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昨日、本読み&書きものの息抜きに古本屋にいったところ、店頭でスタジオヴォイスのバックナンバーが大放出されていたので、一気にいっといた。

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ここにコメントをたびたびよせてくれている島田さんが主宰しているインターネット大学ブログ学部ブログ情報学科で、「革命」について思うところを論ぜよ、という課題が出ています。

昨日の本紹介エントリでPost-Continental Philosophy を取り上げてから、ラリュエルのことが何だか気になりはじめ、とりあえずネットでちょっと調べてはみたんだけど、日本ではもちろん、アメリカでも、もっと直截に言うと、フランス以外ではほとんど知られていないことを知った。

みーさんが自身のブログで、なぜおれが〈暴力〉について書きついでいるのか、ということについて気にしてくれているらしい記述を目にした。ので、今回はそのことについて書いてみたい。

高橋源一郎『ニッポンの文学』を読んでいたら、次のような文章に出くわした。

先の「〈暴力〉について (2)」において結語的に、神的暴力というのは要は、それ以上ことの真偽、もしくは善悪を辿りえぬ、そんな「公理」を、「有無を言わさず」打ち建てるものだ、というようなことが言われた。しかしこれだけでは、じゃあそれは神話的暴力の「法措定」とほとんど変わらんじゃないか、というもっともな疑義を鎮めることができない(ベンヤミンは法措定的暴力を「運命Schicksal 」に結びつける。言うまでもなく「運命」にはいかなる合理性もなく、しかもそれは有無を言わせぬもので、一切の「なぜ?」を寄せつけぬものである。こうした点を考えあわせると、それは上で言われた「神的暴力」とほとんど変わるところがない。法措定的暴力と運命については、『暴力批判論』ズーアカンプ版p. 188、p. 196、岩波文庫版p. 42、p. 54、ちくま学芸文庫版p. 245、p. 263を参照。なお、以下にする引用においても、この順番でページを列挙する)。ゆえに、「〈暴力〉について (2)」で引いた2つめの引用文を検討する前に、この点についていましばらく考えてみよう。

この前挙げた対比のほかに、ベンヤミンは神的暴力(および神話的暴力)について次のように言っている。

『暴力批判論』を買いに行ったらリブロでビデオの大安売りをしていたので思わず買い込む。

……ぼくからすると東大を出ているというだけで暴力的だとおもうんです。知識を持っているというだけですごい暴力的です。たとえば知識のある人が現場の人に向かってしゃべると現場の人は黙りますね。人を沈黙させるというのは暴力と言うか権力なんです。……

(吉本隆明・三好春樹『〈老い〉の現在進行形』166ページ、三好春樹氏の発言より)

仲間うちの各所で(こことかこことか)「今年の抱負」めいたものをぶちあげているので、おれもそのマネをしてみることにした。

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