそんなもんでしょう。
とても認める気になれません。
>それが何に対する
って、真理に対する、間違い、無効に決まってるでしょう。
梵我一如であり、生死一如であり、ニルヴァーナとサンサーラはぴたりと重なっており、(えーい、ここからは追加だ。)二瞬間連続して存在するなにものも無く、存在は「刹那滅」であり、その「存在」を連続した幻影として映し出すものは私を、はやしさんを幻影として映し出すものと同一の
なにかであるならば
もしそうであるならば
「私的所有」なんて考えは、お笑いか、冗談か、それ以下のものか
なにかそんなもんでしょう。
とても認める気になれません。
>それが何に対する
って、真理に対する、間違い、無効に決まってるでしょう。
ちょっと、というか、大分分からないな。以下、その「分からなさ」をパラフレーズ。
1)「梵我」にしても、「生死」にしても、それらは「2つで1つ」ではあるかもしれないけれど、決して「ぴったりと重なる」という意味において「一如」であるのではなく、どうしようもない非対称性を有しながらも「一如」であるのではないか?
2)そこから、何ゆえに「二瞬間連続して存在するなにものも無く」といえるのか? そして、存在が「刹那滅」であるとするのなら、その当の「存在」と言われているものは「二瞬間連続して存在」しなければならない。何であれ、何かについて何かを言うためには、そうでなければ意味を成さない。
3)たとえ「幻影」としてでも、何かを何かとして措定する働きを認めるのなら、何かの時空に置ける貫同一性を認めざるを得ず、そうであるなら「事態」としての「私的所有」も、それがいいかわるいかという価値判断は別にして、それが「存在」することも認めざるを得ない。
4)さらに、「私的所有」がどういう位相の下に捉えられたものであれ、それが「真理」に対する間違い、無効であるのなら、「事態」として到来していることが「真理」に背くとはどういうことか? ここで宮本さんは、故意にか否かは分からねど、カテゴリーエラーを犯しているのではないか? つまり、「私的所有」に述語という術語は使えるか?
5)そもそも、「真理」とは何か?
1)「梵我」にしても、「生死」にしても、それらは「2つで1つ」ではあるかもしれないけれど、決して「ぴったりと重なる」という意味において「一如」であるのではなく、どうしようもない非対称性を有しながらも「一如」であるのではないか?
2)そこから、何ゆえに「二瞬間連続して存在するなにものも無く」といえるのか? そして、存在が「刹那滅」であるとするのなら、その当の「存在」と言われているものは「二瞬間連続して存在」しなければならない。何であれ、何かについて何かを言うためには、そうでなければ意味を成さない。
3)たとえ「幻影」としてでも、何かを何かとして措定する働きを認めるのなら、何かの時空に置ける貫同一性を認めざるを得ず、そうであるなら「事態」としての「私的所有」も、それがいいかわるいかという価値判断は別にして、それが「存在」することも認めざるを得ない。
4)さらに、「私的所有」がどういう位相の下に捉えられたものであれ、それが「真理」に対する間違い、無効であるのなら、「事態」として到来していることが「真理」に背くとはどういうことか? ここで宮本さんは、故意にか否かは分からねど、カテゴリーエラーを犯しているのではないか? つまり、「私的所有」に述語という術語は使えるか?
5)そもそも、「真理」とは何か?
>「真理」とは何か?そもそも。
これから片付けよう。
真理とは、この俺にいつからか取り憑いたデーモンみたいなもんです。
この俺の行動、言動の全てを例外無く支配し、他に有り様の無いやり方であらゆる事柄に干渉する。迷惑だけど俺の力を超えてるからしょうがない。
それはエネルギーに強制的にある値をとらせて物質として現象させ、その物質どうしを関連づけて編集し、生命現象として現象させ、生態系と呼ばれるものを地球上に現出させ、人間界に限って言えば社会現象を起こさせる、その述語的な力なのであって、その力が現させた、その現れである宇宙がこの宇宙であり、その同じ力が俺を現象させているのだとすれば、その一切全てである俺が欲望する事が出来るのは「一切全て以外の何か。」でしか無いのは自明。
このような世界観のなかで、「私的所有」という概念が占めうる場所がいずこにありや?
