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で、コメント欄のやりとりの流れとしては、おニャン子の話から、「在日外国人としていかに日本のことを語るか?」という話になって、終いには「モーマス vs. その他」みたいなバトルに展開していく……という、「おニャン子の話はどこに行ったんじゃ!」って感じなんだけど、何にせよ、「他者の目を通した自国」ってのはオモロイよね。
それというのも、まあ月並みなことなんだけど、普段はそれにどっぷり浸かっていてまるで空気のようにその存在を気にしない、というようなものにも気付かせてくれるし、何より、「ガイジン」の眼を引くような「ちょっと変な日本」っての、おれ好きなんだよね。
それはともかく、このコメント欄のやりとりで印象的な論点をいくつかメモ(それぞれの論点を論じだすとキリがないんで、あくまで紹介と、おれがちょこっと思ったこと、って感じね)。
まずモーマスの「人は『ゲスト』であると同時に『審判』であることは出来ない」という発言について。
この発言、ざっくりパラフレーズすれば「『外人』として日本にいるんだから、日本についてあれやこれや言えないんじゃない?」ってことなんだけど、確かに「郷に入っては郷に従え」とは言うけどさ、行動レヴェルではともかく、「その人がどう思うか」なんてことまでは制限できないでしょ。『ゲスト』であるからにはそこでの行動規範には従う必要があるけど、たとえそれがその「郷」についての批判的な言であっても、その言は抑圧されるべきではない。ただ、日本の何がしかに批判的な在日外国人に対して「いやなら帰れよ!」とか言う風潮ってのもないではないけど……これはまた別の問題。
次に、日本が移民を受け入れたがらなかったりして「レイシスト的」だ、ということに関するモーマスの次のような意見について。
(日本の)大量移民を受け入れたがらないということは明らかに、極めて低い犯罪率を維持し、平和的利用のためのロボット(はやし注 他国なら移民を受け入れ、その移民たちに従事させるであろう労働に使うロボットのことを指す)の開発を促進させることに寄与している。そしてそのロボットの開発は、翻って全世界に益しもする。一方アメリカの多民族主義は、なるほど賞賛すべき点もあるが、それを「危険な街」という正札と高い犯罪率を伴ってのことなのだ。そして、アメリカのロボット利用というと、圧倒的に軍事目的のものである。
ううーん。この論点は他の人たちから大バッシングの嵐なんだけど、「移民を受け入れない→労働力に穴が開く→その穴を埋めるためにロボットを作る」っていう推論自体、事実に即していないと思う。事実はむしろ、「ロボットを作る(労働をオートメーション化する)→労働力を削減する→その分利益が出る→やった!」って感じなんじゃないかな。まあこの推論も、労働をオートメーション化して人件費は削減できたけど、そのオートメーション化に際して支出したR&D費用を考え合わせると、実際どうなの?とも思うけど。でも、前者よりもありそうなことだと思う。
最後に、日本の文化受容の特質について。
これもまたモーマスが口火を切ったかたちなんだけど、「日本は全世界の色々なものを消費しているけど、それを消費するに際して、その色々なものの『魂』(形而上学、イデオロギー)は骨抜きにしている」って言って、で、それに対してマルクシーが「それは、内容よりも形式を重んずる儒教の影響だよ」と答える、という流れ。
このモーマスの発言、現象的には全くその通り、って感じなんだけど、これって別に日本に限った話ではなく、文化の移動ってことには必ず付いて回ることなんじゃないかな。というのも、「文化の移動」というのは、必ず「文化の中のある一部分の移動」であらざるを得ず、本来その文化内でのコンテクストを俟って始めて十全に受容できるものが、そのコンテクストを外れて異文化に輸出されれば、その内実も変質せざるを得ないでしょ、捨て去るとかそういうことではなく。
だから、それに対するマルクシーのレスってのもちょっと的外れかなあ、と思う。大体、儒教ってのは「内容よりも形式を重んずる」ものなの?
まあ、そんなこんなで、Néomarxismeはエントリ自体もオモロイけど、そこに付けられたコメントも非常に興味深いです。
そゆわけで、日本語での書込みでもOKらしいんで、みなさんも何かちょろっとでも思うことがあったら、事実誤認の指摘だけでもいいんで(というか、こういうのが一番有難いんじゃないかな)書込みましょう!
とりあえず昆布茶が切れたんで今から買いに行きます、ではーっ。
Boing Boingのこの記事<a href="http
で、マルクシさん、1st出したのが今年だし、まあ知らなくともむべなるかな、ですけど、そう、日本語乱舞ですよねえ。しかも「なんじゃそりゃ!」な感じだったりもし……それがまたオモロかったりもするんですが。
つわけでコメントありがとございました!
では!
いや、まったくそうなんですよね。異文化理解の問題はけっこう僕には切実だったりするので、このへんの言葉はピンとくる。この人はアメリカ人なのかな? だとすればハリウッド映画にでてくる日本や日本人の姿を見るだけでも、このことに気がつきそうなもんですが。
今ちょっとコミュニケーション論みたいなの書こうかと思ってるんだけど、結局ある文化にとっての異文化なんて遠景のおそまつな書割りに過ぎないんであって、その異文化を理解し受容するとなると、これは受容する側にとっても大変な痛みを伴う作業になるはず。きっと理解し受容した分、その人自身も変化してしまってるはずですよ。
う〜む、僕の何か書き込んでやろうかな。しかし英語のリーディングのほうがまた問題で………(涙)。
異文化理解の問題、これもっと間口を広く取れば、畢竟「コミュニケーション」の問題にもなるんですよね。
「文化」って括りはものすごくでかいように思えるけど、ミクロに考えれば、「個人と個人」のやりとりってのも「異文化交流」なわけです。
そこで、ある共通のタームを使っているにしても、その人の中ではいかなる構造配置の下それが使われているか……ということを理解する必要があり、こりゃもう異文化理解に他ならないわけです。
荒井さんが今回「祭りの戦士」に書いた「論争」というエントリも、そこいら辺の問題意識があってのこと、と推察しますが、こういう「異文化理解」ってのは、相手の言っていること自体を理解するのみならず、相手がそれを言っているフレームワークをも理化する必要があるのと同時に、こちらの言ってることも、そのフレームワークを同時に伝える必要があるという、「寛容さ」と「押し付けがましさ」の微妙な綱渡りなんですよね。
で、これが難しい。
寛容一辺倒になっても面白くないし、逆に押し付けがましすぎても「議論」ではなく「喧嘩」になってしまうし……。まあ、「なあなあ」よりも「喧嘩」の方がまだいいかな(というのは「面白い」ということ)、とおれは思いますけど。
それで、そう、Neomarxismeに「書き込む」のは日本語でOKなんだけど、読むのは英語で読むしかないんですよねえ。これ、あっちの書き込みにもそう書いている人がいたけど、ほんとに日本人からの腹蔵ない意見が聞きたいんだったら、レジュメ程度でもいいから日本語の文章を併記すべきなんですよね。まあ、言うは易し、なんですけど。
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