これから片付けよう。
真理とは、この俺にいつからか取り憑いたデーモンみたいなもんです。
この俺の行動、言動の全てを例外無く支配し、他に有り様の無いやり方であらゆる事柄に干渉する。迷惑だけど俺の力を超えてるからしょうがない。
それはエネルギーに強制的にある値をとらせて物質として現象させ、その物質どうしを関連づけて編集し、生命現象として現象させ、生態系と呼ばれるものを地球上に現出させ、人間界に限って言えば社会現象を起こさせる、その述語的な力なのであって、その力が現させた、その現れである宇宙がこの宇宙であり、その同じ力が俺を現象させているのだとすれば、その一切全てである俺が欲望する事が出来るのは「一切全て以外の何か。」でしか無いのは自明。
このような世界観のなかで、「私的所有」という概念が占めうる場所がいずこにありや?
宮本さんの言ってること、「原理的」には分からないでもないんだけどね。初期条件と最初の一撃が加えられたら後はどうしようもないような、この世界の、そしてそこに住むわれわれの在り方。
でもさ、実際に何らかの行動を起こしたり、行動を起こさないまでも何かを考えたりという、広い意味で実践的な事柄については、そんな「原理的」なことなんて考えてたってしゃーないと思うんだよな。
確かに、そういう「原理的」な事柄(この「原理的」というのは、狭く宮本さんが言っているようなこと限定ではなく、「私にはどうにもならない、そう在るしか仕方ない在り方」全般のことね)を下敷きにしつつ、あれやこれやを考え、行動するってことは大切なことだとは思う。
だけれども、そういう「原理的」なものが金科玉条として、拘束として、行動や考えを圧し留めるものとして、端的に言えば「抑圧」として作用することは紛れもない事実であり、それはおれには耐えられない。
そして、そうであることが耐えられない事実だから、それはそれとして仕方がない、という考えもおれは採らない。それを「耐えられない」と思う「私」の考えを改めるか、「世界」を変えるか。おれは「世界を変える」方に賭ける。
「私」にはどうしようもない「世界」の中で、「私」が欲望できるのは「一切全て以外の何か」であるのなら、その「一切全て以外の何か」が「一切全て」であるような「世界」を構成すればいい。
もっとも、そこはそこで「私的所有」はまた成り立たないかもしれないけど。
で、さらに質問。
1)宮本さんの中で「自由意志」はどういう位置付けになっているのか。
2)宮本さんが思い描く「世界観」において、「私」の占める位置は如何様なものか。
でもさ、実際に何らかの行動を起こしたり、行動を起こさないまでも何かを考えたりという、広い意味で実践的な事柄については、そんな「原理的」なことなんて考えてたってしゃーないと思うんだよな。
確かに、そういう「原理的」な事柄(この「原理的」というのは、狭く宮本さんが言っているようなこと限定ではなく、「私にはどうにもならない、そう在るしか仕方ない在り方」全般のことね)を下敷きにしつつ、あれやこれやを考え、行動するってことは大切なことだとは思う。
だけれども、そういう「原理的」なものが金科玉条として、拘束として、行動や考えを圧し留めるものとして、端的に言えば「抑圧」として作用することは紛れもない事実であり、それはおれには耐えられない。
そして、そうであることが耐えられない事実だから、それはそれとして仕方がない、という考えもおれは採らない。それを「耐えられない」と思う「私」の考えを改めるか、「世界」を変えるか。おれは「世界を変える」方に賭ける。
「私」にはどうしようもない「世界」の中で、「私」が欲望できるのは「一切全て以外の何か」であるのなら、その「一切全て以外の何か」が「一切全て」であるような「世界」を構成すればいい。
もっとも、そこはそこで「私的所有」はまた成り立たないかもしれないけど。
で、さらに質問。
1)宮本さんの中で「自由意志」はどういう位置付けになっているのか。
2)宮本さんが思い描く「世界観」において、「私」の占める位置は如何様なものか。
俺か?
俺の自由意志とは、この俺を捕まえた真理に絶対的に服従する事。
それ以外の何者にも従わない事。
俺を従わせようなんて夢にも思うな!
「私」の占める位置?
知らない。俺も探してる最中なんだ。
存在は存在しない。
生者は現象し、死者は存在する。
その在り方が確定したものとして。
俺がいつか死んだら、その時にもう一度聞いてくれ。
俺の自由意志とは、この俺を捕まえた真理に絶対的に服従する事。
それ以外の何者にも従わない事。
俺を従わせようなんて夢にも思うな!
「私」の占める位置?
知らない。俺も探してる最中なんだ。
存在は存在しない。
生者は現象し、死者は存在する。
その在り方が確定したものとして。
俺がいつか死んだら、その時にもう一度聞いてくれ。
でもさ、その「真理」も言ってみりゃ恣意的なわけじゃない? てことは、その「真理」を措定することは「自由意志」の発現ではないの? それとも、遡って事後的に見出されるような「起源」?
百歩譲って、その「真理」が必然的なものだとして、それに従うかどうかってのは「自由」なの? ふーん。それ、おかしくないかな。
「私」の占める位置、「探してる」ってことは、とりあえず「在る」ことを念頭に置いているわけね。おれはてっきり、そういう存在位相は認めないものだと。
で、おれは「真理」であれ、何であれ、「絶対的に服従」なんて、それこそ「絶対に」しないけどな。
「絶対」なんてことは、絶対ない。
百歩譲って、その「真理」が必然的なものだとして、それに従うかどうかってのは「自由」なの? ふーん。それ、おかしくないかな。
「私」の占める位置、「探してる」ってことは、とりあえず「在る」ことを念頭に置いているわけね。おれはてっきり、そういう存在位相は認めないものだと。
で、おれは「真理」であれ、何であれ、「絶対的に服従」なんて、それこそ「絶対に」しないけどな。
「絶対」なんてことは、絶対ない。
俺を捕まえたその「真理」について、その絶対性、確実性と恣意性について議論しようとは思わない。
だが、それが恣意的なものであったとしてそれは誰の恣意性なのか?
俺のじゃない。
俺が『その「真理」を措定』したわけじゃないから俺の自由意志の発現ではあり得ない。
が、絶対的な服従を選択、決断したのは俺自身の自由意志に他ならない。
他の選択もあり得たという意味でなら。
他の選択をする人は大勢いる。真理以外のいろんなものにその時々の都合で服従することを「自由」だと思っている人たち。
選択肢が沢山あることが「自由」だと思っている人たち。
俺は違う。
だが、それが恣意的なものであったとしてそれは誰の恣意性なのか?
俺のじゃない。
俺が『その「真理」を措定』したわけじゃないから俺の自由意志の発現ではあり得ない。
が、絶対的な服従を選択、決断したのは俺自身の自由意志に他ならない。
他の選択もあり得たという意味でなら。
他の選択をする人は大勢いる。真理以外のいろんなものにその時々の都合で服従することを「自由」だと思っている人たち。
選択肢が沢山あることが「自由」だと思っている人たち。
俺は違う。
多分これは宮本さんも同じ感じを持ってると思うんだけど、「自由」っていうのは、言うほど生易しいもんじゃないよね。宮本さんは、「選択肢がたくさんある自由」って言ったけど、そんなのは自由は自由でも、あてがいぶちの自由、きわめて局限された空域の中での「自由」なわけで、でも、「自由」ってものがほんとに実現し、みんながその自由の中でやってかなきゃいけないとしたら……それはけっこう恐ろしいことだよ。少なくともおれは、そういう「無制限・無限定の自由」の中で、まんまとやり果せていける自信は正直ないな。
でも、とはいえ、何らかの形で「自由」は担保しておきたい気持ちが、理屈であるとか原理的にであるとかではなく、ある種の「衝動」としておれの中にあるのもまた事実で。
何だかんだ、おれがヘーゲルを嫌いになりきれないのも、やつが「自死」の可能性ということで、最終的な「自由」というものの在り処を担保してるからなんだな。
もちろん、これは最初の「私的所有」とも絡む話なんだけど、ヘーゲルは「私」の「私」による「自己所有」という、2重にも3重にも問題含みな前提を、犯すべからざる「聖域」として措定しているところに、「いやあ、どうすっかなあ、まいったなあ」という感慨を抱かざるを得ないのもまた事実。
でも、とはいえ、何らかの形で「自由」は担保しておきたい気持ちが、理屈であるとか原理的にであるとかではなく、ある種の「衝動」としておれの中にあるのもまた事実で。
何だかんだ、おれがヘーゲルを嫌いになりきれないのも、やつが「自死」の可能性ということで、最終的な「自由」というものの在り処を担保してるからなんだな。
もちろん、これは最初の「私的所有」とも絡む話なんだけど、ヘーゲルは「私」の「私」による「自己所有」という、2重にも3重にも問題含みな前提を、犯すべからざる「聖域」として措定しているところに、「いやあ、どうすっかなあ、まいったなあ」という感慨を抱かざるを得ないのもまた事実。
うーん、やっぱり、宮本さんのその世界観の中で、「自由意志」や、さらには「私」ってものが存在する必要ってのが分からないんだよね。そうした世界観を把持するのであれば、端的にそんなの「なし」でよくない?
……って、ちょっと友だちから電話があったんで中断しちゃったんだけど、えーと、何だっけな……何かちょっと、どういう話の構成を考えていたか忘れちゃったんだけど、おれ昔からね、「自由」ってどうなんだろな、って思ってるんだよね。だから、宮本さんと全く同じものを見ているとは思わないけど、そうだよな、と思うところもある。
でも、何だか抜き指し難い違和感もあるわけで……。
……って、ちょっと友だちから電話があったんで中断しちゃったんだけど、えーと、何だっけな……何かちょっと、どういう話の構成を考えていたか忘れちゃったんだけど、おれ昔からね、「自由」ってどうなんだろな、って思ってるんだよね。だから、宮本さんと全く同じものを見ているとは思わないけど、そうだよな、と思うところもある。
でも、何だか抜き指し難い違和感もあるわけで……。
>「自由意志」や、さらには「私」ってものが存在する必要
なんてもちろん無いよ。
そんなのが無いと生きられないとか、そんなのが有ると仮定した方がよく生きられるっていうんなら、そりゃそう仮定して生きて死ねばいいんだし、それがいけないなんて言わないよ。
ただ、それらを仮定したが故にどんな結果/帰結が待ち受けてるか?
わかって引受ける覚悟はあった方がいいよな、うん。
なんてもちろん無いよ。
そんなのが無いと生きられないとか、そんなのが有ると仮定した方がよく生きられるっていうんなら、そりゃそう仮定して生きて死ねばいいんだし、それがいけないなんて言わないよ。
ただ、それらを仮定したが故にどんな結果/帰結が待ち受けてるか?
わかって引受ける覚悟はあった方がいいよな、うん。
>「私」の「私」による「自己所有」
かぁ、こんなの認めてないよ、俺は。
自由ではなく、解放。
自由からの解放であるような、
自殺がそうなのなら、他殺もレイプも・・・
>「無制限・無限定の自由」の中で、まんまとやり果せていける
やっていいんだし、やるべきなんだし、やっちゃったし・・・
後悔してないし、これからもやるし・・・。
ええやろ!
かぁ、こんなの認めてないよ、俺は。
自由ではなく、解放。
自由からの解放であるような、
自殺がそうなのなら、他殺もレイプも・・・
>「無制限・無限定の自由」の中で、まんまとやり果せていける
やっていいんだし、やるべきなんだし、やっちゃったし・・・
後悔してないし、これからもやるし・・・。
ええやろ!
「私」の「私」による「自己所有」、宮本さんが認めていないのは百も承知千も合点、だよ。そして、おれも端的に認めているわけではなく、前のコメントでも言っている通り、「いやあ、どうすっかなあ、まいったなあ」という感慨を、この概念に抱いている。
それはともかく、「自殺がそうなら他殺もレイプも」って……これ、ひどいね。宮本さん、ちゃんとおれの文章読んでる? あくまで、何で「自死」という可能性が認められてるか、というと、それが「自由」の最後の砦として機能しうるからなんだよ?(あくまでヘーゲルの文脈ではね)翻って、宮本さんは「自己所有」自体、さらには「自由」を認めていないんだから、別段「自死」がどうこう、という話にはなりようがない。とりあえず、今局限されているコンテクストでは、単に宮本さんには関係のないこと、で終わりだよ、「自死」の話なんか。それとも、そもそも「何で『自死』が『自由』を(『自己所有』というものを通して)最終的に担保するのか」ってロジックが分からないのかな? でも、「自殺がそうなら、他殺もレイプも・・・」という発言を見る限り、何らかの論理的帰結は感受しているわけだよね。さらに言えば、宮本さんは「そうなら」と言ってるけど、ここで「そう」という指示代名詞が受けているものが「自由を担保すること」であるのなら、「他殺もレイプも自由を担保する」ってことを言っているわけだよね? とすると、何らかの形で「自殺」と「他殺もレイプ」はその内包を同じうし、さらにそれが「自由を担保する」というロジックだと思うんだけど、「自殺」も「他殺もレイプ」も自由を担保する、と言えるような、両者に共通の内包はおれには思い浮かばない。宮本さんは具体的に、どういう筋道を思い浮かべてるの? それとも、「自殺」の素朴な表象が連合させるものが「他殺」や「レイプ」だから、ってこと? まさかね。
「無制限・無限定の自由」の中で、「やっていいんだし、やるべきなんだし、やっちゃったし・・・
後悔してないし、これからもやるし・・・」って、何か最初と話違くない? それに、若干縮小された形であれ、「無制限・無限定の自由」が実現されたという話なんて聞いたことないけどな。
あと、「自由liberte」とは無関係な、むしろそこから逃れられるべき「解放liberation」って、全然ピンと来ないんだけど……何だろ、これ?
それはともかく、「自殺がそうなら他殺もレイプも」って……これ、ひどいね。宮本さん、ちゃんとおれの文章読んでる? あくまで、何で「自死」という可能性が認められてるか、というと、それが「自由」の最後の砦として機能しうるからなんだよ?(あくまでヘーゲルの文脈ではね)翻って、宮本さんは「自己所有」自体、さらには「自由」を認めていないんだから、別段「自死」がどうこう、という話にはなりようがない。とりあえず、今局限されているコンテクストでは、単に宮本さんには関係のないこと、で終わりだよ、「自死」の話なんか。それとも、そもそも「何で『自死』が『自由』を(『自己所有』というものを通して)最終的に担保するのか」ってロジックが分からないのかな? でも、「自殺がそうなら、他殺もレイプも・・・」という発言を見る限り、何らかの論理的帰結は感受しているわけだよね。さらに言えば、宮本さんは「そうなら」と言ってるけど、ここで「そう」という指示代名詞が受けているものが「自由を担保すること」であるのなら、「他殺もレイプも自由を担保する」ってことを言っているわけだよね? とすると、何らかの形で「自殺」と「他殺もレイプ」はその内包を同じうし、さらにそれが「自由を担保する」というロジックだと思うんだけど、「自殺」も「他殺もレイプ」も自由を担保する、と言えるような、両者に共通の内包はおれには思い浮かばない。宮本さんは具体的に、どういう筋道を思い浮かべてるの? それとも、「自殺」の素朴な表象が連合させるものが「他殺」や「レイプ」だから、ってこと? まさかね。
「無制限・無限定の自由」の中で、「やっていいんだし、やるべきなんだし、やっちゃったし・・・
後悔してないし、これからもやるし・・・」って、何か最初と話違くない? それに、若干縮小された形であれ、「無制限・無限定の自由」が実現されたという話なんて聞いたことないけどな。
あと、「自由liberte」とは無関係な、むしろそこから逃れられるべき「解放liberation」って、全然ピンと来ないんだけど……何だろ、これ?
「自由からの解放」とは、倫理の事です。
自由は我々の宿命であり、それは恐ろしいものでもあります。
>おれは「世界を変える」方に賭ける。
につなげて言えば、革命とは運命を変える事であり、「自由という宿命」からの解放は革命そのものです。
>>この俺を捕まえた真理に絶対的に服従する事。
非-真理を全否定する事。
真理以外のなにものにも絶対に服従しない事。
これが「倫理」と呼ばれるものでは無いでしょうか?
>>自殺がそうなのなら、他殺もレイプも・・・
倫理によって出来ないのです。
ええやろ!
あかんわな。でした。
自由は我々の宿命であり、それは恐ろしいものでもあります。
>おれは「世界を変える」方に賭ける。
につなげて言えば、革命とは運命を変える事であり、「自由という宿命」からの解放は革命そのものです。
>>この俺を捕まえた真理に絶対的に服従する事。
非-真理を全否定する事。
真理以外のなにものにも絶対に服従しない事。
これが「倫理」と呼ばれるものでは無いでしょうか?
>>自殺がそうなのなら、他殺もレイプも・・・
倫理によって出来ないのです。
ええやろ!
あかんわな。でした。
えー宮本さん、何か変に物分りいいって言うか、今回は「そうそう、そうなんだよ」って、それこそ「それ、ええな!」って言うしかない感じだな……まあ、おれと宮本さんで基本的な相違点はそれほどはないことは、端から分かってはいるんだけどさ(って、こんなこと言われるのも、宮本さんとしては「心外」かね)。
とはいえ、やっぱり「倫理」という「行動」を統べる領域で、「真理」というものに従うべし、ってところに引っかかっちゃうんだろうな。それこそ、こうした「引っかかり」は、西洋近代的な「真/善/美」のパラダイムに逆説的におれが囚われている証拠であり、それゆえに歴史が教える、「真、すなわち善/善、すなわち真」という「真理と善の同一視」もたらした過去の暗い記憶というか、その歯止めのなさに躊躇してしまう、ということでもある。
……ってことを思いながら、ガタリとネグリの『自由の新しい空間』を読み返してたんだけど、やっぱりおれはやつらほどにはオプティミスティックではないというか、根が暗いんかなあ、と思ったことでありますよ。
とはいえ、やっぱり「倫理」という「行動」を統べる領域で、「真理」というものに従うべし、ってところに引っかかっちゃうんだろうな。それこそ、こうした「引っかかり」は、西洋近代的な「真/善/美」のパラダイムに逆説的におれが囚われている証拠であり、それゆえに歴史が教える、「真、すなわち善/善、すなわち真」という「真理と善の同一視」もたらした過去の暗い記憶というか、その歯止めのなさに躊躇してしまう、ということでもある。
……ってことを思いながら、ガタリとネグリの『自由の新しい空間』を読み返してたんだけど、やっぱりおれはやつらほどにはオプティミスティックではないというか、根が暗いんかなあ、と思ったことでありますよ。
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